『妙龍大善神・稲荷社』(名古屋市中村区日比津町1)

長秋山 定徳寺 その2の今回は定徳寺番神堂裏手の妙龍大善神・稲荷社を掲載します。

天満宮の右側から番神堂の奥に続く参道。
 その先に朱の明神鳥居が立ち、その前を一対の狛狐が守護しています。
龍大善神・稲荷社へはこの鳥居をくぐり番神堂の裏に続くコンクリートの参道を進みます。

番神堂の裏側で参道は二手に別れ正面の石の明神鳥居の先の社が妙龍大善神になります。

 まず最初に、この神社について詳細を記したものに全く出会えず、見た事のみをお伝えしまう。

龍大善神社頭全景。
 右手の社標には「妙龍大善神」と刻まれていた。

左は社標、1930年(昭和5)の寄進。
右の鳥居も同一寄進年でこれより遡る寄進物は見られなかった。

「妙龍大善神」本殿全景。
 板宮造りの小社で縁起や創建に繋がるものは何も見付けられなかった。
妙龍と云う龍が存在しそれを祀つたものなのか、僧侶妙龍が関係するものか分からない事ばかりだ。
 とはいえお参りされている痕跡もあり、地元では知られた存在なのだろう。
 
「妙龍大善神」
 創建・祭神 / 不明

どれたけ悪足掻きしようが情報が得られそうではない、右手参道を奥に進みます。

「妙龍大善神」に続く参道には朱の鳥居が幾つも立ち並ぶ。

参道は三方に別れ中央の参道先に鳥居と覆屋が見えます。
 鳥居手前を狛狐が守護している事からこちらが稲荷社となる。
右の鳥居は番神堂から渡廊を経た先に立ち、覆屋の正面に位置する事から本来はこちらが正参道にあたるのかも。
 取り敢えず写真左の鳥居から覆屋へ。

鳥居前の狛狐、寄進年度未確認。

中央の鳥居から覆屋の眺め。
 右手に手水鉢があったが年号は読み取れなかった。


 覆屋全景。

 番神堂から稲荷社に繋がる渡廊。

覆屋は切妻妻入りで向拝が付くもので、その前に小さな狛狐の姿がある。

こちらの狛狐も寄進年度は不明、ガリガリに痩せ細った悲壮感漂う体ではないが目力がないか。

覆屋に架けられた「福綠尊天」、額からして福禄寿を祀るお稲荷さんなのか。
 本殿は福禄寿の他にも祀られているようで、三つの唐破風向拝が付き其々に扉が付いていた。
倉稲魂命も祀られていると思われます。
 稲荷社は小高い小山の上に建てられ、鳥居の左から後方に回り込むことが出来ます。

回り込んで覆屋を見ると二階建てになっていて、二階部分が先程の「福綠尊天」、下側が祠となっている。

置かれた手水鉢はいい感じで苔むし年代すら読み取れない。

一階部分の祠。
 一対の狛狐の先に稲荷にはつきものの四角い狐穴があり、上には小さな社が祀られている。

ここの狛狐は多少痩せ気味のフォルムで目つきも鋭く狐らしい風貌。
 右の狐だけ体の一部が欠け落ちている、何がこうさせたのかな。
良く見れば玉垣の隙間から立派な耳をした小さな金色狐がこちらを見つめていた。
 この社、二階本殿の奥宮なんだろうか。

龍大善神・稲荷社の縁起や創建時期は分からない。
 尾張名所図会の定徳寺に結天神は見られたが、妙龍大善神・稲荷社の記述は見られなかった。
編纂以降に創建されたものか。
 定徳寺境内にある事から住職にお会いできれば縁起など教えて頂けるかもしれない。 
 

龍大善神
創建・祭神 / 不明

福綠尊天稲荷社
創建 / 不明
祭神 / 福禄寿、倉稲魂命
所在地 / 名古屋市中村区日比津町1-16-8 (定徳寺境内)
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