『不乗森神社』愛知県安城市

安城市里町森。
 「日本のデンマーク安城」とか学校で教わった気がする、この日は親戚が借りる畑の落花生収穫の手伝いに駆り出された。

毎年この時期になると大量の野菜を持ってきてくれるが、今年初めて応援要請をしてきた、そこには「後は宜しく」という意味が込められているのだろうか。
 手入れの良い土も高齢の親戚一人が自給で維持するには畑は広すぎ。
さりとて自分が?・・・、自家菜園ですら上手く育てられない自分には到底無理だ。
 きちんと収穫まで育てられる方々の持つ経験と知識は尊敬に値する。
半日近く落花生を掘りだし、落花生の選別と雑草取り、屈んだ状態の作業が続き、一仕事を終えいざ立ち上がろうとしても固まった体は一向に動かなかった。
 畑作業から解放され、固まった体をほぐすため、最寄りの神社に参拝し帰ることにした。


安城市里町森に鎮座する不乗森(のらずもり)神社。

不乗森神社の遠景。
 デンマークと称されるだけに、日頃見慣れた住宅が林立しアスファルトばかりの光景とは程遠く、田畑が広がり解放感のある景色が広がります。

祭神は大山咋神を祀り、大山咋神の「咋」は「主」という意味で、山水を司り、大地を支配し万物の成長を守護する御利益があり、広く地主神として崇められている。
 広大な田畑が広がるこの地にあって、大山咋神が祀られたのも必然的なのものか。

南向きの社頭は左に社標、常夜灯、石の明神鳥居を構え、田畑の中に浮かぶ島の様にこんもりとした杜の奥へ参道が伸びている。
 参道の先には朱の合掌鳥居が見えますが、不乗森神社はこの先の神楽殿までに三つの鳥居を構えています。

一ノ鳥居の額。

参道を進むと左に手水舎、右に国のために亡くなられた方々の慰霊を弔う忠義護邦家の塔が建てられている。

手水舎、手水石。
 こちらの龍口は立派なもので、手水石の上に全身が形作られ、恰も今ここにやって来たかのよう。

社務所の南外れの水田、そこに立つ鳥居の額には「神殿」とある。
 ここから先の水田は神のもの、収穫された米は神様に供えられる。
神様もこうして自給している。

ニノ鳥居は朱の合掌鳥居。
 日吉神社などでお目にかかりますが、身近で見かけることが少ない者から見ると、その姿は個性的な形をしている。

二ノ鳥居から右手境内の杜の中に石の明神鳥居があり、こちらを参拝する。
 鳥居の先の赤い社は神猿(まさる)神社。
合掌鳥居で知られる日吉神社と云えば猿、こちらもこうして神猿(まさる)神社が祀られています。
 詳細は不明。
キャンプ場で見かける猿は悪戯しかしない厄介者で集団は怖い存在なのだが、なんでも、魔が去るとされ猿は縁起の良いものだとか。

参道に戻り三ノ鳥居へ。
 参道脇で狛犬が守護する鳥居は明神鳥居。
金色に縁どられた額は「不乗森神社」。

寄進年未確認の狛犬

切妻瓦葺の神楽殿
 拘った意匠は避けたシンプルなもので神楽殿を一対の狛犬が守護しています。

1955年(昭和30)寄進の狛犬
 筋肉もりもりのマッチョな姿をしている。
頭部と体の比率に決まりがあるのか定かではないが、これくらいの比率が見ていてもバランスが良く、好きな体形。

楽殿内部。
 本殿側に額が掛けられ、他にも1885年(明治18)の鴨緑江大激戦の様子が描かれた奉納額など掛けられていた。川の向こうに見える相手はプーチンか? 

拝殿とそれに繋がる透塀、棟飾りには二葉葵の紋が入る。
 拝殿前を一対の狛犬が守護…ではなく人の様な像が置かれています。

神猿。
 神の使いとして烏や鹿などあるが、こちらは猿が使いのようです。
阿形、吽形ともに膝を立てリラックスした姿で座り込んでいる。
 畑仕事を終え、立ち上がれない自分の姿に見えてならない。

拝殿額と内削ぎの千木と鰹木が施された本殿。
 本殿は杜に包まれ詳細は不明。


不乗森(のらずもり)神社の創立は、第63代冷泉天皇の御代(967~969)近江国坂本村(大津市坂本町)に鎮座する日吉大社東本宮の祭神大山咋命の御分霊を観請して奉斎したと伝わる古社。

 社頭は、旧鎌倉街道沿いの野路の宿(現在の知立市八ッ橋町)と共に宮橋の里と称する駅次の所在地で、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり馬に乗る者は下馬して拝礼の後に通行したと云う。
故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社と改められた。

長い歴史を持つだけに庶民はもとより、武将からの崇敬も厚く、此の地の領主水野右衛門忠政、稲垣信濃守重祥、本多中務大輔忠良、板倉内膳正崇敬等からの尊崇があつく、祈願のため献納された品々は、神宝として保存されていると云う。
 社頭の社標は東郷平八郎の執筆によるもの。

広い境内には神猿神社の他に、神明社、東日吉社厳島社、秋葉社、山神社、津島社、稲荷社等境内社も多く祀られています。

拝殿左の境内、手前の大きな覆屋は土俵か?その奥に二つの社が祀られています。


右が山神社。

左が神明社、祭神は天照皇大神


土俵から南に水みくじ

土俵の左に祀られていた朱も鮮やかな不明社。


境内は桜やもみじの樹も見られ、訪れた時(11/12)のもみじは陽光に透かされた緑がとても綺麗な時期でした。

天満社(左)とさざれ石。

子安石。
 仲睦まじい姿の像だね。

拝殿右の境内社

二つの赤い社は右が稲荷社(蒼稲魂命)、左が津島社(須佐之男命)。


切妻瓦葺の東日吉社、棟瓦にも「東日吉」の社名が入っている。
 祭神は大山祇命

その右が入母屋瓦葺の秋葉社
 祭神は火産霊命。


 その右に厳島社、市杵島姫命を祀る。

 猿田彦命を祭神とする社口社。


 境内右側に安置される幸福釜。

古くから伝わる湯立て神事(3月9日)で使われる釜。
 この釜で湯を沸かし豊凶を湯占するものらしく、米、麦、綿、豆、粟、文字を紙に書き神前に供へ祝詞を奏上し、その後釜の中に入れて笹でかきまぜる。
一般参拝者は、釜の上の御弊を湯にしめし、身の痛い部分につけると癒ると伝わり、安城市の民族無形文化財指定されていると云う。

 その傍らに安置されている三猿。
歳を重ねてもこうは出来ないもの、隠れミッキーではないが、境内のあちらこちらに猿をモチーフにした小物が見られる。

境内の右の境内社から脇参道が伸び、ここにも社標が立てられている。

 その脇に明治24年に寄進された手水鉢とお休み中の龍がいる。

帰りはここから神社を後にしよう。
 社頭南に大きな駐車場があり、一ノ鳥居まで近かったのですが、自分のナビは社地東の細い道に誘導し、竹林脇の小さな駐車場まで導いて案内を終えてしまった。

駐車場から一ノ鳥居を探し歩いた通りを再び戻る。
 社地沿いに宝篋印塔や石塔が並んで安置されているが詳細は分からない。
駐車場に戻り、ポンコツナビに帰り道に立ち寄り出来る神社をセットし帰路につく。
 「案内を開始します…」と云ってくれるものの、頼むよ、土地勘がないのだから。

不乗森神社
創建 / 冷泉天皇の御代(967~969)
祭神 / 大山咋神
境内社 / 神猿神社、天満社、神明社、東日吉社厳島社、秋葉社、山神社、津島社、稲荷社
所在地 / ​愛知県安城市里町森38-132
参拝日 / 2022/11/12