中村家と屋根神様

名古屋市西区那古野1「中村家と屋根神様」

浅間神社の南側の路地を西に向かい、二つ目の交差点を右へ進むと円頓寺商店街に続く路地が伸びている。

円頓寺方向の眺め。
 その昔は写真の様な町屋が軒を連ねていたのだろう。
壁一枚で臨家と接した建物も、新しい建物に置き換わり、今ではその連なりも一部歯抜けになったり、分断された建屋が連なる光景に移り変わっている。
 それでも、表通りはコンクリートの四角いビルが立ち並び、見上げるようなビルも聳えているが、一歩入ればこうした街並みが一部に残り、どこかホッとする場所でもある。
中央の木造瓦葺の建物が中村家で二階軒下に祀られた屋根神様が今回の目的地。
 時間の流れと共に、この区画で唯一残ったのが中村家。

那古野1丁目まちづくり研究会による「中村家と屋根神様」の解説。

「築200年と云われる旧家・中村家は江戸時代の商家の佇まいを良く残しています。
 当家の屋根にある屋根神様はこの地方独特の風習で、津島神社秋葉神社熱田神宮の三社を祀り、そのお祀りは今も続けられています。
ここは仏教系の秋葉さんで、静岡県袋井市の秋葉総本殿可睡斎という寺院が本山です。
 鎮火防火の秋葉信仰は静岡県秋葉神社から起りましたが、明治の神仏分離令で、仏教系の秋葉神社は火の神「火之迦具土神」を祀る様になりました。
 中村家の秋葉神社秋葉三尺坊大権現を祀っています、この神は室町時代以前に秋葉信仰で活躍した修験者の事で、天狗又は烏天狗が白狐に乗る形に象徴化されています。
 この辺りは円頓寺筋とつながって、昔はにぎやかな御本坊筋とも云われました。」

地方から訪れた人にはとても有難い解説です。

二階の軒下に祀られた屋根神様。
 今でも現役なのが見て取れます、左右の壁には枠に囲まれた額があり、絵なのか、こて絵だったのか分かりませんが、意匠が施されていたようです。
こちらの屋根神様は四角い箱型の中に祀られ、祭礼の時はこの扉が開けられ社の姿が現れる。

こんな高い所に祀られているので御世話も大変。
 梯子を架けてお世話する事になります。
なぜ敢えてこの場に祀る事になったのだろう。
 軒が連なる町屋の生活は一度火災が起きればすぐに延焼してしまいます、運命共同体のようなもの。
火伏の秋葉さんは必然的に祀りたくなるものです。
 見渡せば長屋が連なり地面に社を祀る土地も資金もない、そうした環境下で着目されたのが軒下だったのでしょう。
信心深かった当時、町内で祀られた屋根神様を住人が世話するのが自然に受け入れられていたはず。
 自然に当番札が作られ、持ち回りで面倒を見る神社当番が生まれ、それと共に住民同士のコミュニケーションができ、町内は上手く回っていたのだろう。
こうした屋根神様はこの地域ばかりではなく、小牧や木曽川を越えた岐阜県の街道沿いなどに一部残っていますが、高所の御世話は高齢になると難しくなり、建て替えと共に姿を消しつつあります。

海外と違い、日本は古い家屋に価値が生まれないので、家のライフサイクルが短く、築200年の家が残るのは歴史的価値がないかぎり、取り壊されていきます。
 古い家屋に対する価値観の違いも屋根神が消えていく要因になっているのでしょう。
お洒落な家が立ち並び、住民も変われば、人の繋がりも薄れ神社当番も回らなくなっていくのだろう。
 個人宅や公園の片隅に佇む小さな社が、以前は町民で世話した守り神だった事すら風化していくのだろう。
こうした光景が見られるのも長くはないのかもしれない。

中村家と屋根神様
所在地 / 名古屋市西区那古野1-17-5
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「淺間神社」から徒歩 / 西に2~3分程