白川村萩町『荻町城跡展望台』

白川郷萩町の神田家から北方向に15分程

前回掲載した神田家を後に北方向にある高台に向け15分程歩きます。
 萩町の平坦な道は町外れから緩やかな上り坂となり見上げる高さの高台を目指します。

長い坂も終わりを迎えると目の前に駐車場が広がります、そこから左を眺めると萩町の眺望が開けます。
 駐車場脇にある細い道を直進する広い空間が現れ写真の世界遺産記念碑が立っています。
合掌集落を見渡せるこの場所に集落の解説が記されたプレートが立てられています。
 その中で「成長著しかった日本の国にあって、この美しい環境を守ってきた住民の努力・・・」の一文は響いてくるものがある。
快適性や対候性を求めがちになるなか、伝統的なこの街並みを維持できのも町全体の協調性あって可能になったもの。個が集まった都会ではあり得ないものだ。

記念碑周辺から望む萩町集落。
 右の流れは庄川、中央の直線が白川街道、この先の上流は御母衣ダムを経て荘川村に続きます。

展望台から今回、白川郷を訪れた場所を丸で囲ってみました。
 集落を一望できるビューポイントです、この展望台から東には山が迫り、等高線沿いにくねくね道の国道360号線が続き天生峠を越えると飛騨古川方面に至ります。
 昔は細くて急登の続く峠越えの印象でしたが紅葉の時期には見事な紅葉が見られました、降雪時は恐怖の道も時が経ち少しは良くなっているかな?

訪れた8/22集落の稲は鮮やかな緑色に染まっていた、今頃は黄金色…いや既に刈り取りは終わっているかナ。恐らく周囲の山々は秋の装いになっていることだろう。

荻町城は世界遺産白川郷合掌集落を見下ろす台地先端に築城されていた。
 このあたりは庄川と宮谷、牛首谷から流れる渓流がひとつとなる地点で、標高540㍍の緩やかな台地にあり集落からの比高は約60㍍程になります。
 
戦国時代の白川は内島氏が支配し、謎の多い帰雲城を居城としたと云う。
 帰雲城の守りを固めるため、庄川沿いに南北続く白川街道上の南側に日崎城、新渕城、牧戸城を配し、
北側に荻町城を築城し西の馬刈峠、東の牛首峠の監視行っていた。
 この荻町城の城主は内島氏の家臣の一人山下氏で氏頼、氏規、時慶の3代が荻町城主として入れ置かれました。

荻町城跡。
 城は台地続きを切断する堀切と土塁を構え、その内側が城域とされました。
現在は駐車場から右手方向の細い道を進み萩町を望める場所に立つ世界遺産記念碑に向かう途中で土塁の遺構が見られます。
 城とは言っても曲輪は単郭の小規模な山城だったようで、曲輪内から掘立柱の一部遺構が見つかるなど、居住施設ではなく、簡単な建物であったと云われ、主に櫓から街道を監視する事に重きを置いたものとされます。
それだけにここから望む白川郷の眺望は抜群です。

天狗堂。
 その一画に鎮座する城山天狗堂。
もともとはここから庄川の上流に位置する平瀬集落に鎮座していた社を、1998年(平成10)に旧平瀬温泉神社からこちらに遷座したもの。

 今回平瀬周辺でキャンプ泊をしたけれど、若い頃に何度か訪れた平瀬温泉共同浴場を求め彷徨ったが既に姿はなく空き地となり、代わりに少し離れた場所で新たにできた道の駅に隣接する小奇麗な「しらみずの湯」に置き換わっていた。
因みに平瀬温泉が無くなったのは2005年の事だと云う。
 昔は山籠もりの小汚い恰好で訪れても抵抗のなかった浴場で、仕事を終えた地元の人とも気軽に会話できるいい雰囲気の共同浴場だったのだが・・・寂しい限り、どんだけ歳食ったんだ。

城山天狗堂。
 荻町城跡に鎮座する流造の社殿、素木の素朴なもので派手な飾りはなく周囲の風景に溶け込む様に鎮座している。
訪れる人は町の展望に視線が行きがち、こちらにも立ち寄って見てはどうだろうか。
 祭神、由緒等の詳細は調べきれていませんが、平瀬から遷座するくらいの神社、立ち寄って手を合わせても損はないだろう。

天狗堂妻壁の彫飾りと本殿正面の眺め。
 海外から訪れる観光客は普段気にもしない些細なものに興味を持つて訪れる人もいる。
自分が見落としているのかもしれないが、この神社の解説が見当たらなかったように思う。
 海外から訪れるであろう世界遺産白川郷、安い円で賽銭を奮発してくれように。


荻町城跡・天狗堂
城山天狗堂
創建・祭神 / 不明
遷座 / 旧平瀬温泉神社より1998年(平成10)遷座
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町1116
神田家から徒歩ルート / ​北に向かい約15分
参拝日 / 2022/08/22
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