『牛田 八幡社』愛知県知立市

御鍬神社から旧東海道を西に越え、車で2~3分程の知立市牛田町。
住宅の立ち並ぶ一画に豊かな杜の中に鎮座する神社が牛田八幡社。

神社周辺には参拝者駐車場は見当たらず、正参道脇の僅かな余地があり、そこに駐車させて頂いた。

牛田八幡社正参道全景。
南を向いて鳥居を構えているが、社標や常夜灯の姿は見受けられなかった。
以前の参道はもう少し南まで伸びていたのかもしれない。

鳥居をくぐり、僅かばかりの石段を上れば広い境内が広がり、その先に瓦葺の拝殿が望める。

拝殿は入母屋瓦葺でその手前に一対の狛犬が守護している。
 拝殿の右側に覆殿がある、参拝当日は社殿の補修工事の最中だった。

濃い杜に周囲を囲まれている境内ですが、陽射しが差し込み明るい印象を受けました。
境内の右に祀られているのが清霊社。
名が示す様に、当地から故郷のために命を捧げた方々の英霊をお祀りする社。

境内左の手水舎。
境内は西側にも脇参道があり、そこには鳥居(大正3年寄進だった気がします)と社号標が立っています。

拝殿西側からの眺め。
 入母屋瓦葺で、鈴や賽銭箱は見当たらなかったがこちらで参拝させて頂きました。
拝殿後方で本殿域を囲う壁と一体となり、左手の扉が開け放たれており、拝殿の先にある幣殿まで立ち入ることが出来ました。
以前掲載した御鍬神社もそうでしたが、幣殿からの参拝が許されているようです。
となると、拝殿としたこの建物は神楽殿なのかもしれない、そんな気がしてならない。

拝殿前を守護する狛犬大正11年(1922)に寄進されたもの。
この当時であれば大陸で生まれたものではないだろう。

拝殿右手から本殿域に入る。
ここにも塀があり、本殿を囲むように写真の幣殿に繋がっています。
社殿域を俯瞰して見ると恐らく「日」の形をしているはず。

橘の紋が神紋のようで瓦の至る所に刻まれています。

 社殿そのものには人目を引き付ける派手な飾り金具は見当たらないが、目貫などに施された虎や龍の彫刻には拘りを感じる。

橘紋。

幣殿内の額は「村社 八幡社」とある、本殿域は広々とした印象を受け、摂社などは見受けられなかった。
本殿の造りはよく分からなかったが、二本の柱が見える事から流造かと思われます。
鈴紐こそ下ろされてはいなかったが、幣殿には賽銭箱もあり改めて参拝。

牛田 八幡社社記によると以下のように記されています。
御祭神 / 誉田別尊
祭礼日 / 新年祭・1月、祈年祭・3月、例大祭・10月、新嘗祭・12月、月次祭・毎月
境内社 / 祇園社、社口社、稲荷社、稲荷社、山ノ神社、山ノ神社、山ノ神社、清霊社
由緒 / 鎌倉時代の建久年間(1190~1199)源頼朝目代(代官)は、鎌倉街道の南を流れる猿波川左岸の湯山に城を築き、源氏の守護神鶴岡八幡宮をこの地に勧請したのが始まり。

創建時期は明確にはなりませんが、かなりの古社なのは間違いないようです。

本殿域左の境内から眺める本殿。
流造ではなく、入母屋瓦葺の平入本殿の様で、幣殿から見えていた柱は、長く突き出た向拝を支える向拝柱が見えていたようです。

境内西側の参道と参道脇の社記。
鎌倉街道東海道の二つの交通の要衝を間近に控え、往古からこの町の移り変わりを見続けて来たのが牛田八幡社のようだ。
 拝殿右側の相殿に七社が祀られているようです。

7社相殿。
内部左から山ノ神社、稲荷社(左上)、社口社、山ノ神社(右上)、祇園社、山ノ神社(左下)、稲荷社(右下)。
稲荷社の一社を除いた6社は、何れも周辺の集落や寺で祀られていたものを遷座したもの。
田畑が広がる地域ですが、市街化に伴いこちらに纏められた、牛田八幡社はこの辺り一帯の氏神です。

牛田 八幡社
創建 / 不明
祭神 / 誉田別尊
所在地 / 知立市牛田町宮本14
参拝日 /2022/11/12
不乗森神社👉御鍬神社👉牛田八幡社車移動 / ​​御鍬神社から西へ2~3分​​​​
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