『祥壽院大信寺』滋賀県彦根市

滋賀県彦根市本町「祥壽院大信寺」
一帯は彦根城の城下町の風情が残り、鎮座地周辺には複数の寺院が寄り添うように鎮座しています。

(画像は2018/4の彦根城)
彦根城は井伊直継により元和8年(1622)に築城されたとされ、下の町割も築城と共に築かれていったもの。
国宝彦根城南の一帯は、今回掲載する大信寺の他、向かいに来迎寺、善照寺、願通寺、宗安寺などが鎮座する寺町を形作っている。

大信寺へは彦根城京橋から真っすぐ南に伸びる夢京橋キャッスルロード、そこから東に1本入った筋に大信が鎮座します。

大信寺門前から彦根城方向の眺め。
城壁の様な石垣に囲まれ、なまこ壁と入母屋瓦葺で二層の重厚な山門が建つ。
山号額には宝厳山とある。

大信寺のこの石垣は、彦根城築城の時の残石を利用した牛蒡積みというで築城時のものだという。
牛蒡積みはあまり聞き慣れないませんが、長方形の石の長い面を内側、短い面は表側にして積まれたもので、石同士の接触面が増え頑丈な積み方だとされます。
金亀山を切り開いて建てられた城彦根城の石垣もこの牛蒡積みで積まれているとされます。

大信寺は浄土宗の寺院で、創建が慶長8年(1603)、開基は井伊直政とされます。
境内には2代彦根藩主の井伊直孝の歯骨が収められた廟がある。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は建久7年(1196)造立のもので、彦根市内の本尊仏の中では最古とされる。

門をくぐると正面に見えるのが観音堂
庫裏の連なる入母屋瓦葺の建物で、重厚な唐破風向拝が付く。
堂前の解説によれば
堂内に祀る観世音菩薩は琵琶湖観音と呼ばれ、江戸中期、安永年間に彦根藩10代藩主井伊直禔(なおよし)が琵琶湖中より引き上げられた御木像で、約1㍍の観世音菩薩立像で南北朝時代の作と推定。
とある。

堂の扉は閉じられ拝観は出来なかった。
昔の言い伝えに「川から流れて来た、網にかかって引き揚げられた」など良く聞かれる。
仏像は大地から生まれてくるだろうかねぇ。

本堂。
境内左に建つ寄棟瓦葺の清楚な外観。
左側に平成大修復工事の際に降ろされた以前の鬼瓦が飾られていた。

平成7年に修復改修を終えた本堂。
そこに掲げられた大信寺の額には増上寺大僧正雲臥(うんが)書と記されています。
増上寺歴代法主を調べてみると34代証譽雲臥(在職1700~1704)の名が見られた。
平成の改修時に修復されたのか綺麗な状態の額です。

元亀元年(1570)総誉清巌の開山とされ、群馬郡保渡田に草庵を結んだのが起りと伝わる。
慶長8年(1603)初代彦根藩井伊直政が高崎城主から彦根に国替えの際、高崎の大信寺から伴ってきた照誉和尚が開山し、井伊直政・直継が開創。
元禄から寛永年間に5代藩主の井伊直通により再建。

本尊は鎌倉時代初期の木造阿弥陀如来坐像。

境内右の井伊直孝廟。
2代彦根藩井伊直孝の歯骨が祀られている。

観音堂右に建つ地蔵堂
年代は見ていませんが6体の地蔵と中央に大きな地蔵菩薩像が安置されています。

境内から見る二層の山門、白壁に火灯窓が印象的。

彦根の寺院はこうした立派な山門を構え、向かいに鎮座する来迎寺山門の佇まいも中々のもの。
バスツアーの隙間時間でなければゆっくり写真に収め回りたいところ、それも温かくなってからがいい。

祥壽院大信寺
山号 / 宝厳山
宗派 / 浄土宗
創建 / 慶長8年(1603)
開基 / 井伊直政・直継
開山 / 照誉和尚
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / ​滋賀県彦根市本町1-8-37
参拝日 / 2022/12/27
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