『御鍬神社』愛知県知立市

知立市来迎寺町西中畑「御鍬神社」
 畑仕事の応援で当地を訪れ帰り際に見かけ参拝に立ち寄ってみました。
社頭の前を旧東海道が横切る、ここから西に向かえば旧東海道の39番目の宿場町池鯉鮒宿へ続きます。

現在の知立(ちりゅう)は江戸時代「池鯉鮒(ちりふ)」と呼ばれ、現在の字と読みに変ってきたという。
 古来のこの辺りは、西の知立神社を中心に門前町が出来、やがて知立城、今崎城等の城が建てられ、当地周辺にはそれを偲ばせる地名も残っている。
後に家康による五街道の整備が始まり、東海道39番目の宿場町池鯉鮒宿として制定されると更に街道は賑わいを見せ、当時の様子は歌川広重東海道五十三次にも描かれている。

街道沿いに社頭を構える御鍬社。
 猿渡川と逢妻側の二つの川に挟まれた当地、街道沿いは住宅が立ち並んでいますが、北側には肥沃な耕作地が広がり、そこから見る社叢は、海に浮かぶ小島のように存在感がある。
社頭は右に御鍬(おくわ)神社社標、参道中央に石の神明鳥居が立ち、その先に拝殿が姿を見せている。

御鍬社由緒。
「江戸時代來迎寺村を初め近村の牛田村、八橋村、駒場村、花園村、里村、今村、大浜茶屋村の八ヶ村が連合して伊勢より御鍬社を勧請し各村輪番で御鍬祭を奉仕し豊作を祈願してきた。
明和年中(1764~71)この輪番が当村で終わることになったことから、社殿を造営し以後氏神と仰ぎ祀ったという。
明治5年(1872)、村格に列格となり、同6年現在の拝殿が造営され、同時に字西中畑に鎮座の山神社、字石田(現安城市今本町地内)鎮座の秋葉社、弁天社を境内に遷された。
その後、本殿は大正3年(1914)に神明造、一重の繁垂木反り無し棟に千木、鰹木5本を置く神殿で、丁度伊勢神宮の二分の一の大きさに造営された。」

耕作地の広がる一帯は明和年中(1764~71)には農耕・五穀豊穣を祈願して御鍬信仰を崇敬していたようです。
この御鍬信仰は伊勢神宮の御田植初め神事から来ているようで、神事で用いる忌鍬を祀り豊穣を祈るのがある種のトレンドだったようです。
以前はこうした御鍬社は普通に見られたものでしょうが、田畑が消え住宅地に変貌すると共に姿を消していった。

境内末社と祭神。
境内社 / 山神社(大山祇命)、弁天社(市杵島姫命)、秋葉社(火産霊命)
年中行事 / 1月1日迎春祭、1月4日新年祭、交通安全祈願祭、2月祈年祭、7月3日弁天祭、10月例祭、12月新嘗祭・除夜祭、毎月月次祭

伽藍は中央の社殿、左側の奥には境内社、一番左に社務所の伽藍。
 境内に入った左側に鳥居が立てられています。

境内に立つ神明鳥居と右に玉垣で囲われた一画。
 鳥居や玉垣を見るもヒントは刻まれていなかった。

御神木?伊勢神宮遥拝所だろうか、詳細は不明です。

 鳥居だけ見ればこちらの鳥居の方が年月が経っているように見える。

社殿全景。
瓦葺切妻平入の拝殿から塀が本殿域を取り囲み、拝殿脇から神域に立ちいる事が出来る。
 神明造の本殿は幣殿で繋がっている。

拝殿左の境内社、瓦葺の鞘堂の中に三社が祀らています。

鞘堂脇の由緒書き、ここに興味深いことが書かれていた。
末社と祭神
末社をお祀りするこの鞘堂が元来の本社殿てあった。
 鞘堂の棟札及び石灯籠は左のようである。
棟札 天保5甲午年(1834)、石灯籠 三河碧海群来迎寺村

秋葉社 火産霊命
 火の神様は、古来火伏の神として庶民の信仰は高い。
 この地方の村落では殆どが末社に祀られ、旧町誌には明治6年6月山神社と共に西中畑より社内に遷宮して末社とした。

弁天社 市杵島姫命
 水の神様で旧町誌には明治6年6月、厳島社を石畑より社内に遷宮して末社とするとある。
 厳島神社に併設された弁才天堂と市杵島姫命と習合し弁財社として祀るようになった。
 市杵島姫命は河川、湖沼を神格化したもので、ここでは猿渡川が氾濫しないように祈願したらしい。

山神社 大山祇命
 山の神様は秋冬は山を守り、春になると里に出て他の神になると信じられ、猟師や山の仕事をする人、 農業に携わる人から尊ばれている。
 旧町誌には明治6年6月、秋葉社と共に西中畑から社内に遷座末社とした。
 末社前の石灯籠には左の様にある。
 11月吉日 山神三州碧海群来迎寺村」
知立町誌(昭和48)

境内の古い鳥居は元本殿だった鞘堂の鳥居のようで、建替えとばかり思いこんでいた元社殿は新造のものだ。
 以前の参道は、あの鳥居からの先にある東海道と鞘堂に繋がっていたのだろう。

左から山神社、弁天社、秋葉社

木の色合いを生かした瓦葺の拝殿、軒下には大きな鈴が吊るされていた。
 最初賽銭箱が分からず、格子から投げ入れ参拝しましたが、拝殿後方の左右に門があり、中に入り参拝が許されているようだ。

由緒、社頭のものと内容が同じなので割愛します。

本殿域の幣殿から本殿の眺め。
 ここに賽銭箱があり、再び仕切り直す。

参拝を終え本殿を眺める。
 由緒にある「本殿は大正3年(1914)に神明造、一重の繁垂木反り無し棟に千木、鰹木5本を置く神殿で、伊勢神宮の二分の一の大きさに造営された」とあったが今一つ実感が沸かない。

江戸時代中期発祥とされる御鍬社は、神宮の御田植初めが起源だと云う。
 神田と聞くと、五十鈴川右岸の神宮神田か三重県磯部の伊勢神宮別宮伊雑宮の神田しか浮かばないが、 伊雑宮の神田は日本三大御田植祭(千葉の香取神宮、大阪の住吉大社)の一つで、農の豊穣を祈願する儀式としては認知度は高いように思います。
 その神事で使う忌鍬を諸国に祀り、御鍬社として稲の豊穣を祈願するようになったのだと云う。
耕作地を広げ、農業を営む農民にとっては御鍬社は必須の神社だろう。

拝殿の鬼には鍬の文字が入る。

 今回、畑仕事の応援で日本のデンマークを訪れ汗を流したが、丹精込めて収穫に辿り着くまでの過程を思えば、自助努力だけでは補いきれない部分は必ずあり、そこを補うため神仏に依存する気持ちは当然だろう。
良くぞ実ったものだ、この実りは日々頑張った神からの恵みなんだろう。
 それに比べ我家の箱庭の家庭菜園の収量の悪い事、御鍬さんを祀る必要がありそうだ。(それ以前に努力が不足している)。

旧東海道沿い、城址や古刹もあり奥が深そうです。

御鍬神社
建立 / 明和年中(1764~71)
祭神 / 豊受比賣命
例祭日 / 10月第三日曜日
境内社 / 山神社(大山祇命)、弁天社(市杵島姫命)、秋葉社(火産霊命)
年中行事 / 1月1日迎春祭、1月4日新年祭、交通安全祈願祭、2月祈年祭、7月3日弁天祭、10月例祭、12月新嘗祭・除夜祭、毎月月次祭
所在地 / ​知立市来迎寺町西中畑16
参拝日 / 2022/11/12
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