「平瀬八幡神社」
白川村萩町から国道156号線を平瀬方向に車で約30分。
白川郷散策の拠点とした白川郷ひらせ温泉キャンプサイトで一夜を過ごす。
二日目は帰路となる荘川方向に向かう。
その前に平瀬集落の「平瀬八幡神社」に参拝。
平瀬八幡神社
キャンプ場から車で5分程の平瀬集落のほぼ中央の小高い山の頂に鎮座します。
以前は平瀬集落の中央を国道156号線が通っていました。
今は集落の西外れに新道が作られ、若かりし頃の面影はなくなってしまった。
旧平瀬温泉共同浴場があった場所の南側に平瀬八幡神社の鳥居が立っています。
現在は浴場も解体され広い駐車スペースに変っています、かつての浴場を探し徘徊しても見つからなかったはずです。
その広場に当時の記憶にない社が鎮座していました。
今から40年程遡るが、旧平瀬温泉へは釣や登山の帰りに良く利用させて頂いた…見覚えがない。
小さな狛犬が守護する銅板葺の一間社流造。
豪雪地帯故に周囲は透明な樹脂板が張られている。
西側を向き鎮座する社、その先には霊峰白山がある、社名は分からないが白山神社なのかもしれない。
社右側に小さな解説板が立っている。
解説には以下の様に書かれていた。
「平瀬温泉子宝の湯
天保12年(1841)、高山地役人の土屋秀世と山崎弘奏の両名は群代小野朝右ェ門の命により白山雷鳥を捕獲せんと登山した紀行の中で、大白川温泉につかり疲れを癒したと記されている。
天保以前から里人らに夏季を中心に親しまれていたようである。
この温泉は大正3年8月、平瀬の里人の奉仕により本格的な改修を行い、温泉と登山の宣伝につとめた。
その後、昭和36年大白川ダム工事用道路の開通を経て現在に至る。
約14㌔先の大白川ダムの畔から引湯している。
平瀬温泉は特に子宝の湯として、胃腸病や神経痛、リュウマチに著しい効果があるとして近郷にも名が知られる」
社の解説ではなかった。
当時独身だった身に「子宝」は無縁だけれど、山の疲れを癒してくれたのは良く覚えている。
大白川温泉のあるダム湖畔まで車で行けますが、がけ崩れで通行不能になる事が多く、う回路もないので運が悪いと孤立する立地条件です、天候の悪い時に気安く立ち入らない方がいい道の印象があります。
湖畔からは白山登山道の入口にもなっていて、今頃は山々の樹々が錦に染まっているのだろう。
狛犬(寄進年不明)
垂れ耳の小さな狛犬ですが、大笑いでもしているように大きく開いた口は愛嬌がある。
額は見当たらない。
平瀬温泉散策マップによれば白山神社とあるが詳細はよく分からなかった。
平瀬地区にはこれ以外にも白山神社が鎮座しておりキャンプ場から歩いて巡ってもいいかもしれない。
白山神社
創建 / 不明
祭神 / 白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)
所在地 / 岐阜県大野郡白川村平瀬
平瀬八幡神社
白山神社の向かいに北向きに白い明神鳥居が立っている。
境内へは緩やかな丘に続く石段を登っていきます。
八幡神社鳥居、額は「八幡神社」
参道から鳥居(1989年寄進)の眺め。
以前は平瀬集落の中央を国道156号線が通っていました。
今は集落の西外れに新道が作られ、若かりし頃の面影はなくなってしまった。
旧平瀬温泉共同浴場があった場所の南側に平瀬八幡神社の鳥居が立っています。
現在は浴場も解体され広い駐車スペースに変っています、かつての浴場を探し徘徊しても見つからなかったはずです。
その広場に当時の記憶にない社が鎮座していました。
今から40年程遡るが、旧平瀬温泉へは釣や登山の帰りに良く利用させて頂いた…見覚えがない。
小さな狛犬が守護する銅板葺の一間社流造。
豪雪地帯故に周囲は透明な樹脂板が張られている。
西側を向き鎮座する社、その先には霊峰白山がある、社名は分からないが白山神社なのかもしれない。
社右側に小さな解説板が立っている。
解説には以下の様に書かれていた。
「平瀬温泉子宝の湯
天保12年(1841)、高山地役人の土屋秀世と山崎弘奏の両名は群代小野朝右ェ門の命により白山雷鳥を捕獲せんと登山した紀行の中で、大白川温泉につかり疲れを癒したと記されている。
天保以前から里人らに夏季を中心に親しまれていたようである。
この温泉は大正3年8月、平瀬の里人の奉仕により本格的な改修を行い、温泉と登山の宣伝につとめた。
その後、昭和36年大白川ダム工事用道路の開通を経て現在に至る。
約14㌔先の大白川ダムの畔から引湯している。
平瀬温泉は特に子宝の湯として、胃腸病や神経痛、リュウマチに著しい効果があるとして近郷にも名が知られる」
社の解説ではなかった。
当時独身だった身に「子宝」は無縁だけれど、山の疲れを癒してくれたのは良く覚えている。
大白川温泉のあるダム湖畔まで車で行けますが、がけ崩れで通行不能になる事が多く、う回路もないので運が悪いと孤立する立地条件です、天候の悪い時に気安く立ち入らない方がいい道の印象があります。
湖畔からは白山登山道の入口にもなっていて、今頃は山々の樹々が錦に染まっているのだろう。
狛犬(寄進年不明)
垂れ耳の小さな狛犬ですが、大笑いでもしているように大きく開いた口は愛嬌がある。
額は見当たらない。
平瀬温泉散策マップによれば白山神社とあるが詳細はよく分からなかった。
平瀬地区にはこれ以外にも白山神社が鎮座しておりキャンプ場から歩いて巡ってもいいかもしれない。
白山神社
創建 / 不明
祭神 / 白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)
所在地 / 岐阜県大野郡白川村平瀬
平瀬八幡神社
白山神社の向かいに北向きに白い明神鳥居が立っている。
境内へは緩やかな丘に続く石段を登っていきます。
八幡神社鳥居、額は「八幡神社」
参道から鳥居(1989年寄進)の眺め。
正面が白山神社。
参道から眺める社殿。
社叢は主に杉で形成されているようだ。
石段を登り切ると境内を守護する様に狛犬(1982)が現れる。
境内右端に神酒殿。
ここはどぶろく祭りで振舞う「どぶろく」の製造施設。
毎年1月頃から新酒殿で仕込まれた「どぶろく」は、各場所毎に微妙に味を変え、祭り当日に振舞われます。
毎年9/25・26日、五穀豊穰、家内安全、里の平和を山の神に祈願する「どぶろく祭」を皮切りに、平瀬八幡神社以外の村内4神社も同様に行われていきます。
10/14・15は白川八幡神社、同16・17日は鳩谷八幡神社、同18・19日に飯島八幡神社と次々に開かれていきます。
その神事はどぶろくの振舞いの他に御神幸、獅子舞、白川郷で受け継がれて来た民謡や舞踊なども奉納されます。
境内右の手水舎、手水鉢。
龍口から注がれるはずの清水は止められ、鉢の内部は干上がって錆で赤く変色していた。
口を開けて佇む龍の姿は哀愁が漂う。
馬狩大窪神社、平瀬神社合祀記念碑。
平成2年(1990)6月とある。
馬狩大窪神社は全く知らない、ここから庄川左岸を下流に向かうと鳩谷ダムがあります。
その西山麗辺りに社名の地域がありますがそこからこちらに合祀されたものか?
合祀記念碑。
「昭和30年(1955)、関西電力鳩谷発電所大牧ダム築堤に伴い、大字大牧部落は全戸移転のため、祖先より氏神と崇敬し心のふるさととして親しみ仕へ奉る鎮守の社「大牧八幡神社」は氏子の縁も深く、当神社に合併、合祀した。
ここに10年祭を記念し当時の大牧八幡神社氏子代表者を記名し之を建てる。
昭和41年10月 馬狩八幡神社氏子一同」
岐阜県神社庁の平瀬八幡神社概説は以下。
「当神社勧請年代未詳。
古来当区の産土神なり。平成2年3月7日、白川村大字馬狩字カクラゴ308八幡神社と合併。
該社は明治18年10月同村大牧鎮座八幡神社より分祀産土神として奉祭す。
大正7年10月23日現在社殿新築」とあった。
大牧ダムとは鳩谷ダムの事で湖底に沈んだ集落の氏神をこちらに合祀したという。
都市の快適な生活も、ダム建設でふるさとを失う人々の協力の上に成り立っている。
九頭龍湖の湖畔にも故郷を追われた神社を合祀した「穴馬神社」があるけれど、そこにもこうした故郷を語り継ぐ碑が立てられていたのを思い出す。
庄川にも幾つもダムが存在するけれど、生まれ育った故郷を立ち退く代償は単に金銭でクリアできるものではないと思う。
境内は東西に長く、広い境内を持っている。
写真は南側にある建物で社務所だろうか?
平瀬八幡神社拝殿。
大きな唐破風向拝を持つ銅葺屋根の入母屋造りで千鳥破風を設けた堂々とした佇まい。
軒から下は白山神社同様に透明のパネルで囲われている。
拝殿額は「八幡神社」とある。
鈴紐は普通に下ろされており、思いっきり鳴らせられる。
そろそろ龍にも仕事をさせる時期が来ている。
拝殿側面から覆殿方向の眺め。
拝殿、幣殿、覆殿は屋根が繋がり、覆殿には5本?の鰹木と外削ぎの乗せ千木が施されている。
こうして見ると複雑な屋根の形をしている。
覆殿横まで回り込んで見たが、覆殿の板塀に遮られ本殿の姿は見る事は出来なかった。
神社庁概説に「大正7年社殿新築」とあったが、平成元年(1989)に社殿造営が行われたようだ。
平瀬 八幡神社
創建 / 不明
祭神 / 品陀和気命(応神天皇)
参拝日 / 2022/08/22
所在地 / 岐阜県大野郡白川村平瀬16
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毎年9/25・26日、五穀豊穰、家内安全、里の平和を山の神に祈願する「どぶろく祭」を皮切りに、平瀬八幡神社以外の村内4神社も同様に行われていきます。
10/14・15は白川八幡神社、同16・17日は鳩谷八幡神社、同18・19日に飯島八幡神社と次々に開かれていきます。
その神事はどぶろくの振舞いの他に御神幸、獅子舞、白川郷で受け継がれて来た民謡や舞踊なども奉納されます。
境内右の手水舎、手水鉢。
龍口から注がれるはずの清水は止められ、鉢の内部は干上がって錆で赤く変色していた。
口を開けて佇む龍の姿は哀愁が漂う。
馬狩大窪神社、平瀬神社合祀記念碑。
平成2年(1990)6月とある。
馬狩大窪神社は全く知らない、ここから庄川左岸を下流に向かうと鳩谷ダムがあります。
その西山麗辺りに社名の地域がありますがそこからこちらに合祀されたものか?
合祀記念碑。
「昭和30年(1955)、関西電力鳩谷発電所大牧ダム築堤に伴い、大字大牧部落は全戸移転のため、祖先より氏神と崇敬し心のふるさととして親しみ仕へ奉る鎮守の社「大牧八幡神社」は氏子の縁も深く、当神社に合併、合祀した。
ここに10年祭を記念し当時の大牧八幡神社氏子代表者を記名し之を建てる。
昭和41年10月 馬狩八幡神社氏子一同」
岐阜県神社庁の平瀬八幡神社概説は以下。
「当神社勧請年代未詳。
古来当区の産土神なり。平成2年3月7日、白川村大字馬狩字カクラゴ308八幡神社と合併。
該社は明治18年10月同村大牧鎮座八幡神社より分祀産土神として奉祭す。
大正7年10月23日現在社殿新築」とあった。
大牧ダムとは鳩谷ダムの事で湖底に沈んだ集落の氏神をこちらに合祀したという。
都市の快適な生活も、ダム建設でふるさとを失う人々の協力の上に成り立っている。
九頭龍湖の湖畔にも故郷を追われた神社を合祀した「穴馬神社」があるけれど、そこにもこうした故郷を語り継ぐ碑が立てられていたのを思い出す。
庄川にも幾つもダムが存在するけれど、生まれ育った故郷を立ち退く代償は単に金銭でクリアできるものではないと思う。
境内は東西に長く、広い境内を持っている。
写真は南側にある建物で社務所だろうか?
平瀬八幡神社拝殿。
大きな唐破風向拝を持つ銅葺屋根の入母屋造りで千鳥破風を設けた堂々とした佇まい。
軒から下は白山神社同様に透明のパネルで囲われている。
拝殿額は「八幡神社」とある。
鈴紐は普通に下ろされており、思いっきり鳴らせられる。
そろそろ龍にも仕事をさせる時期が来ている。
拝殿側面から覆殿方向の眺め。
拝殿、幣殿、覆殿は屋根が繋がり、覆殿には5本?の鰹木と外削ぎの乗せ千木が施されている。
こうして見ると複雑な屋根の形をしている。
覆殿横まで回り込んで見たが、覆殿の板塀に遮られ本殿の姿は見る事は出来なかった。
神社庁概説に「大正7年社殿新築」とあったが、平成元年(1989)に社殿造営が行われたようだ。
平瀬 八幡神社
創建 / 不明
祭神 / 品陀和気命(応神天皇)
参拝日 / 2022/08/22
所在地 / 岐阜県大野郡白川村平瀬16
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