既に掲載した小牧市野口の八幡社から山間に車を進める。
小牧とは思えない深い森とカーブが連続する狭い道を上っていきます。
やがて道は二手に分かれ、右に進むと広い駐車場で行きどまり。
入口に写真の「兒神社」の石標と「史跡大山廃寺跡」の石標が立っているので目印になるでしょう。
この駐車場が今回の目的地「兒神社」の駐車場。
石標脇の「史跡大山廃寺跡」の解説板。
「大山廃寺、白鳳時代から中世にかけて存続した山岳寺院跡」。
塔跡の礎石や各所に建物跡が残る。
昭和49~53年まで発掘調査が行われ、兒神社境内から平安時代の掘立柱の建物三棟、中世の礎石建物二棟など発見され、塔跡のみの国指定史跡から寺域全体に指定範囲が拡大された。」
今回大山廃寺跡の塔跡までは行っていませんが、兒神社とこの史跡は切り離せないので記載しておきます。
上は1923年(大正12)に出版された東春日井郡誌に「大山廃寺跡と兒神社」について記載されていたのであげておきます。
石標から右に進むと写真の駐車場で道は途絶えます。
兒神社は突き当りの先に鎮座します。
訪れたのが10/5という事で、周辺の山々が紅葉するには少し早かった。
代わりと云ってはなんですが、周辺、境内には蚊が多く、二人ともボコボコに刺されました、活動時期に訪れる際は虫除けは必須かもしれない。
蚊ごときなら危害はないが、無人の社地は獣に遭遇しそうな雰囲気が漂っている。
駐車場から兒神社社殿は目の前。
入口に大山廃寺塔跡、礎石建物跡の道標が立つ。
道標から右に進むと目の前に境内と拝殿が見えてくる。
人里離れた山中に鎮座するので荒れた神社をイメージしていた。
しかし切妻瓦葺の吹き抜け拝殿や境内は枯葉に埋もれる事もなく、綺麗に手入れされ、人の気配を感じられる神社です。
麓で神社幟を見かけたが、兒神社社頭は麓にあるのだろうか。
今更戻るのもなんだ、帰りに寄ってみようと思いつつ、寄り忘れてしまい社頭の光景はなし。
拝殿から更に右に進むと石灯籠、その先に神明鳥居が建てられ、両脇に神社幟がはためく。
笠木の先端が欠け落ちた神明鳥居(寄進年不明)と燈籠。
鳥居から下を覗くと石段が下に続いてた。
鑿跡の残る燈籠の竿には安永(1772~1781年)の文字が刻まれていた。
鳥居の前から社殿方向を眺める。
写真の右手が礎石建物跡だと云う。
傍らに解説が置かれていたが苔に覆われよく分からない。
位置的に鳥居の西側なのだが、囲われている訳でもなく、「これが礎石だね」と思うものは見つけられなかった。
燈籠の先の兒神社社標。
明治18年(1885)と刻まれ、下に右善光寺とある。
拝殿から本殿方向の眺め、拝殿とは書いてはみたものの、ひょっとすると神楽殿なのかも。
拝殿右手の手水舎。
鋭い爪を持った龍がいるが、その口からは清水は注がれていなかった。
この手水舎から下に道が続き、その先の石尊不動明王へ続く。
社殿全景。
結構急な石段を上ると右手が社務所、中央が幣殿だろうか。
石段の両脇に狛犬の姿がある。
狛犬側面。
どちらも口を開け、背中をピンと伸ばし胸を突き出す姿、とても姿勢のいい姿だ。
毛並みなどは輪郭として描き、立体的な彫り方はしていない、素朴で好感が持てる。
台座には「〇和11年」と刻まれている、拡大すると昭和と読めなくもない。
斜めから見る狛犬。
右の狛犬は姿勢を正しながらも口元がにやけた表情をしているように見える。
結構お気に入りの狛犬のひとつになりそうだ。
幣殿から本殿方向。
本殿域は白壁で囲われ、本殿は脇障子を持つ流造のように見えます。
創建は久寿2年(1155)創建とされ、祭神は天照大神、少彦名神、多聞童子、善玉童子、禰宜。
現在までの沿革は不明。
先の解説にある様に、嘗てこの地には「大山峰正福寺」が存在した。
由緒、創建などは不明だが、往時は比叡山と並ぶ寺勢を誇っていたことが伺われる。
仁平2年(1152)に比叡山延暦寺の僧兵に攻め込まれ堂宇は悉く焼き尽くされた。
その際、僧1名と2名の子供の修行僧が亡くなった。
入口に写真の「兒神社」の石標と「史跡大山廃寺跡」の石標が立っているので目印になるでしょう。
この駐車場が今回の目的地「兒神社」の駐車場。
石標脇の「史跡大山廃寺跡」の解説板。
「大山廃寺、白鳳時代から中世にかけて存続した山岳寺院跡」。
塔跡の礎石や各所に建物跡が残る。
昭和49~53年まで発掘調査が行われ、兒神社境内から平安時代の掘立柱の建物三棟、中世の礎石建物二棟など発見され、塔跡のみの国指定史跡から寺域全体に指定範囲が拡大された。」
今回大山廃寺跡の塔跡までは行っていませんが、兒神社とこの史跡は切り離せないので記載しておきます。
上は1923年(大正12)に出版された東春日井郡誌に「大山廃寺跡と兒神社」について記載されていたのであげておきます。
石標から右に進むと写真の駐車場で道は途絶えます。
兒神社は突き当りの先に鎮座します。
訪れたのが10/5という事で、周辺の山々が紅葉するには少し早かった。
代わりと云ってはなんですが、周辺、境内には蚊が多く、二人ともボコボコに刺されました、活動時期に訪れる際は虫除けは必須かもしれない。
蚊ごときなら危害はないが、無人の社地は獣に遭遇しそうな雰囲気が漂っている。
駐車場から兒神社社殿は目の前。
入口に大山廃寺塔跡、礎石建物跡の道標が立つ。
道標から右に進むと目の前に境内と拝殿が見えてくる。
人里離れた山中に鎮座するので荒れた神社をイメージしていた。
しかし切妻瓦葺の吹き抜け拝殿や境内は枯葉に埋もれる事もなく、綺麗に手入れされ、人の気配を感じられる神社です。
麓で神社幟を見かけたが、兒神社社頭は麓にあるのだろうか。
今更戻るのもなんだ、帰りに寄ってみようと思いつつ、寄り忘れてしまい社頭の光景はなし。
拝殿から更に右に進むと石灯籠、その先に神明鳥居が建てられ、両脇に神社幟がはためく。
笠木の先端が欠け落ちた神明鳥居(寄進年不明)と燈籠。
鳥居から下を覗くと石段が下に続いてた。
鑿跡の残る燈籠の竿には安永(1772~1781年)の文字が刻まれていた。
鳥居の前から社殿方向を眺める。
写真の右手が礎石建物跡だと云う。
傍らに解説が置かれていたが苔に覆われよく分からない。
位置的に鳥居の西側なのだが、囲われている訳でもなく、「これが礎石だね」と思うものは見つけられなかった。
燈籠の先の兒神社社標。
明治18年(1885)と刻まれ、下に右善光寺とある。
拝殿から本殿方向の眺め、拝殿とは書いてはみたものの、ひょっとすると神楽殿なのかも。
拝殿右手の手水舎。
鋭い爪を持った龍がいるが、その口からは清水は注がれていなかった。
この手水舎から下に道が続き、その先の石尊不動明王へ続く。
社殿全景。
結構急な石段を上ると右手が社務所、中央が幣殿だろうか。
石段の両脇に狛犬の姿がある。
狛犬側面。
どちらも口を開け、背中をピンと伸ばし胸を突き出す姿、とても姿勢のいい姿だ。
毛並みなどは輪郭として描き、立体的な彫り方はしていない、素朴で好感が持てる。
台座には「〇和11年」と刻まれている、拡大すると昭和と読めなくもない。
斜めから見る狛犬。
右の狛犬は姿勢を正しながらも口元がにやけた表情をしているように見える。
結構お気に入りの狛犬のひとつになりそうだ。
幣殿から本殿方向。
本殿域は白壁で囲われ、本殿は脇障子を持つ流造のように見えます。
創建は久寿2年(1155)創建とされ、祭神は天照大神、少彦名神、多聞童子、善玉童子、禰宜。
現在までの沿革は不明。
先の解説にある様に、嘗てこの地には「大山峰正福寺」が存在した。
由緒、創建などは不明だが、往時は比叡山と並ぶ寺勢を誇っていたことが伺われる。
仁平2年(1152)に比叡山延暦寺の僧兵に攻め込まれ堂宇は悉く焼き尽くされた。
その際、僧1名と2名の子供の修行僧が亡くなった。