四間道の屋根神さまと子守地蔵尊

名古屋の古い町割りの通りを歩いていると、軒下に祀られた大小様々な祠を見かける事があります。

 専修寺から四間道方向に向け少し歩いた西区那古野1-33。
狭い路地の一画、軒下に立派な唐破風の覆屋が見えてきます。

四間道の屋根神さまと云えば必ず取り上げられる知られた存在。

 軒を連ねる重層長屋の軒下に建てられた立派な覆屋が視界に入ってきます。
視界に入らなかったとしても、白い「子守地蔵尊」の幟は嫌でも目に入ってくるでしょう。
 路地の正面はお洒落な飲食店が多い四間道。

那古野1-33「屋根神」
 銅葺葺の唐破風の下には、造までは良く見えないが立派な社が祀られている。 

名古屋市博物館の屋根神さまの概説は以下。
「民家の屋根に設けられた小さな祠は「屋根神様」などと呼ばれ、名古屋市域で多くみられる。
 「軒の神様」、単に「神様」などと呼ばれることもある。
場合によっては軒下や台の上などで祀られ、このような信仰の形は全国的にみても珍しい。

 昭和50年から51年にかけて行った屋根神の実態調査によると、分布は千種区2、東区36、北区6、西区129、中村区26、中区9、昭和区4、瑞穂区4、熱田区12、中川区16、市外10と圧倒的に西区が多い。
屋根神のはじまりは明治初期からで、昭和初期に広まったと考えられている。
 屋根神には津島神社熱田神宮秋葉神社の三社が祀られることが多く、住居が密集した下町で祀られる。
特に火事の被害は深刻な問題であり、火難除けで有名な秋葉神社が祀られた。
 また、疫病を防ぐ天王信仰で有名な津島神社が屋根神の信仰に結びついたのは、人口の多い町では伝染病もまた深刻な問題であったためである。
火難や疫病除けの信仰に熱田神宮の信仰も加わり、屋根神は様々な性格を持つ神様としてまつられたのである」

調査から既に半世紀を経て、建物の建替や屋根神を維持する組への加入者減少などを背景にその数は更に減少している事だろう。
 幸いにも四間道周辺の狭い範囲には、今も複数の屋根神が残っています。

那古野1-33の屋根神さまはその中でも規模の大きな部類に入ると思われます。

 覆屋の木鼻や梁の透彫り、兎毛通の彫など、手の込んだ意匠が施されている。
祭神は津島神社熱田神宮秋葉神社。 

屋根神
創建 / 不明
祭神 / 津島神社熱田神宮秋葉神社
所在地 / 名古屋市西区那古野1-33

屋根神さま右脇の白い幟の先には細い路地があり、突き当りの小さな堂が「子守地蔵尊

堂は瓦葺の小さなものですが、町内会と子守地蔵尊運営委員会が組織され綺麗に管理されています。

堂には立派な額「地蔵尊」と紫も鮮やかな幕が架けられ「子守地蔵尊」の提灯が吊るされている。

内部には以前は金色に光り輝いていただろう厨子が安置され、開けられた厨子の中に一体の地蔵が安置されていました。
 写真ではよく分からないけれど、地蔵の顔は筆で目と眉が描かれ、やさしい表情が窺える。

子守地蔵の由来は定かではないけれど、祠の前の解説には以下の様に記されていた。
地蔵尊研究家の調査から宝永7年(1710)の作とされる。
其の後事故に依り地中に埋もれ、約120年前現在の御堂の20㍍南に井戸を掘っていた際に発見された。
 御佛の御名にあやかり子守地蔵尊と呼ばれ近隣の信仰を得て居ります。
明治28年(1895)現在御堂が再建され今日に至る。
 大祭 8/23~24
子守地蔵尊運営委員会」とある。

 解説を見て井戸を探して見たが見つける事は出来なかった。

子守地蔵尊
所在地 / 西区那古野1-34 

屋根神さまから四間道に出る。
 屋根神誕生のきっかけにもなった、家屋が密集するこれまでの道幅に比較すると広々とした道幅で、東側には蔵が連なっている。
一度火の手が上がれば延焼は免れない、密集地の四間(約7㍍)の道幅は、そこで延焼を食い止めるバッファーの役割を持つ、云わば100㍍道路のミニチュアでもある。
 
四間道の屋根神さまと子守地蔵尊
参拝日 / 2022/10/12
専修寺から徒歩ルート / 南東へ​2分
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