多度神社(尾張旭市新居町)

尾張旭市新居町「多度神社」

尾張旭市の新居城址のある城山公園の前を東西に続く城山街道、東進し「多度神社前」交差点で左折し丘陵地を上り詰めると正面に多度神社の社頭が現れます。
車の場合は社頭から左に更に上ると駐車場が用意されています。

住宅の広がる丘陵地に大きな杜に包まれた社頭全景。
右に「多度神社」の社標は大正9年(1920)の寄進、少し先に石の神明鳥居が建ち、手前で狛犬が守護している。

造営記念碑。
「開祖水野又太郎良晴が康安元年(1361~1362)に建立と尾張府誌に記され…八代末裔水野重太夫同金左衛門が取り持ち社殿を再建…」とあり、新居村の歴史と共に歩んできた神社のようだ。

大正9年(1920)寄進の狛犬はにこやかに微笑んでいる様に見える。

参道右の手水舎と働く龍。
鎧の様な鱗を持ち立派な髭の龍、清水を注ぎいかにも龍らしい姿。

手水舎から境内までは石段が続き、途中の踊り場にニノ鳥居が建っている。
石段を上り詰めると正面に多度神社拝殿が見えてくる。本殿の左右に境内社の姿が見える。

境内から里山の樹々に包まれた参道を見下ろす。
 

 

拝殿全景。
山の頂に開かれた広い境内は陽光が降り注ぎ明るいもの。
拝殿は神明造風で屋根は緩やかな起りが入ったスタイリッシュなもの。

境内の由緒。
「多度神社
主祭神 天津彦根命(天照大御神御子神)
合祀された御祭神 倭建命、天照皇大御神大山祇命、豊受媛命、建御名方命金山比古命、菊理比売命

由緒
新居村を開祖した水野又太郎良春が康安元年(1361)に勢州多度社(現在の三重県桑名市多度大社)から勧請し造営したと伝わる。
その後水野又太郎良春の末裔裔水野重太郎等により延宝9年(1681)に社殿が再建されました。
また、新居村に散在していた小社の神明社、天道社、山神社、諏訪社、金刀比羅神社、豊受社、白山社の御祭神7柱が明治44年(1911)年に合祀。
後の大正9年(1921)に本殿の改修、境内整備が行われ、昭和33年(1958)に拝殿と参道及び大鳥居を建設。
現在、境内社として本殿右に一目連社(天目一練命)が祀られる。
この御祭神は金属工業の守護神で風雨をも支配されることから雨乞いの神様ともされています。
本殿左に児社が祀られています。
また本殿横に学問の神さまと崇められる天神社(菅原道真公)が祀られています。

年中行事
1月 元旦祭、初天神祭、2月 祈年祭、3月 天神感謝祭、6月 大祓、7月 御鍬祭、雲霞祭、10月 例祭、11月 新嘗祭、12月 大祓。
他毎月月次祭

この地を俯瞰して見れば北に庄内川、南に矢田川と挟まれていますが尾張丘陵のこのあたりは水源の乏しい土地柄。
新居村を開拓した水野又太郎良春が、雨乞いのため多度大社や一目連社など勧請したのも頷ける。
数は減ったが一帯に大小の灌漑用溜め池が点在するのもそうした事もあるだろう。
また、秋の祭礼で奉納される無二流棒の手も水野又太郎良春が農民に広めたと伝わり、今も地元から親しまれ、尾張旭駅前には馬にまたがった水野又太郎良春の銅像が誇らし気に建っている。

東春日井郡誌第三節村社によれば、水野又太郎良春の子孫で新居城主だった水野雅楽頭平良宗が天正年中(1573~1592)に勧請…と書かれており、一方で水野又太郎良春が勧請した説もあると記されていた。

拝殿と右側の境内社の眺め。
平入の拝殿後方で切妻の幣殿が接続する。

拝殿額も多度神社。
1958年に改修を受けたとあるだけに綺麗な外観。
鈴は二つとも下ろされ、鈴を鳴らす事が出来た。

社宝に寛文8年(1668)に寄進された二振りの剣と武具なとがあるようです。

本殿域右の一目連社、祭神は天目一連命をお祀りする。
多度大社の別宮、一目連神社の祭神で片目の潰れた水を司る龍を指すとされ、鍛冶の神天目一箇神と同一神とされるようになったという。
左手に本殿を守護する狛犬の姿があるが、今にも飛び掛からんとする容姿から檻の中に封じ込まれたのか。
拡大して見ると肌は滑らかで陶製かもしれない。

本殿域を取り囲む玉垣の右に鎮座する子守勝手明神。
子守明神と勝手明神夫婦が祀られているのだろうか、詳細は分からない。

拝殿右にも由緒碑が残され、「天正年間(1573~1592)城主雅楽頭平良宗建立…」とある。
康安元年(1361~1362)と天正年中(1573~1592)と二つの由緒碑で刻みは違う様で、東春日井郡誌の二説ありと記述したのも分かる気がする。
とはいえ、境内の由緒を尊重し、ここでは康安元年(1361)としておきます。

本殿域左に少彦名命を祀る児社。
その右にも暴れん坊の姿がある。

玉垣の右に鎮座する天神社。
祭神は学問の神菅原道真をお祀りし、そのタイミングにある若者の願いが書かれた沢山の絵馬がかけられていた。
なにかで聞いたが話ですが、祈願の際は住所と氏名を最初に名乗れと聞いたことがある、以来ずっと「何処から来た誰誰です」と心の中でお伝えしてから祈願する事にしている。
祈祷の際に必ず宮司さんが読み上げてくれますね、お願いされた側にしても誰か分からないと仕事も出来やしない。
後方は多度神社本殿、高い玉垣が全貌を見せてはくれない。

社殿西側から全景。
屋根の僅かな起りと本殿の掘立柱、棟に施された6本の鰹木と内削ぎの千木が見て取れる。
シンプルに纏まった清楚な趣が漂う神社だと感じる。

社務所、常駐ではないようですがおみくじや書置きの御朱印もあるようです。

社務所西側の駐車場から見る社殿。
根元から二手に別れ、見事に聳える大きな樹が多度神社のシンボルかも知れない。

西側に脇参道があり、そこから境内に入った右側にも手水舎がある。
こちらの手水舎の龍もしつかり仕事をしている。
正参道の龍を黒龍に例えれば、こちらは靑龍だろうか?

長い時の積み重ねの中で創建が康安元年(1361~1362)と天正年中(1573~1592)と説が分かれてはいるようですが、200年の差を重要と捉えるか、新居村を切り開き多度神社を建立した水野氏の存在を称え諸説ありとしておくか、明確な根拠を元に起こりを正すかは、よそ者が決める話ではないと思う。
帰り際に駅前の水野又太郎良春の像に挨拶して帰るかな。
 


多度神社

創建 / 康安元年(1361~1362)

主祭神 / 天津彦根命
合祀 / 倭建命、天照皇大御神大山祇命、豊受媛命、建御名方命金山比古命、菊理比売命
境内社 / 一目連社、子守勝手明神、児社、天神社

所在地 / 尾張旭市新居町西浦3182​
参拝日 / 2023/01/10
吉根神明社から車移動 / ​南東へ15分
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