京都市左京区「綾戸大明神」

既に掲載した南禅寺からの続き、今回は綾戸大明神を掲載します。
綾戸大明神は南禅寺中門前に続く綾戸小路沿いに鎮座します。

門の前の駐車場には趣のある勅使門が建っていて、その西側に拳龍池と呼ばれる小さな池があります。
その先に南禅寺会館があり、会館駐車場左に小高く築山された一画が鎮座地です。

綾戸大明神
綾戸小路とも呼ばれる南禅寺参道沿い、写真のように樹々に隠れた鳥居と社殿が見えます。
社殿は南向きに鎮座し、鳥居の向きからも綾戸小路から境内に入れそうですがどこにも見当たりません。
境内へは右の南禅寺会館駐車場から短い参道が造られています。
参道には見慣れた社標が見当たりません、よく見ると左の丸い岩に綾戸大明神と刻まれています。

綾戸大明神全景。
石の明神鳥居に額はなく社名や寄進年は読み取れず、左の燈台に昭和の元号が刻まれていた。
綾戸大明神の前の綾戸小路は、南禅寺に向かう参拝客や車でごった返していますが、ここは見向きもされないようです。

素木の社殿は瓦葺の流れ造り、朱塗りならもっと目立つのだろうが、どこに行っても人で溢れる京都ひっそり佇むこの姿はこれでいいのかも知れない。

境内に綾戸大明神の解説は掲げられておらず、由緒や祭神・ご利益など詳細が分からなかった。

上は江戸時代後期に纏められた都(みやこ)名所図会に描かれた南禅寺の挿絵。
そこには当時の南禅寺や綾戸明神の姿が描かれ、記述も記されていた。
記述は以下。
『綾戸明神は拳龍池の乾るにあり、是当山の鎮守なり。
むかし行宮の通衛に綾戸小路といふあり、是に住せる帝の牛飼の舎人死して霊あり、土人これを祭りて小祠を建る、応永年中(1394~1428)に伯英俊和尚大祠を造りて山門の境致となせしとぞ』とある。

また、雍州府志にも同様の記述があり亀山法皇(1249~1305)の離宮であったこの地に、牛飼いがいて酒を造っては帝に献上していたそうで、彼の死後その霊を見た人がいたという。
それを鎮めたのが土人であり、廟を造り南禅寺の鎮守としたのが伯英俊和尚のようです。

古くは綾戸廟とか綾戸の宮の社とも呼ばれていたそうです。
祭神は分かりませんが、建立時期は亀山上皇が正応2年(1289)に南禅寺に出家、崩御される嘉元3年(1305)の間なのだろう。
都名所図会には酒の記述はないけれど、牛飼いが造る酒とはなんだったのかそちらの方が気になる。

本殿内部には綾戸大明神の木札と御幣、奥に鳥居らしき姿も見える。
一つ置かれた松ぼっくりの意味するところはよく分からない。

綾戸小路沿いに築山された境内。
紅葉も枯れ落ち赤い絨毯の先に、牛飼いを祀りひっそりと佇む綾戸大明神の姿がある。

隣の湯豆腐屋の長い順番待ち、その待ち時間に訪れて見てはどうだろう。

綾戸大明神
創建 / 不明
祭神 / 綾戸大明神
所在地 / 京都府京都市左京区南禅寺福地町
参拝日 / 2022/11/25
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南禅中門から綾戸大明神 / ​西へ1分程