四柱(よはしら)神社 (松本市大手)

9月13・14日と長野県安曇の白骨温泉を訪れ、帰りに参拝したのが四柱神社
 松本市のほゞ中央に位置し、松本城や松本美術館もほど近い。

社頭前を流れる女鳥羽川、東の袴超山から松本市内を流れ下る、ゴミ一つない河川敷と澄んだ流れはとても羨ましく思う。
 橋の前方は四柱神社の大鳥居に続く。

女鳥羽川に架かる幸橋から上流側の中の橋を眺める、更に上流は浅間温泉だ。

御幸橋
 大鳥居を過ぎ、この石橋を渡ると境内に至ります。
この趣のある石橋は明治天皇明治13年(1880)6月、信濃地方初の御巡幸の際、行在所(宿泊地)に四柱神社が選ばれ、それに合わせ造られた石橋。
 天皇が訪れる当日の午前に完成させたもので、午後に訪れた天皇は竣工したばかりの橋を渡って行在所に向かった。
そこから御幸(みゆき)橋と命名されたという。

御幸橋から眺める社殿。
 祭神は天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神天照大神の四柱。

社名の由来はここから来ている。
由緒は1872年(明治5)、筑摩県(長野県)松本に設置された神道中教院が起源で、1874年(明治7)に四柱の神を祀ったことから始まる。
・1879年(明治12)、この地に社殿を造営し、村社の四柱神社として遷座
1888年(明治21)、松本大火で社殿を焼失。
1924年(大正13)、社殿を再建。
・1959年(昭和34)、別表神社となる。

歴史自体は浅いものですが、松本市内にあって、創建以来地元から崇敬されている神社。
 そうした事もあり伽藍に古を感じさせる趣はあまりないかもしれない。

御幸橋を渡った左に手水舎。
 境内は鳩の楽園のようだ。

拝殿。
入母屋銅板葺で千鳥破風と唐破風向拝を持つ優美な姿のもの。

拝殿右の由緒。
 祀られる四柱の御神徳から全ての願いを叶えてくれる「願いごとむすびの神」

拝殿前の一対の狛犬大正13年寄進されたもの。

光り輝く飾り金具を多用していない拝殿は、落ち着いた佇まい。

 後方にNTTのタワーが聳え立っている。

拝殿向拝の彫飾り。
 意匠に拘った彫飾りも比較的少ないかも知れない。

拝殿から本殿方向の眺め。
 惟神(かんながら)、「神の意志に沿い、自身も自然に神の道にある」
揮毫は「右大臣???美」と見えるが、1872年神社創建前後に美の付く右大臣は・・・三條實美(実美)だったか?。

拝殿右に鎮座する恵比寿神社

その右側にある由緒。

祭神は大国主命事代主命、配祀は保食神
 昭和27年(1952)、島根県出雲大社から大国主命を、美保神社から事代主命を勧請。

境内東側の眺め。
 右手は松本市招魂殿の鳥居。
松本市出身戦没者の英霊が鎮まる。

西南の役、日清日露戦争で祖国のために亡くなられた旧松本市出身者を護国の神として祀るために創建され、その後の戦争による戦没者も合祀したもの。
 現在の社殿は伊勢神宮遷宮の古材を用い、平成27年(2015)に移築再建されたもの。
国難に瀕した祖国に住む家族や故郷を命をかけて護るため亡くなった方々、平和ボケした時代に生きる我々をどう見ているだろう、我々にそうした思いが持てるだろうか。
 この歳で予備自衛官制度は受けられない、遺憾の意を唱え続け、今の平和が維持し続けられればいいのだが。祈るしかない。

社務所全景。
 平日でありながら訪れる参拝者は途切れる事はなかった。

境内西側の伊勢神宮遥拝所と右に小さな社が祀られています。

三峯神社
 詳細は不明。

鳥居の先は伊勢神宮

四柱神社御朱印

参拝後は境内の社殿西隣りの蕎麦屋「こばやし本店」で食事も摂る事ができる。

あたかも神社直営蕎麦屋のような佇まいですが、どうやら全く関係はないようです。
 腰があって歯ごたえも良く、薬味に山葵、ネギ、おろしと付く、個人的にはおろしが一番合っていた。
写真はざる2枚重、ペロッと二枚たいらげられる。


四柱(よはしら)神社
創建 / 1874年(明治7)
祭神 / 天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神天照大神
境内社 / 恵比寿神社、招魂殿、三峯神社
所在地 / ​長野県松本市大手3-3-20
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