「日吉山王社」(知立市八橋町)

御鍬神社から逢妻男川方向の北へ車で5分程進み八橋町寺内地内に鎮座する「日吉山王社」へ。

伊勢物語にも詠われ、かきつばたで知られる無量寿寺の西隣が日吉山王社。
社頭右に日吉神社社号標があり、玉砂利の敷き詰められた境内の少し先に鳥居を構えています。
当日は八橋史跡保存館から境内奥に車を乗り入れ駐車させていただいた。

保存館付近の八橋かきつばた園の案内板。
自分だけかもしれないが、八橋と云えば無量寿寺とかきつばたとなりますが、この日吉山王社も長い歴史を誇る神社です。

社頭の八橋日吉山王社。
「御祭神 大山昨命
創立 慶雲元年(704)
 無量寿寺開祖の密園法師が寺の創建に際し、守護神として境内に勧請安置された。
以来、無量寿寺住職により代々奉仕されてきた。
 明治4年神仏分離により境内に境界を設け、町内氏子の氏神としてお祀りされてきた。
合祀社
 小舎 神明社、八朔社、八坂神社。
大舎 天神社、弁財天、山ノ神、明神社、八幡社、秋葉社、春埜山、白山社。
 稲荷社
例祭日 10月14日 (5月) 」

とある。
飛鳥時代無量寿寺創建にあたり、山門鎮護神として京都府宮津の日吉山王宮から勧請される。

明治6年に村内各処に祀られていた社を神社境内に遷座
明治34年知立皇大神を勧請する際に社殿新築。
昭和34年8月の伊勢湾台風で被災、拝殿を改築。
昭和43年に合祀殿を新築、末社11社を奉斎。

創建以来1300年の長きに渡り八橋の集落と無量寿寺を見護り続けてきた神社だ。

ここを訪れたのは畑仕事の応援で駆り出された2022/11/24。
花の時期に来たことはないが、この時期は訪れる参拝者もなく閑散とした静かな境内だった。
参道から眺める境内は正面の拝殿、右が無量寿寺本堂、左から手水舎、社務所、大舎と続き、拝殿左に小舎と稲荷社が主な伽藍。

手水舎と龍口。
 瓦葺のシンプルな手水舎の下では、この時期でも大忙しの龍がいた。
水を注ぐ龍の姿がいきいきとして見栄えがいいものです。

末社8社を祀る大舎。

大所帯故に大きな額です。
社名の横にしるされた月日は祭礼日なのかな。
賑やかな大舎一つお参りするだけでも、大概の無理難題を聞き入れてもらえそうだ。
鈴は鳴らせなかったがならしたつもりでパン〃。

拝殿と左の小舎、右の瓦葺の建物は無量寿寺本堂。
拝殿前には一対の狛犬が守護する。

小舎全景。
八坂神社、八朔社、神明社をお祀りする。

小舎の左には豊川稲荷社。

入母屋瓦葺の落ち着いた佇まいの拝殿。
軒丸瓦には神紋の双葉葵の紋が入る。

狛犬は大正10年に寄進と読めたが違うやも。
この日は雲一つない青い空が広がっていた。

拝殿額は日吉山王社。

無量寿寺境内から見る日吉山王社本殿。
 高い塀と垣根が寺と神社を隔て本殿の造りや本殿域を垣間見ることは出来なかった。
日吉山王社を訪れ、無量寿寺や杜若同様にもっと脚光を浴びてもいいのでは、そんな印象を受けました。

無量寿寺のこの時期は杜若も枯れ寂しい限りですが、境内で見かけた幾つかの碑もあり、改めて掲載する事にします。

日吉山王社
創建 / 慶雲元年(704)
祭神 / 大山昨命
境内社 / 神明社、八朔社、八坂神社、天神社、弁財天、山ノ神、明神社、八幡社、秋葉社、春埜山、白山社、稲荷社 

所在地 / 知立市八橋町寺内65-1
不乗森神社から御鍬神社👉八橋日吉山王社 / ​車移動で5分程
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参拝日 / 2022/11/24