桑名と云えば食べるものだと蛤と焼きたての安永餅が思い浮かびます。
東海道53次の41番目の宿場宮宿と42番目の桑名宿を結ぶ海上輸送の要衝、七里の渡しはよく耳にします。
船に揺られて辿り着くとそこが伊勢国の東の入口にあたります。
訪れたのは12/14、暖かい日が続いていたが、生憎と空はどんよりと鉛色で風が強く寒い日だった。
社頭右には地蔵堂があり、左に木造の神明鳥居が立ち、その奥に東を向いて社殿が並ぶ。
鳥居の右に北桑名総社 北桑名神社の社標(大正11)、左に持統天皇御舊跡と刻まれた石標が立っています。
時の朝廷に対し大海人皇子(後の天武天皇)が決起した壬申の乱(672年)では、鸕野皇女(後の持統天皇)らを桑名に残し、大海人皇子は戦場の舞台となる不破関に向かったとされます。
その間、鸕野皇女が桑名の拠点としたのが北桑名神社とされ、ここから戦場の支援や決起が失敗した場合の逃走ルートとしたのかもしれない。
東海道53次の41番目の宿場宮宿と42番目の桑名宿を結ぶ海上輸送の要衝、七里の渡しはよく耳にします。
船に揺られて辿り着くとそこが伊勢国の東の入口にあたります。
訪れたのは12/14、暖かい日が続いていたが、生憎と空はどんよりと鉛色で風が強く寒い日だった。
社頭右には地蔵堂があり、左に木造の神明鳥居が立ち、その奥に東を向いて社殿が並ぶ。
鳥居の右に北桑名総社 北桑名神社の社標(大正11)、左に持統天皇御舊跡と刻まれた石標が立っています。
時の朝廷に対し大海人皇子(後の天武天皇)が決起した壬申の乱(672年)では、鸕野皇女(後の持統天皇)らを桑名に残し、大海人皇子は戦場の舞台となる不破関に向かったとされます。
その間、鸕野皇女が桑名の拠点としたのが北桑名神社とされ、ここから戦場の支援や決起が失敗した場合の逃走ルートとしたのかもしれない。
明治41年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃冨神社」を合祀、「北桑名総社北桑名神社」と改称。
昭和12年、社殿等の大改修がおこなわれ立派な社殿神舎に成るも、おしくも先の大戦で全て焼失。
戦後、氏子、崇敬者の協賛により本殿、拝殿等逐次再建され、今日に至る。
御祭神 天照大神、鵜葦不含尊(神武天皇の父)、高水上命(伊勢の豪族)、須佐之男尊、天兒屋根尊、持統天皇、大山祇命
昭和12年、社殿等の大改修がおこなわれ立派な社殿神舎に成るも、おしくも先の大戦で全て焼失。
戦後、氏子、崇敬者の協賛により本殿、拝殿等逐次再建され、今日に至る。
御祭神 天照大神、鵜葦不含尊(神武天皇の父)、高水上命(伊勢の豪族)、須佐之男尊、天兒屋根尊、持統天皇、大山祇命
桑名の地は古代文書によれば、自凝洲崎、加艮洲崎、泡洲崎の三つの洲に分かれていた。
自凝洲崎に江ノ奥の記載があり、このあたりに社が奉斎され「江ノ奥神明」とも「三崎大神明」とも呼ばれていた。
江戸時代の始め、慶長年中桑名藩による町割りや開発が行われ、時の城主本多忠政侯が神殿神舎を寄進、慶長19年8月現在地に遷宮。
郷土史によれば、当社は踊りで有名で、江戸時代60年周期で「お陰参り」が盛んに行われた、それに伴い当社への参拝も多く、関東人群参の社であったと伝わる。
自凝洲崎に江ノ奥の記載があり、このあたりに社が奉斎され「江ノ奥神明」とも「三崎大神明」とも呼ばれていた。
江戸時代の始め、慶長年中桑名藩による町割りや開発が行われ、時の城主本多忠政侯が神殿神舎を寄進、慶長19年8月現在地に遷宮。
郷土史によれば、当社は踊りで有名で、江戸時代60年周期で「お陰参り」が盛んに行われた、それに伴い当社への参拝も多く、関東人群参の社であったと伝わる。
佐乃富神社・中臣神社
壬申の乱(672)が起こり大海人皇子(後の天武天皇)は一族を連れて桑名郡家に着き、妻の菟野皇女(後の持統天皇)と幼い草壁皇子を桑名郡家に残し戦場となる不破へと向かい、戦いは大海人軍が勝利、桑名の地にもどられました。
この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えらる。
この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えらる。
蒐野皇女に対する奉仕と功労により蒐野皇女より「硯と鏡」を賜り、社宝として当社に伝承されてきた。
五霊神社
大きな口を開け、一部彩色され化粧が施されている。
切妻瓦葺で唐破風向拝が付く。
鰹木は4本、内削ぎの千木が付く。
拝殿前の狛犬に比べるとこちらは少し年季が入っていそう。
空襲で向拝した戦後の当地に氏子、崇敬者らの思いから再興された神社だ。
調べて見たが謂れや年代等見付けられなかったが、堂内には赤い前掛けを付けてもらった石の地蔵が一体安置されています。
切妻瓦葺で唐破風向拝が付く。
鰹木は4本、内削ぎの千木が付く。
拝殿前の狛犬に比べるとこちらは少し年季が入っていそう。
空襲で向拝した戦後の当地に氏子、崇敬者らの思いから再興された神社だ。
調べて見たが謂れや年代等見付けられなかったが、堂内には赤い前掛けを付けてもらった石の地蔵が一体安置されています。
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神、鵜葦不合尊、高水上命、須佐之男命、天兒屋根尊、持統天皇、大山祇命
境内社 / 五霊社
参拝日 / 2022/12/14
所在地 / 三重県桑名市堤原7