「阿禮神社」 長野県塩尻市塩尻町

塩尻市塩尻町「阿禮神社」
 弥彦神社から国道153号線塩尻市内に向け10分程。

国道から右に逸れるとそこは旧中山道、右手前方に見えるのが「阿禮(あれい)神社」の杜。

延喜式神名帳」にも記された古社。
 阿禮神社のもとは、五百砥(いおと)山に社があったものを、仁寿2年(852)に柿沢の神明平(ここから東に​車で10分程​)に奥社として新たに社が建てられた。
その後の寛保3年(1743)、現在地に里宮として建立されたのが阿禮神社。

住宅が点々と立ち並ぶ中山道沿いに杉の巨木を主とした社叢がある。
 社頭右側に「式内大宮 阿礼神社」の社標は立っているが、鳥居は参道から随分先に入った所に立てられている。

社頭左に中山道の道標と塩尻宿周辺の観光マップが掲げられていた。

阿禮神社の鎮座地を〇で囲ってみました。
 
 阿禮神社参拝は予定外、宿で飲むお酒を買うため近くに立ち寄り、かみさんが品定めしている間にささっと参拝に訪れた。
こうしてマップをみると周辺には道祖神や寺社があり、旅館のチェックインさえ気にしなければじっくり巡ってみたいところ。

社頭から東側の鳥居が立つ境内の眺め。
 社地は東西に長く、広大な境内の奥に社殿があるようだ。
参道に入るとすぐ右側に手水鉢、奥の入母屋造の建物は「和魂神社」

手水鉢には龍の姿は見られない、後方に井戸らしき姿があり龍はそこにいた。
 右手奥に注連縄が張られた小さな石の祠が祀られている、水神か?

和魂神社と忠魂碑。

石の明神鳥居の先に伽藍が広がる。
 参道沿いの常夜灯は古いようですが年代を確認していません。

境内の「阿礼神社縁起」
 当神社は平安朝時代、醍醐天皇の御代延長5年(927)に延喜式神明帳登載の由緒ある古社。
以下は神社必勝祈願の神様の栞より
「御祭神 素戔嗚命 天津神(阿礼ノ神)、相殿 大己貴命 国ッ神(大宮ノ神)、相殿 誉田別尊 応神(八幡ノ神)
当社は古来より武運長久をもって篤く崇敬され、特に戦へと向かう武将たちが必勝祈願の祈りを捧げてきた。
 古くは平城天皇の御世延歴年間(782~802)に蝦夷征伐に向かう初代征蝦夷大将軍坂上田村麻呂が必勝祈願をしたと伝わる。
治承4年(1181)には木曽義仲が当社参拝し必勝祈願をした後、塩尻の諸豪族や諏訪一族に挙兵を要請したとも伝わる。
 また、300年にわたりこの地を所領としていた小笠原氏が、天文19年(1551)、甲斐の武田信玄に追われ代々の領地を失った際にも、小笠原長時の子・貞慶が武田氏滅亡に乗じ阿禮神社域にあった八幡宮で挙兵し、かつての諸豪族と共に念願の旧領回復を果たした。
 以後、現在に至るまで塩尻地区の氏神として、必勝祈願、無事長寿祈願の神様として尊崇を集めている。」

以下は神社栞には
「もとは五百渡(いおと)山に社があったのを養老年間(西暦700年末期頃)に柿沢の明神平に新たな社殿(奥社)を建て遷した。
 さらに貞享4年(1687)に現在の地に里宮として新たに社殿を建て遷した。
本殿は三間流造で間に五百渡の社を遥拝するための扉口を設けた独特の社殿である」

 例大祭は、別名塩尻祭りと呼ばれ毎年七月の第二日曜日と前日の土曜日に行われる遷座祭。

偶然立ち寄った神社ですが、長い歴史と由緒を持つ神社だ。
 伽藍は境内東に纏められ、左に社務所と中央に拝殿、幣殿、本殿と並び、拝殿左右には複数の境内社が祀られている。

拝殿に向け参道を進むと左に阿禮天神の大きな石標がある。

拝殿全景、入母屋瓦葺の妻入りで唐破風向拝が付き、左右に廻廊が繋がる。
 拝殿前には2対の狛犬が守護しますがそれらは個性的なものです。

手前の狛犬(吽形)

手前の狛犬(阿形)
 肉付きは良く、体格に対し少し短い脚はとても骨太、何より印象に残るのは大きな目と歯並び。
今まさに歯肉炎で抜けようとしている自分の歯と同じだ、何年か先の自分を見る様で何か気持ちがひとつになったような気がする。
 それだけに妙に愛おしくなる風貌だ。

奥の狛犬…でいいのかな。
 こちらは哀愁すら漂う姿だ、何れも寄進年を見ていないが、外観からは相当の年月を感じさせる風貌をしている。
吽形の輪郭が綺麗に残る丸い顔とドングリ眼が尚更哀愁を誘う。
 一体何が起きた?

拝殿。
 向拝柱の梁の蟇股や組物は意匠は少ないが、太くてどっしりした印象を持つ。
薄暗い拝殿内は額に彫られた金色の阿禮大明神の文字と金色の幣帛だけが浮かびあがって見えている。

拝所に掲げられた額「延喜式内 阿禮神社」、額の周囲の彫物は龍か?

山形の下に並び鷹の紋が神紋だろうか、右側にも阿禮神社の額が架けられている。
 覆殿に収められた本殿は三間社流造だと云われるが、外周からは全く見る事は出来なかった。

拝殿左には稲荷社、子安社、金平羅社、津島社、秋葉社、山神社など境内社群が祀られている。

更に左に向かうと左側に冠木門を構えた脇参道があった。
 境内の脇参道は幾つあるのかナ。
南に2カ所と西に正参道、東のここと4カ所か?

拝殿右側の境内社に向かう。

拝殿右側の境内社、良く見れは左側にも小さな相殿があるが、何れも社名札はなく詳細は不明。

境内南側に小さな鳥居がある。


鳥居の先は玉垣で囲われた一画があり中には大きな岩が安置されていた。

更に奥に進むと石の祠群が祀られていたが社名は不明。


忠魂碑

和魂神社
 これで一通りすべての参拝は終えた、見計らった様にかみさんから「そろ〃行くよ」との連絡が入る。
駆け足で参拝し写真に収めただけですが、阿禮神社里宮と塩尻宿に阿禮神社奥社、もう一度訪れたいところです。
 時期は…いつがいいだろう? 電車と徒歩もありかな?

阿禮神社
里宮建立 / 貞享4年(1687)
祭神 / 須佐之男命、大己貴命、誉田別天皇
境内社 / 稲荷社、子安社、金平羅社、津島社、秋葉社、山神社など
例祭(塩尻祭り) / 毎年7月、第二週の土・日曜日
所在地 /  長野県塩尻市塩尻町433-1
参拝日 / 2022/09/13
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com

矢彦神社から車アクセス / ​国道153号線を塩尻方向へ10分程
公共交通機関 / JR塩尻下車東へ徒歩で​40分程