名古屋から近鉄で桑名駅まで約25分の電車移動。
かみさんが子供の頃に遠足で連れてこられた九華公園、当時の朧げな記憶を呼び起こすために寄ってみた。
三岐鉄道北勢線の起点でもあり、西桑名から員弁川左岸沿いをいなべ市阿下喜までの20.4㌔の区間を結び、幅の狭い軌道(ナローゲージ)で路線、写真は昭和35に製造されたク143。
四日市のあすなろう鉄道もそうですが、町中をこうした車両が走る姿は昭和生まれの者にはどこか懐かしい。
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桑名と云えば蛤と七里の渡し。
東海道53次の宮宿と桑名宿を結ぶ海上輸送の要衝。
熱田から船に揺られて辿り着くとそこが伊勢国の東の入口にあたります。
かみさん曰く、国営木曽三川公園桑名七里の渡し公園にも学校の遠足で来た記憶があるとかでそちらを目指す。
美濃街道を東に進み公園を目指していた途中、「北桑名総社北桑名神社」の社頭を通りかかる。
江戸時代始めからこの地に鎮座するという神社で、三崎神明社、今一色神明社とも呼ばれ今一色の産土神。
明治以降近隣の神社を合祀し社名も現在のものに改称したようです。
三崎神明社は慶長年間、桑名藩による町割りで慶長19年本多忠政が神殿を寄進し遷宮された云う。
佐之富神社、中臣神社は両社共に延喜式内社にも名が残り、代々の桑名城主の崇敬が厚く、寛永20年松平定綱により建立されたと伝わる。
祭神は天照大御神、鵜葦不合尊、高水上命、須佐之男命、天兒屋根尊、持統天皇、大山祇命。
五霊神社は明治41年合祀の際、この地に点在した小祀を一社に統合し、奉斎するようになり赤神様とも呼ばれ、桑名藩主の命で災害の無い事を祈り防火の神、八天宮が祀られた。
祭神は八天宮(火産御霊神)、稲荷大明神(宇迦御霊神)、金刀比羅宮(大物主神)、船魂社(神功皇后)、天神社(菅原道真)。
所在地 / 三重県桑名市堤原7
煉瓦蔵。
写真左の三棟の煉瓦造りの蔵は明治20年頃に創建されたもの。
当初は五棟連続の木造蔵だっと伝わり、明治28年に焼失し煉瓦造で再建された。
それも昭和20年の戦災で西側の2棟を失い、現在は3棟が現存する。
所在地 / 三重県桑名市太一丸19-3
桑名七里の渡し公園は煉瓦蔵の前を通った先になり、更にその先は揖斐川堤防。
おにぎりの様にも見えるが桑名だけに蛤だろう。
住吉神社。
ここから先が揖斐川、長良川、木曽川が隣り合う様に伊勢湾へそそぐ。
桑名宗社境外末社で、現在の社殿は揖斐川堤防改修整備が行われた平成15年に新しく建替えられたもの。
所在地 / 三重県桑名市
堤から東の眺め。
手前が揖斐川、その先は長良川と河口堤。
この辺りから揖斐川、長良川は流れを一つにします。
伊勢国一の鳥居。
東海道唯一の回路で伊勢国の東玄関にあたる事から一之鳥居が建てられている。
当初の鳥居は天明年間(1781~1789)に建てられ、この一帯には舟番所、高札場、脇本陣等が置かれ街道を行き交う人で賑わい桑名宿の中心として栄えたが、伊勢湾台風以降の改修に伴い往時の姿はありません。
七里の渡しの石標の後方に見える櫓は水門統合管理所で、水位に応じ周辺の水門の開閉作業を行う施設。
往事の蟠龍櫓の跡に建てられていて、外観は景観保全を意識し往時の姿を再現したものだと云う。
治水目的のためオランダ人技師団が招かれ、船頭平閘門の施工でも知られたヨハネス・デレーケが関わっている。
所在地 / 三重県桑名市船馬町34
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伊勢国一の鳥居から東海道を南進する、街道沿いは嘗て宿や食事処が立ち並んでいた面影が残る。
写真左の手打ちうどん「 □噌煮込 川市」で昼食。
はまぐり鍋うどん(@1,590)を頂く、かみさんは小鉢と天丼の付いたはまぐり本膳(@2,180)を頂く。
当日は日中も気温が上がらず、天気も雲が流れ込むと小雨が降る生憎の空模様。
冷えた体にグツ〃煮えたぎる鍋うどんは有難い。
はまぐりの風味が口に広がり桑名に来た?感じを味わえる。
個人的感想、はまぐりうどんを提供する店は他にもあり、それぞれ店の味があるのだろう。
ここは塩加減が強く、折角の蛤の風味を消してしまい、自分には合わなかった。
この値段が妥当なのか分からないが、「桑名だから蛤」に拘らなければ味噌煮込みランチ(@990)がお勧めかも知れない。
麺はいかにも手打ちそのものの美味しいものだった。
川市
所在地 / 三重県桑名市川口町32
本多忠勝像。
三の丸公園の南、柿安コミュニティパークに桑名城を築いた本多忠勝の銅像が立つ。
桑名藩初代藩主、徳川四天王の一人で桑名城下町の基礎作り、神仏の崇敬も厚かった。
背中の後ろに立てられた代名詞ともいえる蜻蛉切(とんぼきり)、飛び交うトンボが槍に触れるとスパッと真っ二つになるほどの切れ味だったと云う。
どっしりと腰掛け、先を見据える姿と表情は実にいい姿をしている。
所在地 / 三重県桑名市吉之丸5
かみさんが子供の頃感じた飾り気のなかった公園のイメージとかけ離れ、随分と整備され綺麗な公園に変っているようだ。
桑名宗社。
桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称で、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀る神社。
写真の青銅の鳥居は寛文7年(1667)の銘があり、笠木全面に紋が刻まれ、参道先に見える総門も古来桑名の総鎮守に相応しい立派なもの。
桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であることからの桑名の開祖として繁栄の神と崇敬されているそうだ。
拝殿は入母屋瓦葺で二つの唐破風向拝が並列に並ぶ。
延喜式神名帳伊勢國桑名郡にも記された古社で桑名神社、祭神 天津彦根命 天久々斯比乃命
境内には母山神社、皇大神宮御分霊社、桑名東照宮、春日稲荷神社が鎮座し、多くの限定御朱印始め、日吉社御朱印もこちらで頂ける。
見た事はありませんが、石取祭りはユネスコ無形文化遺産になっているそうだ。
毎年八月第一日曜日を本楽、前日を試楽として行われ、日本一うるさい祭りとも云われるそうです。
桑名宗社
所在地 / 三重県桑名市本町46
安永餅本舗 柏屋
桑名徘徊ルート
さて車中で飲む酒を買い求め、鈍行で牡蠣食べに行こう、目的地は志摩磯部駅、約2時間程の電車移動。
座席がとても暖かく眠りを誘う。
桑名から約2時間。
志摩磯部駅到着、この駅舎改札出口の天井はドーム状でカラフルなステントグラスが入るお洒落なものだ。
外観もレトロで、駅舎には時計台があるが、短針も長針も脱落し時刻盤だけというお茶目な時計台だ。
この駅から宿までは送迎バスで15分程、今夜の宿はいかだ荘山上。
ここで牡蠣を食べ尽くす(そんなに食べれないのだが・・)
いかだ荘 山上
的矢の牡蠣を食べさせてくれる事で知られる宿、今回は全国旅行支援を活用して訪れました。
前日に宿から電話があり確認かなと思いきや「ボイラーが故障し内湯が使えません、露天の家族風呂は使え、近隣の旅館の内湯までお好きな時間に送迎も致します、この状態でもお越し頂けますか?」との事だった。
「牡蠣を食べに行くのが目的なので伺いま~す」との事で訪れた。
家族風呂1。
普段は有料ですが希望者は予約し無料で一時間貸し切れました。
偵察を兼ね一人で訪れ、かみさんに状況報告「開放的で海の眺めも良く、湯加減もいいが外は寒い、家族風呂1で待つ」、すぐに「パス」の回答だった。
家族風呂で一人温まる、缶ビールでも持って来ればよかった・・・
湯上り後缶ビールで仕上げる、あとは牡蠣を食べるのみ。
いかだ荘では刺身や牛肉など豊富なプランがあるが、牡蠣オンリーの牡蠣食べ尽くしプランを選択。
ボイラーの件もあり、旅館から最初のアルコールはサービスとの事でビールを頂いた。
ワインの取り揃えも充実していたが、ここは日本酒!。
生牡蠣は伊勢志摩プレミアムオイスターと的矢牡蠣の選択が出来た、自分は的矢牡蠣、かみさんはプレミアムオイスターを選択。
写真は的矢牡蠣。
今年の牡蠣は生育が宜しくないようで身が小さく、プレミアムオイスターはそれより更に小さいという事だったが、十分でしょう。
潮の風味と牡蠣の風味が口の中いっぱいに広がる。
ワイルドな牡蠣の風味は的矢、旨味はプレミアムか?
プレミアムオイスターも本来別料金かもしれない、コースでは選択できないような気がする。
以前家族で食べ放題の牡蠣小屋を訪れた、蒸と焼きだけの無制限はさほど食べきれないもの。
ところで、付け合わせのレモンはmustなのかぇ、自分だけかもしれないがレモンは使わない派。
会社の会食などで、あもそもなく絞られるととても残念に思う方・・・・(評価下げてやる)。
からっと揚がった熱々のから揚げに容赦なくレモンシャワーが降り注がれると、冷めるしレモン風味になってしまう、それが残念でならないんです。
牡蠣尽くし、酒尽くし美味しい牡蠣をゆっくり頂き、テラスから的矢湾に陽が落ちていくのを眺める。
今夜は流星群がピークを迎える、起きてさえいれば見れそうだったが部屋に戻ってバタンキュー。
筏荘テラスからのは朝陽。
かみさんが内湯をリクエストしたのでフロントにお願いしに行ったときの光景。
車で近くの旅館 橘の内湯へ、湯あがりに旅館から見た朝陽を一枚。
朝陽の赤が加わり周囲の紅葉が燃え上がる。
宿に戻り朝食を頂き、チェックアウトの10時までゆっくりさせてもらう。
朝からビール、電車ならではの楽しみだね。
いかだ荘 山上
所在地 / 三重県志摩市磯部町的矢883-12
燃料補給も終え、チェックアウト。
お国からの補助金にクーポンも頂け、しかもボイラーで不便をかけたとの事で旅館からも割引をして頂け、宿泊代は一人1万を軽く切っていた。
牡蠣食べに来ただけなのだが随分といかだ荘には気を使ってもらえた、また利用させてもらうしかなさそうだ。
さて磯部駅から鳥羽方向の中之郷駅まで30分の電車移動。
帰路に着く前に中之郷から鳥羽城跡を徘徊し、鳥羽駅まで向かう。
旧鳥羽小学校から頂を目指す。
東側の眺望が開けると眼下に鳥羽の街並みと鳥羽湾の眺望が広がる。
鳥羽城跡。
野面積みの石垣が幾重にも築かれ名残を感じさせる。
本丸跡は運動場の様な広い空間で井戸跡など僅かに遺構は残る程度、少し前までは小学校の運動場だったようです。
ここから東の眺望は絶景、舟で攻めてくれば遥か先から見通せる。
鳥羽城址
所在地 / 三重県鳥羽市鳥羽3-1-1
本丸から北側の城山公園に向かうと鳥羽水族館やミキモト真珠島を見渡せる展望台に続きます。
最近流行りの文字モニュメント、分かりやすいので一枚。鳥羽に来たぞッと。
ここ電車を撮るには良いスポットかも知れないですよ。
鳥羽駅を出た車両が青い海を背景にしてカーブから現れる。
ここから更に北に進むと西側に小路があり、そこを降りると大山祇神社・白龍稲荷神社に出ます。
山の中腹に鎮座する小さな神社ですが、当日は境内がイチョウの落葉で黄一色に染まっていました。
冬本番もいよいよなんだろうか。
瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山積神社の末社で、横町、中之郷、藤乃郷、錦町の村社として1907年(明治40年)に建てられた神社だと云う。
1,594年(文禄3年)、九鬼嘉隆が鳥羽城築城の際、石垣が何度も崩れた事から、元城山に斎祀されていた大山祇神をこの地に移したところ、石垣は崩れる事無く鳥羽城が築城できたと伝わる。
祭神は大山祇神、草野姫命、猿田彦命をお祀りするようです。
大山祇神社・白龍稲荷神社
ここから更に下り、鳥羽市内の鳥羽駅方向へ、
焼貝 いろは
鳥羽駅からすぐ先のさざえストリート、ここはどこも新鮮な魚介を提供するお店が軒を連ね、こちらで昼食を摂る事に。
写真1番手前のお店がいろはです。
どこも声掛けに余念がなく、ついつい引っかかってしまったが単に貝だけではなく、右の「じこん」が冷蔵庫で冷やされているのを発見、それもあって入らせてもらった。
写真のひおき貝が二つで550円、サザエ二つで650円と比較的安価な価格設定で、貝を摘みに昼飲みするには嬉しいかもしれない。
写真の「じこん」はなかなか手に入らない、ネットでは10倍の価格で売られとても買えない。
今回の鳥羽行きで出逢うことを期待していたが漸く巡り逢えた。
フルーティーな口当たりで香りもフルーティー、貝によく合うお酒だった。欲しい一本ですが手に入らない。
一人二杯のんで貝は何回かお代わりして一人3,000円のクーポンで事足りた。
酒の銘柄も多く主に三重県産、桑名、津のお酒が揃っていた。
焼貝 いろは
所在地 / 三重県鳥羽市鳥羽1-8-5
鳥羽マルシェ
土産を買おうと鳥羽一番街に向かうも木曜は定休日、やむなく鳥羽マルシェに。
そこで出会ったサメ春巻き、これにかみさんが引っ掛かり、一つ購入。
サメは臭い印象しかないが、なにこれ、中のホワイトソースがしっかりした味で、サメの臭さも全くなくサメの存在を感じさせない、淡白な普通の魚に変身している。意外にサメもすてたものではないか。
大衆魚も捕れなくなり、なんでも食べていかねば。
商品名にサメと表記しなければ引くものも少ないかも、クリーム春雨、原材料サメ。
美味しかったです。
鳥羽マルシェ
三重県鳥羽市鳥羽1-2383-42
鳥羽駅。
一泊二日の貝三昧、かみさんも昔の記憶を辿り、あの頃を呼び戻す事が出来たようだ。
ここからは鈍行電車に揺られて伊勢を後にする、のんびり帰ろう。
お国の支援を頂き、お安く行けた事はいいのだが、その分はしっかり増税で回収されそうだ。
明日から再び粗食に耐えなければ。
2022/12/14~15
鳥羽市徘徊ルート