春日井市大泉寺町の八幡社から、車で北へ15分程の小牧市野口の八幡社を訪れた。
というか、小牧ワイナリーを訪れた際、ワイナリー入口に鎮座していたので立ち寄ったのが正直なところ。
尾張三山の一つ尾張白山の南の裾野にあたり、小牧市北東部の丘陵地帯で、古くは春日部郡篠木荘野口村と呼ばれ、中腹の大山、野口一帯は古くから人が居住し6~7世紀に作られたとされる複数の古墳が点在する。
地内を東西に流れる大山川は、新川となり伊勢湾に注いでいる。
社頭は大山川右岸沿いを走る県道178号線の八幡社南交差点角にあたり、信号と並ぶように石の明神鳥居が立っている。
参道先の杜の入口には赤い両部鳥居を構えている。
訪れた10/5、社頭には八幡神社の神社幟が立てられていた。
両部鳥居から社殿方向の眺め。
左に手水舎があり境内は二段に作られている。
龍はお休み。
石段の先に白い拝殿が見える。
10月とはいえ、杜の中に入ると未だに蚊が襲ってきた。
石段右脇に小さな社が祀られ、その先の境内に白い拝殿。
石段脇の社は厳島社。
広島県の世界文化遺産に指定されている厳島神社が総本社。
宗像三女神を祭神とし、その中の市杵島姫命は神仏習合時には仏教の女神弁才天と同一視される。
八幡神社の由緒含め、水の神様がいつ頃この地に祀られたのかそれを伝えるものはなにも見当たらなかった。
八幡神社社殿全景。
一段上がった先が本殿域で左右に境内社と神楽殿が主な伽藍。
本殿域左の眺め、左の建物は祭器庫か?
ここから本殿にかけてこんもりと盛られた社地の上に建てられている。
幣殿前に一枚の貼り紙があり、記載されたURLにアクセスすると以下の八幡神社概説に辿り着いた。
内容は以下。
「祭神 応神天皇、天照大神、日本武尊。
由緒 貞観15年(873)創建と伝えられますが、定かではありません。
本殿は前方後円墳の上に鎮座しています。
江戸時代までの祀職は、鵜飼家により襲職されていました。
年中祭事
1月1日歳旦祭、3月第3日曜日祈年祭(第3日曜日が15日の場合翌週)、10月第2日曜日例祭、11月23日直前日曜日新嘗祭。
境内には尾張白山社の遥拝所もあります」
と説明されていた。
出土品等の紹介こそなかったが、このこんもりとした盛り上がりは前方後円墳の痕跡のようだ。
大山、野口古墳群では主に横穴式の石室を持つ古墳が点在し、須恵器など出土しているという。
八幡社本殿が建つこの場所もその中の一つのようです。
幣殿全景。
切妻瓦葺で本殿を囲む様に白壁で繋がる。
本殿域を守護する狛犬は昭和15年(1940)寄進のもの、胸板の厚い逞しい容姿をしている。
幣殿から本殿域の眺め。
大正12年(1923)に出版された東春日井郡誌、そこに八幡社について記されていた。
「篠岡村大字野口字惣門2207番
社格 村社
祭神 応神天皇、日本武尊、天照大神
例祭日 陰暦8月22日
由緒 社伝明らかならず、然れども此地お猿堂、車道等の名称残りて、古くは、社殿など荘厳なりし由言い伝えり。
蓋し車道は、往古の祭礼に山車を引ける道路にして、お猿堂とは、神苑の一隅ならん。
古来より、延喜式内小口神社は此社なる由口碑に伝たえり。
小口神社は延喜式に、山田郡小口神社、國帳に従三位小口天神又尾張國内神名牒山田郡二十四座の中、従三位上小口天神とあり。」とあった。
「延喜式内小口神社は此社なる」は定かにはならなかった、一部に弘化2年(1846)の村絵図に描かれているとの事なので絵図を物色する事にした。
いずれにせよ、伽藍の新しさから想像できない長い歴史を持ち、古くから野口集落の氏神として受け継がれて来た神社のようです。
古墳上に建つ本殿、後方全景。
こうして見ると古墳だったとは思えない。
左から山神社、御嶽神社、役行者。
それらの後方にある社が分からなかった、ここでは不明社としておきます。
「境内に尾張白山社の遥拝所」とあったが、それがこの社にあたるのかもしれない。
神社北側から社叢の眺め、少し離れて見れば古墳らしさが漂うか。
この野口一帯は古墳だけでなく、大山廃寺跡など古来の遺構や古刹が残り、神仏習合時は一帯が隆盛を誇ったのだろう。「荘厳なりし由言い伝え」とはそうした姿を形容したのかも知れない。
尾張三山周辺、寺社や古墳巡りとウォーキングにも退屈しない場所かも知れない。
野口 八幡社
創建 / 不明
祭神 / 応神天皇、天照大神、日本武尊
境内社 / 厳島神社、津島社、秋葉社、山神社、御嶽神社、不明社
例祭 / 10月第2日曜日
所在地 / 小牧市野口2207
大泉寺町八幡社🚗野口 八幡社 / 北へ15分程
参拝日 / 2022/10/05
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