広島県 『厳島神社とソウルフード巡り』 2日目

安芸国一宮厳島神社B級グルメ巡り広島Day2
二日目はいよいよ宮島を目指し、安芸国一宮の厳島神社と宮島を歩くことが主となります。

ホテルから数分の広島駅から広島電鉄2号線で一路地御前駅まで各駅停車で約1時間の移動時間となります。


広島駅の昔懐かしい光景です、名古屋も過去にはこのような路面電車が街中を走り回っていました。
地下鉄やバスも良いですが、路面電車は見直されるべき良い交通網だと思います。

 

この電車は市内を路面電車として車と並行して走り、信号待ちも同様です。
横着な運転をすると電車の進路妨害や接触に繋がりかねません。
スマホなどを見ている余裕はありません。
整備しすぎた道路を路面電車が走っているだけでも、高速紛いに吹っ飛んでいく車や強引な右左折をする違反も減るでしょう。それくらいの緊張感は必要だと思います。

 


途中下車した地御前駅

厳島神社の最寄り駅は宮島口駅ですが、一旦こちらで降りて道草をして、廿日市市の地御前にある地御前・大歳神社に参拝していくことにしました。

ここまでのルート

駅から踏切を越え、左の生活道路を歩いて神社に向かいます。
広島といえば、「かき」が有名ですね、こうして脳裏に刷り込まれていく。

地御前駅の西側の道筋で見かけた地御前史跡マップ、駅はほぼ中央に位置し、目的地の地御前・大歳神社は左に向け進みます。
狭い通り沿いは旧街道の雰囲気が漂い、一帯には寺社や堂が多く鎮座し見所は多いかもしれません。
生活道路のため交通量が多いので注意が必要です。

智秀山西向寺。
浄土真宗本願寺派の寺院で、楼門と本堂の間の境内には樹齢300年以上とされる天井松があります。
境内に入ると一本の赤松が天幕の様に大きく枝を広げ、本殿向拝にまで伸びています。
あまりに長い枝振りは、多くの支えがなくては形を保てないほど見事なもので地御前史跡マップにも紹介されていました。

生憎逆光が酷くここでは掲載を見送りましたが、門の手前に観音堂が鎮座していました。
所在地 / ​広島県廿日市市地御前3-22-23

西向寺から5分程進んだ先に鎮座する地御前大蔵神社。
明神鳥居の先から僅かな石段を上り、注連柱をくぐると境内に入ります。
社殿は、入母屋瓦葺きの拝殿と幣殿が連なっており、瓦葺きの流造の本殿に繋がっています。
境内には桜の古木が複数見られ、間もなくこの境内はピンクに染まる事でしょう。

広島県神社庁によれば祭神は大國魂神を祀るようです。
由緒は明治15年(1882)、佐伯郡地誌編集控によると、寛政元年(1789)の勧請とされ、現在地に鎮座と考えられる。
それまでは、地御前村神賀の平原(現在、この地名は使われていない)に鎮座され、『芸藩通志』には、嚴島外宮(地御前神社)鎮座以前、地御前村(現在の廿日市市地御前、地御前北、阿品、阿品台)一村この社を同じく祀るという里人の伝承があるという。
例祭(10月第2日曜日)


地御前・大歳神社
創建 / 寛政元年(1789)
祭神 / 大國魂神
所在地 / ​広島県廿日市市地御前4-12-12

大歳神社を更に進むと山陽本線の踏切が現れます。
目指す地御前神社は踏切を越えた右側に見える森に鎮座しています。

広島県廿日市市地御前に位置し、背後には山陽本線、社の前には広島電鉄の2つの線路に挟まれています。境内であるものの、拝殿前を一般道が横切るため、車には注意が必要です。

こちらの祭神は、厳島神社の本宮と同じく、市杵島姫命田心姫命湍津姫命宗像三女神で、非常に大きな入母屋の拝殿があります。
また、厳島神社が鎮座する宮島の対岸に位置し、厳島神社の外宮として同時期に建立されたとされるのが地御前神社で、往古は19の神殿舎屋のあったされます。
こうして見る社殿には往時の面影を感じる事はなく、手前の拝殿と背後に客人(まろうど)宮本殿と本殿、拝殿右側に境内末社胡子神社が主な伽藍になります。
拝殿は大正3年(1914)に再建されたもので、後方の客人宮本殿と本殿は共に宝暦10年(1760)に再建されたもの。

本殿は五間社流造で、すぐ背後に山陽本線の線路が横切っています。
拝殿前には石の明神鳥居が立ち、その先に瀬戸内海が間近に迫りますが、鳥居から海に続く参道は広島電鉄の線路と国道2号線が横切り、参道は分断された形になっています。

厳島神社摂社 地御前神社
創建 / 推古天皇元年(593)
主祭神  / 宗像三女神
客人宮 / 天忍穂耳命天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野櫞樟日命
例祭 / 御陵衣祭(旧暦5月5日)
管絃祭 / (旧暦6月17日)
境内社 / 胡子神社

所在地 / ​広島県廿日市市地御前5-17
地御前駅から徒歩 / ​約10分

それでは、再び地御前駅に戻り、ここから終着駅である宮島口駅に向かいます。

厳島神社の表玄関だけに、途中の駅舎に比べて非常にお洒落な駅舎です。
駅を降りれば目の前が宮島に渡るフェリー乗り場で、JR宮島フェリーに乗ることをお勧めします。
乗船する際は右舷側をお勧めします。
地御前駅から宮島駅 / ​15分程

このフェリーは、行きの途中に厳島神社の鳥居の近くを通過してくれるので、右舷側にいると海から社殿と修復を終えた両部鳥居を一枚に収めることができます。

厳島神社が鎮座する宮島(厳島)は日本三景の一つで世界遺産にも指定される景勝地で島全体が崇敬対象で往古は禁足地とされていた。
御神体厳島は、島の北東に聳える弥山を含め15%ほどが世界遺産に指定されていますが、海を含むその他は緩衝地帯として管理され、島内には厳島神社以外にも多く寺社が鎮座し、神仏習合の名残を留めています。
島に上陸すると多くの参拝客や海外からの観光客で賑わい、フェリー乗り場周辺から鹿が出迎えてくれます。

厳島神社の象徴である海に浮かぶ大鳥居は9代目とされ、2019年から修復が始まり、昨年修復が終了しましたばかり。
鮮やかな朱色の両部鳥居は干潮時には間近に見ることができ、ここに訪れる機会を見計らっていましたが、遮るものもない美しい姿を見ることができました。


干潮時の社殿と五重塔。大半の建造物が国宝または重要文化財に指定されています。
主な伽藍は、入口側から客神社本殿、東廻廊、本社社殿、祓殿、高舞台、左右の客神社、西廻廊を経て天神社、大國神社、能舞台と続き、一番人が集中する場所でもあります。
・​境内マップはこちら

高舞台から本社祓殿。
この日は挙式も行われ、居合わせた観光客からも多くの祝福を受けていました。
厳島神社の創建は伝承では推古天皇元年(593)とされますが、定かではないようです。
主祭神市杵島姫命田心姫命湍津姫命をお祀りします。
現在の海に浮かぶ社殿の原形は平清盛により築かれたとされます。

 

 

西廻廊を出て海岸沿いの西の松原を奥に進んだ場所に、平清盛を祀る清盛神社が鎮座しています。
例祭日は3月20日で、御祭神は平清盛公です。
この神社は、平清盛のご遺徳を顕彰するために、昭和29年(1954)に創建されました。
現在の厳島神社の礎を築いた平清盛を祀る神社が、昭和に入ってから創建されたとは意外にも思えます。
清盛神社
創建 / 昭和29年(1954)
祭神 / 平清盛
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町28-1

​ここから少し戻り、右手の大願寺に向かいます。

西廻廊の出口の正面に立つ味のある大願寺山門、元禄時代のものとされ、本堂も同時期に再建されたものとされます。
大願寺は「亀居山放光院大願寺」と称される真言宗の寺院で、鎌倉時代建仁年間(1201~1203)に僧了海により再興されたと伝えられ、開基は不明とされています。

本尊は厳島弁財天で、相模国江ノ島神社、近江国竹生島宝厳寺とともに日本三大弁財天の一つとされます。
本堂の右側には、明治時代に焼失し、平成18年(2006)に再建された裳階を持つ方型の護摩堂があります。堂内には不浄なものを焼き尽くす力を持つとされる真紅の火炎(迦楼羅炎)を背にした、総白檀で作られた約4メートルの本尊不動明王座像が安置されています。

大願寺
開基 / 不明
再興 / 建仁年間(1201~1203)
本尊 / 厳島弁財天
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町3

ここから南の高台に向かい、当日は修復中の厳島神社多宝塔を経て、あせび遊歩道を経由し、大聖院仁王門の上にある御成門に向かいます。


仁王門全景。

御成門から見る勅願堂と遍照窟方向の眺め、この右手に観音堂、摩尼殿が鎮座します。

真言宗御室派大本山 多喜山水精寺大聖院。
宮島にある寺院で最も歴史が深く、空海が唐より帰朝後宮島に渡り弥山にて修行した、大同元年(806)の開基とされる弘法大師ゆかりの寺です。
厳島最高峰の弥山に弘法大師が勧請した守護神三鬼大権現や秀吉が朝鮮出兵の際に護身仏として祈念した波切不動明王厳島神社本地仏であった十一面観世音菩薩、七福神など多くの仏像を祀ります。
明治維新までは十二坊の末寺を有し、厳島神社の法会祭事を司る別当職を務めていた。
観音堂では「戒壇めぐり」も体験しましたが、補助光もあり経験した中では一番人にやさしいものでした。
多喜山 水精寺 大聖院
創建 / 大同元年(806)
開基 / 空海
本尊 / 本堂 三鬼大権現、勅願堂 波切不動明王観音堂 十一面観音
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町210

大聖院からは仁王門を出て滝小路をひたすら真っすぐ進み三翁(さんのう)神社方向へ。

三翁神社。

厳島神社の摂社で本殿域に三つの相殿があり、
由緒によれば創建時期は定かではなく、治承元年(1177)の「伊都岐島千僧供養日記」に比叡御社壇と記述があり、それが三翁神社と考えられ、明治以前は山王社と称されていた。
中央 佐伯鞍職(佐伯の翁)、安徳天皇、所 翁、二位尼、岩木翁、大綿津見神
左殿 大己貴神猿田彦神
右殿 御子内侍、竹林内侍、徳寿内侍各各祖神。
例祭日 10月23日。

三翁神社
創建 / 不明
祭神 / (上記記載)
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町


宮島交流館の屋外に展示されている宮島の大杓子。
長さ7.7㍍、最大幅2.7㍍で重量が2.5㌧の巨大なもの。
宮島の伝統工芸の宮島細工を後世に遺し、杓子発祥の地宮島のシンボルとして製作されたもので、世界遺産登録を機に展示される様になったとか。
宮島交流館
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町412

厳島神社の北側の岬の頂に応永14年(1407)に創建されたもので、豊国神社千畳閣の一画に聳える厳島神社五重塔
明治初年の廃仏毀釈神仏分離以前は大聖院の子院にあたる金剛院(現在は広島市佐伯区五日市町石内)の五重塔でした。
豊国神社
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町1-1

随分と歩いて足取りは重たい、お腹も空いた、表参道商店街を徘徊し少し遅めの昼ご飯。

マンホールの影響もあるだろう、迷うことなく「かき」。
商店街はとんでもない人波でこれ以上カメラは下に向けられない、しかも長蛇の列が出来ていました。
他をあたる余力もなく列に加わる、とにかく冷たいビールを飲みたい。

40分程待って店内へ、店の前ではひたすら、ひたすら牡蠣を焼き続けるおにいちゃん。
これから夏場は過酷な作業環境なのは容易に分かる。
店内に入り漸く腰掛ける事が出来、ホッと一息、とにかく冷たいビールで喉を潤し、生ガキとカキフライをオーダー。
これらは比較的早く出されましたが、この日は焼牡蠣がオーダーしてから1時間待ちの大盛況。
折角だからと承知の上でオーダーを入れた、外のお兄ちゃんの頑張る姿に牡蠣の焼き上がりをひたすら待つ、言われた様にしっかり一時間を要していた。

一つの牡蠣に二粒入っていたりして、粒の小さめのものはこうして入れてくれるようです。
待っただけの事はあるか。

藤井酒造の宝寿若竹のごとく。

広島の酒米八反綿のみを使用し、豊かな香りですっきりとした味わいの純米酒で、土産の候補として考えたが、今一つかみさんの好みではないようなので諦めました。おいしいお酒だったが。
焼牡蠣のはやし
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町505-1

厳島神社正面全景。
昼ご飯を終え、御笠浜に出てみると、ちょうど干潮と重なっており、大鳥居まで歩いて行ける状態でした。
早速鳥居に向かって歩き出しました。
しっかりとした砂で、埋まることもなく容易に鳥居まで近づけます。
鳥居の前は記念写真を撮る人で賑わっていますが、社殿側を眺める人は意外に少ないようです。

修復を終え、艶のある朱色で塗装された鳥居。
ほとんどの人は鳥居に触れていますが縁起がいいのだろうか。

紅葉堂の揚げもみじと大鳥居。
色々と考えるものです、まさに不思議食感、渋いお茶が欲しくなる。

最後の目的地の長浜神社を目指そう。

御笠浜から北に向かい常夜灯のところから右に進み在光寺方面へ。
在光寺の手前に厳島神社末社の今伊勢神社に続く石段があります。
長い石段の途中に両部鳥居があり、そこから更に石段を上った先に社殿があります。

今伊勢神社。
瀬戸内海を望む要害山の山頂に鎮座し、厳島神社末社のひとつ。
素朴な佇まいの拝殿と瓦葺の流造の本殿が主な伽藍。

戦国武将の陶 晴賢(1521~1555)の霊を慰めるものだといい、毛利家から今伊勢神社に二十五石を奉納されたという。
創建時期は不明。
祭神は天照大神八幡大神春日大神素戔嗚尊猿田彦神、興津彦命、興津姫命の七柱を祀る。
例祭は11月1日。
相殿に大織冠藤原鎌足霊神が祀られる。
例祭日に神社石段脇の存光寺で甲冑を着け、太刀を帯びた四名の者が舞う湯立神楽が行われていたそうです。

厳島神社末社 今伊勢神社
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町伊勢町

今伊勢神社からは尾根沿いに桟橋方向に向かいます。

行者堂。
修験道の開祖の役小角を祀る堂で、江戸時代の絵図には角仏堂と記されている。
祭神 役小角
祭礼 旧暦4月7日
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町857

要害山の散策路から一般道に出会い、そこから下に向かい三叉路を右に進むと海辺に鎮座する長浜神社に至ります。

行者堂から5分程の海岸沿いに鎮座する厳島神社境外末社長浜神社
社殿は道路の先に鎮座し、檜皮で葺かれた四方吹き抜けの拝殿と切妻瓦葺の覆い殿の二棟が建っています。
拝殿前の海辺には厳島神社の大鳥居を思わせる朱の両部鳥居があります、多くの人が訪れる大鳥居と比較すると、訪れる参拝客は少なく、落ち着いた雰囲気のある神社です。
由緒や創建などの詳細は不明ですが、古くは長浜エビス社と呼ばれていたそうです。
主に漁家から崇敬され、例祭日は11月20日
祭神は興津彦命、興津姫命、所 翁の三柱。
管絃祭の時には大元神社同様に沖合の御座船上で祭事を執り行い管絃が奏されるという。

渚に6つの礎石が置かれ、そこから柱を組んで立てられた朱の両部鳥居、干満時や朝夕には別の表情を魅せてくれる事だろう。

厳島神社境外末社 長浜神社
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町

宮島桟橋に戻ってきました。

広い厳島の一部の寺社しか廻っていませんが、陽はあっという間に傾いています。
帰りの電車もあり厳島(宮島)を後にしました。
それにしても凄い人と耳にする多言語の多いこと、世界遺産だけの事はある。
主なルート

JR山陽本線宮島口駅から一気に広島駅へ。

エキエ広島で土産と弁当を買い求め、こちらでも一杯。
後は電車の中で晩御飯を食べ名古屋まで爆睡するだけだ。
 



Hikari Rail Star新大阪・博多間を運航する車輛で名古屋からだと馴染みのない車両。

アナゴ弁当が晩御飯、若干高いがボリュームもあり美味しかった。
今回の旅行、かみさんが宮島に行ったら絶対食べたかったとしていた「ぺったらぽったら」は休業日で食べられず唯一悔いが残りますが、ほゞ満足の出来るいい旅になりました。

明日からまた質素な生活が始まるなぁ…アラームをセットしてひと眠りする。
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