西区那古野の神社を探し徘徊する事二回目。
今回は円頓寺商店街を西に進み、江川線を越え円頓寺本町商店街のアケードを西に進む。
円頓寺本町商店街は江川線円頓寺交差点から西区那古野2丁目交差点まで東西に連なるアーケードを持つ商店街。
美濃路や堀川、清州越しで寺社が周辺に移転した事から、人が集まり店が立ち並ぶ門前町として賑わう立地にあった。
話は脱線しそうですが、こうしてアーケードのある商店街は少し前には身近に普通あったものです。
大阪のディープな光景と云うか、文化と云うのか、朝から活気のあるアーケード街とは少し違うかもしれない。
今回掲載する多賀宮はこの円頓寺本町商店街のほゞ中間の北側に鎮座します。
金刀比羅神社からアーケードの下を5分も歩けば社頭に着きます。
間口が狭い社頭は、足早に歩いていると見過ごしてしまうかも、右に床屋のサインポールがあり、これが目印になる。
社頭右に多賀宮の石標、左に由緒が掲げられ、石の神明鳥居を構えている。
こぢんまりとした間口から奥に続く参道を歩いていると、どことなく京都の町屋の風情を感じる。
美濃路や堀川、清州越しで寺社が周辺に移転した事から、人が集まり店が立ち並ぶ門前町として賑わう立地にあった。
話は脱線しそうですが、こうしてアーケードのある商店街は少し前には身近に普通あったものです。
大阪のディープな光景と云うか、文化と云うのか、朝から活気のあるアーケード街とは少し違うかもしれない。
今回掲載する多賀宮はこの円頓寺本町商店街のほゞ中間の北側に鎮座します。
金刀比羅神社からアーケードの下を5分も歩けば社頭に着きます。
間口が狭い社頭は、足早に歩いていると見過ごしてしまうかも、右に床屋のサインポールがあり、これが目印になる。
社頭右に多賀宮の石標、左に由緒が掲げられ、石の神明鳥居を構えている。
こぢんまりとした間口から奥に続く参道を歩いていると、どことなく京都の町屋の風情を感じる。
「多賀大社は滋賀県犬山群多賀町に鎮座。
伊耶那岐命と伊耶那美命の二柱を祭祀する。
古来寿命の守護神として、上下の崇敬厚く、天正16年(1588)、秀吉の生母大政所の病平癒を祈願した事が史実に残る。
ここに上畠町に分社が奉祀された、年代は不詳ですが、慶長17年(1612)の名古屋築城後の清州越によって城下町が形成され、崇敬心の篤い人々によるものと推測される。
詳しくは史家の考証を埃つべきである。」
多賀大社に祈願した秀吉の思いは叶い、大政所はその後の天正20年(1592)まで永らえる事ができ、母を思う秀吉の願いを叶えた多賀大社は、秀吉から社殿の改修を受けたと云います。
この多賀宮がいつ頃ここに祀られたかは由緒にある様に定かにはならないが、大切な人の延命を祈願するその気持ちは聞き入れて頂けそうだ。
・多賀宮
古来寿命の守護神、縁結びの神として崇敬が厚く、上畠町に奉斎されたのは明治中頃。
元社殿は昭和32年に改修された。
・犬鳴山倶利迦羅大龍不動明王
犬鳴山は斎明天皇7年、役行者の開基で、本尊は行者自作の倶利迦羅大龍不動明王。
不動明王を信仰する事で福寿繁盛、一切の厄炎を除き難病から救われる。
和合敬愛、知恵聰明、賊盗を除き、鎮宅、祈雨、生々爾加護の十徳が得られる。
・薬力稲荷大明神
秦公伊侶具により京都伏見の稲荷山に倉稲魂神、猿田彦命、大宮女命を祭神とした伏見稲荷が生まれ、以来福徳を司り、家業繁栄の霊験はあらたか。
伏見稲荷に鎮座し五大稲荷の一柱の薬力稲荷を勧請奉斎したもの。
これに依ると多賀宮がこの地に祀られたのは明治中頃とある。
円頓寺商店街の前身は江戸時代まで遡るのかもしれないが、多賀宮は近代になってからのようです。
他の二社については詳細は分からなかった。
商店街故だろう、ろうそくの明かりに似た揺らいだ明りを放つ電球が使われていた。
鰹木は5本で内削ぎの千木が付く神明造。
祭事 10月18日繁昌息災祭。
伊耶那岐命と伊耶那美命の二柱を祭祀する。
古来寿命の守護神として、上下の崇敬厚く、天正16年(1588)、秀吉の生母大政所の病平癒を祈願した事が史実に残る。
ここに上畠町に分社が奉祀された、年代は不詳ですが、慶長17年(1612)の名古屋築城後の清州越によって城下町が形成され、崇敬心の篤い人々によるものと推測される。
詳しくは史家の考証を埃つべきである。」
多賀大社に祈願した秀吉の思いは叶い、大政所はその後の天正20年(1592)まで永らえる事ができ、母を思う秀吉の願いを叶えた多賀大社は、秀吉から社殿の改修を受けたと云います。
この多賀宮がいつ頃ここに祀られたかは由緒にある様に定かにはならないが、大切な人の延命を祈願するその気持ちは聞き入れて頂けそうだ。
・多賀宮
古来寿命の守護神、縁結びの神として崇敬が厚く、上畠町に奉斎されたのは明治中頃。
元社殿は昭和32年に改修された。
・犬鳴山倶利迦羅大龍不動明王
犬鳴山は斎明天皇7年、役行者の開基で、本尊は行者自作の倶利迦羅大龍不動明王。
不動明王を信仰する事で福寿繁盛、一切の厄炎を除き難病から救われる。
和合敬愛、知恵聰明、賊盗を除き、鎮宅、祈雨、生々爾加護の十徳が得られる。
・薬力稲荷大明神
秦公伊侶具により京都伏見の稲荷山に倉稲魂神、猿田彦命、大宮女命を祭神とした伏見稲荷が生まれ、以来福徳を司り、家業繁栄の霊験はあらたか。
伏見稲荷に鎮座し五大稲荷の一柱の薬力稲荷を勧請奉斎したもの。
これに依ると多賀宮がこの地に祀られたのは明治中頃とある。
円頓寺商店街の前身は江戸時代まで遡るのかもしれないが、多賀宮は近代になってからのようです。
他の二社については詳細は分からなかった。
商店街故だろう、ろうそくの明かりに似た揺らいだ明りを放つ電球が使われていた。
鰹木は5本で内削ぎの千木が付く神明造。
祭事 10月18日繁昌息災祭。
1.願い事を決める。
2.重かる石に両手を添え、石を持ち上げ、その重さを感じとります。
3.再び重軽石を持ち上げ2.で感じ取った重さより軽く感じれば願いは聞き入れてくれる。
よくある重軽石の作法ですが、黒光りした艶々の重軽石は多くの願いを叶えてきた証だろう。
2.重かる石に両手を添え、石を持ち上げ、その重さを感じとります。
3.再び重軽石を持ち上げ2.で感じ取った重さより軽く感じれば願いは聞き入れてくれる。
よくある重軽石の作法ですが、黒光りした艶々の重軽石は多くの願いを叶えてきた証だろう。
祭事 1月1日元旦祭、4月12日春の大祭、8月(日付識別できず)万燈祭、10月4~5日秋の大祭。
手前の狛犬はシルエットとなり、寄進年など読み取れなかった。
鰹木は6本で内削ぎの千木が付く神明造。
鰹木は4本で内削ぎの千木が付く。
本殿を守護するスリムな狛狐をよく見ると複数の罅割れがあり、劣化以外の何かを物語っている。
薬力稲荷大明神。
初午 初午繁昌祭(第二の午)
三社の創建など分からない事はあるけれど、人通りの多いアーケード街にある事から、多くの徳を授けていただける三社の参拝に訪れる方は多い。
商店街や地元の方々から大切に護られている、訪れればすぐに伝わってきます。
それだけ霊験あらたかな三社、円頓寺本町商店街を訪れた際には参拝してみる価値はありそうです。
鳥居から一歩入れば京都の趣き、アーケード街はプチ鶴八?の趣を感じさせる。
大阪の活気を呼び込みたいものです。
多賀宮、薬力稲荷大明神、犬鳴山倶利迦羅大龍不動明王
所在地 / 名古屋市西区那古野2-8
参拝日 / 2022/12/08
金刀比羅神社から徒歩ルート / 円頓寺商店街を西に5分程
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