神明社(​名古屋市守山区深沢)

名古屋市守山区深沢 神明社
庄内川左岸の小高い丘の上に鎮座し、境内北側の眼下には庄内川の流れが迫る。
そこに架かる吉根(きっこ)橋を越えた対岸に密蔵院の多宝塔の相輪も見えるはず。
鎮座地周辺の眺望の利く立地条件から、嘗ては吉根城が築城されていた時期もあったと云う。

社地東側からの眺め。

石垣が積まれた社地は城の雰囲気が漂うが、残念ながら遺構ではなく社殿造営時の新しい石垣。
吉根橋から南は比較的なだらか丘陵地が続き古くから人が居住し、社地東方一帯は7世紀後半に築造されたとされる上島古墳群が点在し、神明社境内東側の小高く盛られた部分は上島3号古墳の名残だとされる。
現状は城や古墳の遺構は残ってはいない。

神明社社頭全景。
社地南側は嘗ては田畑が広がる丘陵地、現在は宅地化により田畑は姿を消し、住宅が広がる一帯に変貌しています。

南向きの社頭右側に社標(2007年寄進)が立ち、神明鳥居の先に拝殿、鞘堂の社殿が建っています。

小高い高台の社地は社殿の三方を杜が取り囲み、社殿後方は庄内川に向け切れ落ちています。

境内左の手水舎から社殿の眺め。

拝殿全景。
拝殿は切妻瓦葺で四方吹き抜けのもの。
左側の境内には由緒碑、神明用水碑、水神などが祀られています。


鈴紐の下ろされた拝殿から本殿方向の眺め。

神明社の額。

拝殿先の鞘堂、中に祀られている本殿の姿まで見て取れない。

神明社由緒。
祭神 天照皇大神
例祭日 10月21日
宝暦年間編纂の張州府志に「八幡祠吉根村在り 配享天王白山」神明社同村に在り」と記されり。

社伝によると享保元年(1724)遷座された古社である。
大正8年2月八幡神社に合祀。
昭和48年、八幡神社飛地境内神社創立」とある。
ここで云う八幡神社とは個性的な容姿の狛犬がいる吉根八幡神社を指しているのだろう。

上は1891年(明治24)頃の吉根神明社周辺地図。
当時の地図を見ると〇で囲った中に鳥居の印が確認できます、由緒の「享保元年(1724)遷座」は吉根八幡神社飛地だったこの地に遷座したということだろうか。

仮にそうであれば、嘗ての神明社庄内川左岸の河畔に鎮座していた事になる。
しかし現在の地図にこの印も現在の鳥居の印はなく、この印が神明社を指すものかは確証がない。

そもそも庄内川自体、年代により流れを変えるので、河畔沿いに鎮座していたものが遷されたとしても不自然ではない。
由緒と照らしていくと、地図の鳥居は享保元年(1724)遷座した際の位置で、大正8年に吉根八幡神社遷座されたとあるように、事実、大正9年の地図からはこの場所から鳥居の印は消えていました。

また、境内西側に吉根用水碑が立っています。
これは、明治8~9年(1875~1876)にかけて現在の吉根橋下流に、吉根の田畑に水を安定供給する目的から神明用水が造られましたが、その工事と吉根八幡神社への遷座は年代から見て関連はなさそう。
となると遷座の理由の一端に流れを変える庄内川や護岸整備、周辺の造成が背景にあったのかもしれない。
それらが落ち着いた後の昭和48年、改めて吉根八幡神社から等高線の頂の当地に遷座したという事だろうか。

境内西側の吉根用水碑(右)と水神さま。

ここから右手は庄内川にかけて切れ落ちている、水神さまは恐らく下に祀られていたものを昭和48年の社殿創立時にこちらに祀ったものかもしれない。
一面宅地が広がったとはいえ、今も左岸西側には田畑が残り、実りをもたらす水神さまは重要な存在だ。

水神さまから境内東の眺め。

社殿後方の盛られた部分が上島3号古墳の痕跡を感じさせる。
今は鬱蒼とした杜に包まれていますが、その昔はこの立地を生かし吉根城が築城された。
天正13年(1585)に記された織田信雄分限帳に当地を納めた「北野彦四郎」の名があり、彼が城主だと思われ、この高みは物見櫓を建てられるなどして利用されたようです。
現状では城の遺構らしきものは垣間見ることは出来ませんが、庄内川へ切れ落ちる高台は北からの動向や、南の龍泉寺街道も把握できる立地だった事だろう。

上島3号古墳の墳丘?の頂に玉垣に囲われた一画があります。

墳丘へは南側に付けられた石段から向かう事が出来ます。
右側に山之神社の社標(2005年寄進)が立てられています。

頂きの神域には二つの岩が祀られていました。

どちらも角の取れた岩で、右には山神と刻まれていますが、左は一部欠落し下の文字「神」しか読み取れないが、こちらも恐らく山神なんだろう。
丘陵地は切り開かれ、住宅や商業施設が立ち並ぶこの地にあって、周辺に祀られていたものがこの地に纏められたものだろうか。

山神さま右手から望む庄内川上流。

これだけ高低差があるので相当遠くまで眺望が利き、大雨が降ると今でも表情を変えていく庄内川ですが増水の心配はいらないだろう。
ここから上流正面に見える守山PA辺りで川は大きく左に蛇行しています、30年以上前の話ですが以前はカヤックを漕いだり、フライを振るには絶好の瀬がありましたが、当時とは水深も流れも随分表情を変えています。
今思えば神明社がここに創立されて間もない頃だったようです。

神明社境内から南を望む。
久しく訪れていなかっただけに住環境の良さは驚くばかり。
そんな環境に変貌した今であっても、吉根一帯は大きな川とは堤防一つで接していることに変わりはなく、自然を司る神さまは等閑には出来ない存在だろう。

吉根 神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神
境内社 / 山神、水神
所在地 / ​名古屋市守山区深沢​1-1102
参拝日 / 2023/01/10
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