今回は深田の里の臼杵石仏群に挟まれるように鎮座する日吉神社。
マップの赤丸エリアが日吉神社の鎮座地。
社頭は臼杵石仏公園の西に位置し、参道は古園石仏に続く歩道を横切り、苔むした石段が鬱蒼とした森の中に消えていきます。
臼杵石仏公園から日吉神社の杜。
右はホキ石仏第2群の覆屋、鳥居左方向に進むと古園石仏に続きます。
日吉神社は集落、雨、学問を司る守護神として祀られた古社で、祭神は大山咋神、大山祇神、菅原神、水分神(みくまりじ)を祭祀します。
往古は「山王社」とも「山王宮」とも呼ばれ、鳥居の先に見える小倉山満月寺の鎮守として創建されたと云う。
鳥居が寄進された天明5年当時に山王宮と呼ばれていた頃の名残なのでしょう。
鳥居からは、杜の中に続く苔生した石段を上り進めます。
日吉神社はこの石段を上り詰めた小高い頂、山王山石仏の直上あたりに鎮座します。
ここからは足元の滑りやすい石段が続き、鬱蒼とした杜に包まれた静寂が漂う神域に入っていきます。
最初の石段を直登すると参道は左に続き、写真の様な上りやすい石段に変わります。
上り始めて5分程、ここを上り切れば境内が広がります。
ニノ鳥居(寄進年未確認)も石の明神鳥居。
境内にはこの他に同様の鳥居が更に二つ建てられています。
過去の修復履歴は不明で、現在の伽藍は右手の切妻瓦葺の平入拝殿と本殿に続く渡廊の伽藍で、拝殿左には土俵が設けられています。
沿革は1873年(明治6)村社、1884年(明治17)深田村字山神に鎮座した大山祇神を合祀、1885年(明治18)本村字観音寺に鎮座した菅原神、水分命を合祀。
ニノ鳥居手前左側に草木に包まれた手水鉢(寄進年未確認)と後方は石灯籠の竿だろうか。
日吉社の杜はイチイカシやコジイなど実を付ける樹を主とした森林で、地域古来の植生を残す自然林で学術的に貴重な森で、県の天然記念物に指定されている。
天に向かって聳え、広く枝を張る姿に自然の力強い生命力を感じます。
今時のグルメな熊や猪はこれらの実はお口に合わないかも知れない。
社殿全景。
華美な意匠のない素朴なもので、樹々に包まれた環境なので湿気が多く、風の通りも良くないせいか社殿の傷みが目立った。
後方の本殿は外削ぎの千木に5本?の鰹木が施された一間社流造。
拝殿右に日吉社由来が掲げられていた・・・が写真に収めるも読み取れない、想像を交えメモを取るしかない。
「日吉社由来
祭神 大山咋神、大山祇神、菅原神、水分神(みくまりじ)
由緒
当神社はその昔、小倉山満月寺の鎮守の社として創祀されたと云われる。
天正年中(1573~1592)に大友義鎮(宗麟)の破却により、記録滅失し、寺院、石仏共々その創立は不詳。
大山咋神は村藩(?)の守護神、大山祇神は山林・国土を守護、菅原神は広く学問の神として知られ、水分神は雨水を分配し五穀豊穣をなす灌漑を司る神である。」
拝殿から本殿。
内部には山王宮の日吉神社と記された額が掛けられていた。
鈴の音が静けさに包まれた境内に良く響く、下で待つかみさんの到着した合図でもある。
本殿全景。
脇障子には手間をかけた彫刻が施されていました。
本殿前には白い狛犬の姿がある。
本殿前の狛犬。
白ではなく全身朱だったのか?
斑に剥離した色合いから元の色合いは想像できない。
耳垂れで犬らしい体形をしており、目と口周りに金色で塗られていた名残が見られました。
素材は木か?
拝殿左の土俵。
境内の二つの鳥居と間に石の祠が祀られていた。
境内にはこの祠以外に、本殿の両脇にこうした石の祠が祀られています。
ふたつの鳥居の先が気になるがここまでにしておこう。
本殿左の三つの石の祠、詳細は不明。
本殿右に点在する祠の数々、詳細は不明。
何れも苔むし、祀られてからどれだけの年月を重ねてきたのだろう。
左の祠には石像が祀られていて、像容は仏と云うより武士の様にも見えるがよく分からない。
参道を上り切った鳥居を二ノ鳥居と書かせてもらいましたが、深田の里入口の国道502号線脇の稲田の中にポツンと立っていた「深田鳥居」が実は一ノ鳥居なのかもしれません。
随分と時間を取ってしまったのでそろそろ下に降りる事にします。
日吉神社
創建 / 不明
祭神 / 大山咋神、大山祇神、菅原神、水分神
所在地 / 大分県臼杵市深田218
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参拝日 / 2022/10/26