別府湾を見下ろす高台に鎮座  「八幡竈門神社」

八幡竈門神社。
 血の池地獄から山間に鎮座する八幡竈門神社までは車で北に10分程の移動時間。
別府湾を眼下に見下ろす高台に鎮座し、鳥居から眺める朝陽が美しい事で知られる。

駐車場の直ぐ脇に立つ石の明神鳥居は北参道の鳥居。
 社殿は亀山の東斜面の頂に鎮座しており、正参道は麓の県道218号線沿いの石段を上ると一ノ鳥居があり拝殿に続きます。
麓には駐車場は見当たらず、この駐車場を利用すれば拝殿前に容易に辿り着けます。

額には八幡竈門神社と刻まれている。

 某アニメの主人公の名と神社名が同じで、境内には鬼が作った99段の階段や鬼の石草履など鬼と所縁もある事から、アニメファンが訪れるという。

鳥居右の手水舎、後方の建物は多賀神社。
 鳥居をくぐると左に社務所、正面に神楽殿、右側に一段上がって社殿が鎮座します。

拝殿右の多賀神社。
 滋賀県の多賀神社を本社としますが、いつ頃この地に勧請されたものか詳細は不明。
拝殿内には古めかしい神輿が安置されていた。
 祭神 伊邪那岐命伊邪那美命

御神徳 虫鎮、延命長寿の守護神

社殿全景。
入母屋瓦葺の平入で前後に千鳥破風、唐破風が付くもので、創建1270年祭に合わせ改築されたようです。
 創建が神亀4年(727)とされるので平成に入ってからですか、社務所、拝殿、本殿に傷みが少ないのもそうした事もあるのか。
拝殿に続く石段の脇に一対の狛犬と拝殿右に亀の姿が見られる。

昭和3年(1928)に寄進された狛犬
 筋骨隆々とした体つきで小さな角を持ち、大きな口を開けた愛嬌のある顔つき。

八幡竈門神社由緒。
仁徳天皇(在位312~399年)御宇のとき曰く、日本武尊および神功皇后(200年頃説)が西征のとき豊後州速見郡竈門荘亀山に行宮(天皇行幸の仮宮)を造る。
 このとき国常立尊天照大御神を始め三十三神を奉斎する。
次に聖武天皇(在位724~749年)の御宇、神亀四年(727年)三月十五日豊前国宇佐より仲哀天皇応神天皇の神霊が竈門荘宝城峯に降臨する。
 山麓において大神諸男と大神豊永(竈門宮宮司)が相議し、御越山に遷座奉る。
既にして亀山の桜樹の枝上に現れる。
 再び竈門宮に奉斎する(例大祭桜会祭の紀元)。
併せて三十五神となる。既に竈門宮と称す。
 次いで淳和天皇(在位823~833年)の御宇、天長三年(826年)宇佐より神功皇后の神霊を迎え、併せて三十六神となる。このときより八幡竈門宮と称する。八幡竈門宮伝記より
大祭 4月1日御神幸、4月3日御還幸、例祭4月15日
 多賀神社
祭神 伊邪那岐命伊邪那美命
 虫鎮、延命長寿の守護神」

拝殿正面から眺め。
 拝殿天井には龍の天井絵が描かれており、龍はアニメでも登場するらしい。

拝殿額「八幡竈門神社」
 アニメの影響力は絶大で、それ以前は訪れなかった年代層が巡礼に訪れるようになったという。

拝所から幣殿方向の眺め。
 神紋は左三つ巴のようです。
竈門の謂れを調べて見たが竈門荘から来ているのか、すぐ近くのかまど地獄から来ているものか、分からなかったが、アニメの主人公の苗字から来ているものではないよネ。

拝殿天井絵。
 宝珠を握りしめた白龍が天井から睨みを利かせている。

本殿は銅板葺の三間社流造。
 千木は内削ぎで三面に高欄が付き脇障子に繋がる、外観の装飾は控えめなもの。

拝殿左の魂依の木。
 幹に大きな空洞がある樹齢約500年とされるイチイガシ。
別府市の保護樹に指定されています。
 ここから更に左奥に進むと境内社が並んで祀られています。

熊野社。
 切妻瓦葺で比較的新しい社殿、三重県熊野大社から勧請し熊野権現をお祀りするのだろう、詳細について語られていない。

熊野社左に鎮座する亀山稲荷大明神
 こちらも創建等の詳細は不明。

稲荷社左の石碑、この左に鬼の石草履と呼ばれる三本指の足跡に似た岩があり、足を入れるとパワーが湧き出るのだとか。

鬼の足指が三本なのは貪欲、嫉妬、愚痴を現しており、知性と慈悲が欠けているからだとされます。
 ここにも鬼の存在がある。

楽殿
 別府湾を見通せる境内の東に建ち、三方が吹き抜けのもの。
ここでは大晦日から元旦にかけ、今年一年の無事や家内安全などを祈願し竈門神楽が奉納されるそうで、演目の中には、八岐大蛇を神様が退治し、お姫様を助けるという演目「大蛇退治」が奉納されるという。
 刻々と明け行く東の空を眺めれば、別府湾から上る美しい初日の出が拝めると云う。

拝殿全景。
 普段の境内は静かさに包まれていますが、大みそかには神楽と初詣、そして初日の出を目当てに参拝客で賑わうのだろう。

拝殿から別府湾の眺め。
 二つの鳥居が立っており、春分の日(3月21日)と秋分の日(9月23日)には、二つの鳥居の真正面から昇る朝陽が拝めるそうです。
鳥居の左右に安置された赤茶けた丸いものは機雷。
 水中に敷設され、行き交う艦艇がこれに触れると爆発するもので第一次世界大戦(1914~1918)の戦勝を祈願し、旧海軍の有志により昭和3年(1928)一対奉納されたものだとか。

鳥居から一段降りた参道の左右に立てられている石灯籠。
 享保19年(1734)当時の代官岡田庄太夫が寄進したもので、創建が神亀四年(727)と長い歴史を誇る八幡竈門神社の境内寄進物では最古のものだという。

手水舎、手水鉢(上)と左の「鬼が造った99の石段」解説(右)。
 解説は以下
「昔、亀川の竈門に悪鬼が住んでいた。
 毎夜現れては人々を食い殺し郷を荒らしまわっていた。
里人は八幡様に鬼の退治を祈願した。
 八幡様は鬼に、一晩の内に100の石段を造ったら毎年人間を生贄に与えよう、しかし出来なければ今後里に出てきてはならないと約束をしたという。
鬼は承知してあちらこちらの谷や川から石を運び石段を造り始めた。
 99段造った時、神様が「まだできぬか」と鬼に声をかけ、鬼はその言葉に一息つき「あと一段」と云った時に一番鶏が鳴き夜が明けてしまった。
鬼は驚き逃げていき、二度と里に現れる事はなかった。
 石段を見ると下の方は丁寧に作っていますが、上の方に行くにつれて大雑把に造られている」

これもアニメのストーリーそのもの、暗闇が少しずつ明けはじめ、焦る鬼の心理が結果に表れている。
 八幡様はそれを見越して声掛けをして手を休ませたのだろう。
折角あと一段まで造り、日の出を迎え、朝陽から逃げる時に鬼が残していったのが「鬼の石草履」ということだ。
 ・・・似たような話は西寒多神社の「鬼の歯形石」でも聞いたような。
あれは「一晩で橋を架ければ食べられよう」と云う約束で、最後は橋が完成する直前で鶏の鳴き真似を信じ込んで鬼が逃げ去った話だった。
 鬼は頑張っても報われないのだ。

鬼が造った石の参道、麓の鳥居から数えるとこの鳥居(1929寄進)はニノ鳥居になるのだろうか。

ここから下を眺めれば、鬼が必至で造った99段の石段が麓に続いています。
 一年に二回、この延長線上から昇る朝陽はさぞかし絶景だろう。
下は八幡竈門神社HPで掲載されていた映像をお借りさせてもらいました。

こんな綺麗な光景が見られるのであれば、この目に収めるためもう一度訪れるしかない。

 運よく春分の日秋分の日に別府に滞在の際は八幡竈門神社の日の出は外せない場所です。
とはいえ、これも天気次第。
こんな綺麗な朝陽が差し込んでも鬼は愛でる事できない。

急いで造ったとされる終盤の石段。
 それでも綺麗に造られている気もするが。

社名と云い、鬼に纏わる伝説と云い、アニメファンが訪れるのも分かるような気がする。

八幡竈門神社
 創建 / 神亀四年(727)
祭神は以下。
 応神天皇仲哀天皇神功皇后国常立尊天照大御神田心姫命湍津姫命、市杵嶋姫命、素戔鳴尊天忍穂耳命天穂日命底筒男命中筒男命表筒男命、天兒屋根命、活津彦根命、天津彦根命、櫲樟日命、天太玉命経津主命武甕槌命建御名方命大山祇命、加茂別雷命、大山咋命、高龗神、倉稲魂命、大物主命、天照大御神荒魂、丹生都比賣命、金山彦命日本武尊、宮簀媛命、豊姫命、カゴ坂皇子、忍熊皇子
境内社 / 多賀神社、熊野社、亀山稲荷大明神
 所在地 / 大分県別府市内竈1900
参拝日 / 2022/10/27
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