大分県一之宮巡り part1(day1~day2)

10/25~28
 大分県の別府・湯布院の温泉を満喫し一之宮を巡ってきました。
今回はその一日目と二日目。

10/25
 当初は車で巡る計画でいましたが、燃料高騰や高速代など考え、大分へは飛行機、現地はレンタカーで移動する計画に変更、それに全国旅行支援を併用したもの。
 初日は翌朝7:25のフライトに備え、セントレアへ移動・宿泊。
シアトルテラス、ターミナルで食事を済ませ翌朝に備える。

10/26
 6:00ホテルから朝陽を眺めつつ起床、コンビニで朝食を済ませ搭乗手続きを済ませる。
ズングリむっくりの機体は747-400LCF「ドリームリフター」、B787の機体部品を最終組み立て工場のあるアメリカに空輸するための機体。
 私らが乗るのはボンバルディアCRJ-700、細くてスリムなやつで大分まで約一時間で送り届けてくれる。
セントレア名鉄が止まるとバスすら運航されない孤島となります。

9:00大分空港着。
 空港でレンタカーを受け取りいざ出発。
セントレア食事の検索中にレンタカーの燃料を満タン返ししなくても良い特典を発見、現地での燃料代は気にしなくても済みました。 

10:10 別府湾サービスエリアで小休止。
 「恋人の聖地」別府湾を見渡せる高台に位置し、湯の街別府を一望出来るビュースポット。
今回は別府・湯布院周辺を移動するのみ、目的地を詰め込まず、一之宮とゆっくり温泉を巡る。
 大分最初の目的地は国宝の「臼杵石仏」
別府湾サービスエリア 
所在地 / 大分県別府市内竈3677-43-2

10:34臼杵石仏到着。
 周囲を小高い山々に囲まれた長閑な里山の風情が漂う、街には澄んだ流れが幾筋かあり錦鯉が優雅に泳ぐ静かな環境。
 臼杵石仏は東側の小高い山の岩肌に4郡に渡り摩崖仏彫られ、その数は約60体にのぼる。
駐車場から徒歩5分もあれば最初の摩崖仏に辿り着けます、後は整備された参拝路を巡っていきます。

写真はホキ石仏第二群。
 ホキ?なんのこっちゃ。
これ「がけ」という意味らしく「がけ石仏第二群」という感じなんだろう。

 この山自体が凝灰岩の山でその岩壁に摩崖仏が彫られている。
良くある輪郭だけの平面的な摩崖仏ではなく、一体〃立体的に削り出されたもの。
 いずれも表情豊かで、心にやすらぎをあたえてくれる像容で、一体〃彩色も施されていたようです。

年代は平安時代後期(1100年頃)から後の鎌倉時代にかけて彫刻されていったとされ、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりとしたことは分かっておらず、今も謎に包まれています。

 一時期はこうした石仏群は崩落が進み荒廃していた時期があったようですが、造形や歴史的価値が評価され摩崖仏としては初の国宝に指定。
 以降、修復や覆屋を設けるなど保全、保存が行われています。
当日も学芸員の姿があり謎の解明に向け調査が行われていました。

4群の石仏群は地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏と呼称されています。
 

臼杵石仏
所在地 / 大分県臼杵市大字深田804-1

13:30豊後一之宮西寒多神社到着。
 寒多川右岸沿いに鎮座し、川面に写る萬年橋と藤の花の美しさで知られる神社。
国幣中社で豊後一之宮。

由緒は、神功皇后三韓征伐帰陣の折、西寒多山(現在の本宮山)に行幸し、四方の山々を御覧になり、その場に一本の白旗を立ててお帰りになったと云う。
 人々はそれを敬いその地に瑞垣を結び、聖地として崇めるようになった。
応神天皇の御代、この地に宮殿を建立するため朝廷に願い出て、勅許を得た。
 勅を奉じた武内宿禰は応神9年(278)、豊後国に下向し宮殿の建立に当たった。
 
 7世紀の中ごろ、藤原鎌足百済救援のため豊前国仲津郡まで立ち寄った際、霊夢のお告げから西寒多神社に参拝。
老巧化した社殿を修築し、太刀一振りと八幡舞面を奉納した。
 貞観10年(869)、従五位下の神階が授けられ、延喜5年(905)に延喜式神名帳で式内大社とされた。
以降も土地の有力武将から崇敬され、大友能直を初めとする歴代大友氏の尊崇を集め続けた。
 応永15年(1408)、第十代大友新世により山麓の現在の地に社殿を遷した。
 
江戸時代、この地を領した延岡藩の牧野氏、後の内藤氏からも崇敬され、神殿の改修・修繕や藩士の燈篭寄進などもあった。
 
 明治4年(1871)、新社格制度で国幣中社に列格。
昭和20年(1945)、社格制度廃止に伴い別表神社となった。

※カーナビはとんでもない道を勧めます、寒多川沿いに遡る道を選択する事をお勧めします。

豊後一ノ宮 西寒多神社
創始 / 応神9年(278)
祭神 / 西寒多大神
所在地 / 大分県大分市寒田1644番地

14:35 豊後一ノ宮柞原八幡宮到着。
 二葉山の中腹に鎮座し、駐車場からは長い石段が続く参道を上っていく事になります。
鬱蒼とした社叢に続く参道の中ほどに朱の明神鳥居が立ち、そこから石段は更に上へと伸びています。
 途中に南大門があり、そこから参道は二つに別れ、右に進むと楼門、左を進めば西門に続きます。
少し足元が悪いけれど、楼門に続く右の参道がお勧めかも知れない。
 現在本殿は修復工事中で本殿の姿は皆目見れませんが廻廊から続く拝殿の前までは参拝可能。

由緒は
 天長4年(827)延暦寺の僧金亀和尚が宇佐神宮参篭の際、神告を蒙り、柞原山に勧請したのが創設起源とされる。
承和3年(836)、右大臣・清原夏野が勅を奉じ、国司・大江宇久に社殿の造営をさせ、以来、国司の厚い崇敬を受けて来た、一方皇室からも厚く尊崇されている。
 又、嘉承3年(1108)、勅使の参向があり、敷地の境界を定め税を免ぜられた。
仁平3年(1153)、鳥羽法皇が60歳の祈願を修せられ、神領を定められた。
 元暦元年(1184)、源範頼平氏追討を祈願したのをはじめ、源頼朝、領主(大友・竹中・日根野)、武家の崇敬も厚く、近世には、社家二百余・坊舎三十を教えた。
祭神は応神天皇(誉田別命)、仲哀天皇(帯中日子命)、神功皇后(息長帯比女命)

豊後一ノ宮 柞原八幡宮
創建 / 天長4年(827)
祭神 / 応神天皇仲哀天皇神功皇后
所在地 / 大分市上八幡三組

15:50明礬温泉岡本屋売店到着。
 国道500号線を走っているとそこかしこに噴気が立ち昇り、硫黄臭が漂う、ここは江戸時代から続く明礬(みょうばん)採取の史跡名所。
国道を挟んだ両側に遊歩道が整備され台地の息吹を身近に感じることができる。
 硫黄臭の漂う一帯に湯の花小屋や入浴施設が建てられている。
ここ明礬地獄からは別府温泉街を見下ろせ、手前の別府明礬橋は名の通り明礬温泉の上に架けられた巨大な橋。

かみさんの御目当て地獄蒸しプリン@330円、懐かしい食感と味わいのプリンだ。
明礬温泉 岡本屋売店
所在地 / 別府市明礬3組
営業時間 / 8:30~18:30

16:00別府八湯の一つ鉄輪温泉の「おにやまホテル」到着。
 チェックインし内湯に浸かり、一休みの後温泉街を散策。
写真は鉄輪足蒸し(無料)で今日の足の疲れを癒す、足とは云わず頭以外蒸されたい。
 温泉街には修学旅行で訪れた学生があちらこちら見かけることが出来た、おやじとおばさんが蒸されている間も、背後のギャラリーは弾けていた。
15分程を目安に蒸すのですが、膝からつま先にかけて芯から温まり足が確実に軽くなるのを感じられる。

鉄輪むし湯 足蒸し、〒874-0043 大分県別府市井田

おにやまホテル。
 白湯地獄のすぐ西側にあり、2階ロビーの前を国道500号線が走り、表通りをふらふら徘徊するには少し怖い。
一階から温泉街に流れるのが正解かも知れない。

この日の晩御飯。
 蒸篭蒸しの中身はこんなに一杯、更に鍋やらなんやら・・・そんなに食べれないって。
美味しい酒と漬物があれば幸せなのに、ゆっくりと時間をかけて味わう。
 酒は智恵美人。杵築市で明治7年創業の蔵元中野酒造、「智恵」の名は女将の名からきているらしい。
以前は県内のみ販売していた「ちえびじん」を漢字にして全国展開を図ったものだという。) 優しい甘みがじんわり染み渡り、冷が美味しいお酒だった、この酒蔵の酒を一本買って帰る事にした。

おにやまホテル
所在地 / ​大分県別府市鉄輪335-1

大分初日移動ルート / ​移動距離Gマップ上170㌔