『諸大明神社』春日井市松本町宮下

春日井市松本町宮下「諸大(もろだい)明神社」
 春日井ICから北東約2㌔程の丘陵地に鎮座し、西に大学キャンパス、東の社頭前には県道508号線が走り、周辺は内津川に向けて田畑が広がる中に住宅が点在する。

県道から狭い道路を左に入ると右側に「諸大明神社」社標、常夜灯(1906年寄進)、鳥居(1956年寄進)を構えた社頭がある。
 鳥居の先の石段の上には綺麗なアイボリーの拝殿らしき姿が見えている。
社頭左に神社の解説が掲示されている。

その中で目を引いたのが1806年(文化3)に寄進された古い幟旗の画像。
 新しい社頭の外観から想像できない、古くからこの地に祀られてきた神社なのが窺われる。

鳥居から拝殿?方向を眺める。
 石段周辺は樹々が迫り鬱蒼とした雰囲気が漂う。

僅かばかりの石段を登り切ると正面に蕃塀が現れ、屋根越しに拝殿?妻壁の彫刻が目に入ってくる。
 鬱蒼とした杜に包まれた境内をイメージしたが、木漏れ陽の差し込む比較的明るい境内。

境内入口を守護する狛犬(寄進年未確認)。
 石段から仰ぎ見る姿が勇ましく見える。

境内社殿全景。

蕃塀から左の境内に手水石(寄進年未確認)と龍口があるが当日は清水が張られていなかった。

蕃塀から眺める社殿。

 手前は拝殿ではなく神楽殿の様で、コンクリート造りの靑瓦で葺かれた四方吹き抜けのもの。
奥の拝殿とは屋根で繋がり社殿全体はコンクリート造りのようです。

遠目に木彫りの妻壁飾りかと思っていたが、よく見ると美濃志野焼きの陶板で出来ている。
 上下二段に分かれ、下に獅子、上に龍が躍動感溢れる姿で描かれている。

拝殿から本殿方向を眺める。
 手前の石碑は改築記念碑。
こうして見る社殿は1970年(昭和45)に改築されたもので、その際にコンクリート造りを選択したのかもしれない。
 拝殿右から回り込んで本殿を窺うが、姿は良く見えなかった。

拝殿額は「諸大明神社」

 国常立尊日本武尊国狹槌尊を祀る。

拝殿右から本殿の千木を眺める。

1923年(大正12)に出版された東春日井郡誌に記された「諸大明神社」
 これによれば1730年(享保15)の棟札が残るとあり、幟旗の1806年(文化3)をさらに遡る。
又、冒頭の由緒に依れば養老年間(717~724年)にまで遡る古社のようです。
式内社物部神社、松原神社と推定する書物もあり、往古の篠木庄西部の総氏神と推定されるようです。

「庭中に六尺ばかりの大石あり、古気良不動石と名が付く」とありましたが、境内を見渡してみても古気良不動石と思われる大石は見当たらなかった。
 唯一の大石と云えば先に挙げた手水石くらいで、ひょっとするとこれが古気良不動石と思いたい。

境内社は金刀比羅社、市杵島社、秋葉社、子安社、愛宕社、稲荷社、御嶽社とある。

また社頭の解説に当時の御札の版木の写真があり、そこには諸大明神社と式内社物部神社との繋がりを示す「物部神社と記された」御札の版木が残るようです。

手水石付近で今では絶滅危惧種とさえ思える二宮金次郎像がある。
 その後方は二十二夜塔。

境内の二社。
 解説に依れば左が神明社、右が八幡社のようだ、東春日井郡誌に書かれている複数の境内社は見当たらなかった。

境内はここから右手の西に広がっていたが、祭礼用の空間だろうか、境内社の姿は見られなかった。

社叢は昔ながらの照葉樹林が残り、春日井市の保存樹林に指定されている。
 こうした濃い森も開発により減りつつある、猪が街に出たくなるのも分からなくない。

木漏れ陽に照らされた社殿は神々しい姿を見せる。

木造の蕃塀は控柱を持った大きなもので、社頭、境内側どちら側からも見通せず、俗世と神域はこの蕃塀が隔てている。

社頭に出て、何気に右に向かってみる。
 すぐ先の北側に社叢に隠れる様に常夜灯があり、その奥に複数の社が祀られていました。

道路の正面に社が三つ、その間に幾つか石標が祀られています。

石標は左は読み取れず中央が氏神、右が山神とある。

 三つの社は社名が分からず、間にある石標も文字が分からなかった。

複数の社群の先に一社だけ覆屋の下に祀られた社がある、これらが書かれていた境内社だろうか?
 何か違うような気もする、杜に続く小道もあり、その先に何かありそうです。
日を改めて、山道に踏み込んで見ようと思う、新たな気づきがあれば別途書き起こします。

諸大明神社
創建 / 不明
祭神 / 国常立尊日本武尊国狹槌尊
境内社 / 神明社、八幡社等
参拝日 / 2022/10/23
所在地 / ​春日井市松本町宮下504
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