「八剱社」名古屋市熱田区一番

前回掲載した熱田社、次の目的地は熱田区一番に鎮座する「八剱社」です。

八剱社へは社頭から東に向かい、「一番一丁目西」交差点から右へ約150m程先の一番町公園の北側に鎮座しています。

一番町公園の東側の路地の北側に一番町八剱社の社頭があります。
社頭には石の神明鳥居があり、境内にはニノ鳥居も構えています。
社頭の左側に「村社 八剣社」と刻まれた社号標と由緒書きが立てられています。

「神社名 八剱社
鎮座地 名古屋市熱田区1番2丁目27番9号
御祭神 日本武尊
由緒
創建は文化14年(1813)8月と伝わる。
昔から1番町の氏神として崇敬篤く明治5年(1872)村社に列格。
昭和34年(1959)年9月26日、伊勢湾台風により社殿に損害を受け、同36年(1961)復興。
長い間の風雨災害による破損も多く、本殿、拝殿、渡殿、末社、鳥居、手水舎など全面大改修、増築のため平成3年(1991)2月着手、同年10月に完成。
境内末社 秋葉社知立神社
境外末社 天王社
祭事 例祭日 10月10日、元始祭 1月1日、五穀祈年祭・天王祭 6月4日、新嘗祭秋葉社知立社大祭 12月15日」

上は大正9年(1920)の白鳥橋周辺。
熱田新田の開発は正保4年(1647)に始まり、慶安4年(1651)に完成したとされており、堀川から西にかけて広がる旧熱田新田は堀川寄りから東組、更に西は西組としてして二つの組があり、割と呼ばれる33の区画に分けられていました。

各区画は番号で識別され「〇番割」として称され、堀川寄りの東組から西に向け附番されていました。
この新田を33に分け「番割」と呼び、それぞれに氏神が祀られ、番割観音と呼ばれる西国三十三ヵ所になぞらえて観音堂も祀られました。

当時の番割は、現在も一部に6番町や10番町などの町名として名残を残しています。
熱田区内には1番から9番までの番割観音が現存しているそうで、熱田社の右隣に鎮座する慈教寺には2番、3番の番割観音がありました。
ここ一番割の番割観音堂は白鳥橋から少し西の杜の中に鎮座しています。
八剱社もこの一番割の守護神として祀られてきたようです。

境内に入った右側立つ手水舎。
平成3年(1991)に手入れが行われたばかりで、伽藍全体に目立った傷みはなく、境内も綺麗に手入れされており、気持ちよく参拝することができます。

ニノ鳥居から眺める境内は、周囲に低層住宅が立ち並ぶ立地にあるため、鬱蒼とした杜は見当たりませんが、複数の桜が植えられているので、境内をピンクに染めるのも間もなくでは。
拝殿の右奥に境内社が纏められているようです。

拝殿は入母屋瓦葺きで、四方が吹き抜けになっています。
柱を斜めから支える太い添木があることで、全体的に安定感のある印象を与えます。

拝殿から本殿の眺め。
本殿前には一対の狛犬が安置されています。
しかしながら、社殿域は全周を玉垣で囲まれており、間近で見ることができません。

滑らかな曲線で、しっかりと彫り込まれた毛並みを持つ狛犬
昭和4年(1929)に寄進年されたものでした。

神明造の本殿の棟には、5本の鰹木が施され、千木は水平方向にスパッと切られた内削ぎが施されています。
「鰹木が奇数本の場合は男神、内削ぎ千木が施された場合は女神を祀る場合が多い」と良く耳にします。
この八剣社の場合はどう判断するのか悩ましいところ。

棟を飾る鰹木や千木は個人的に、ユニセックスなデザインの一例として捉えるように意識しています。

境内社と本殿。
板宮造りの二つの社が整然と祀られています。

境内末社秋葉社知立神社。
社名札が見当たらず、よく分からず、由緒にある境外末社の天王社も探していますが所在が掴めない。

本殿左に忠魂碑。

社殿全景。
広々とした明るい境内は、一番町公園の一部と言っても過言ではなく、境内を通って公園に向かう親子の姿も見られる身近な存在の神社です。

今年は久し振りに腰を据えて花見が楽しめそうです。
悲しいかな花粉症になってしまったのか、マスクは手放せなくなってしまったようだ。

「八剱社」
創建 / 文化14年(1813)
祭神 / 日本武尊
境内社 / 秋葉社知立神社
境外社 / 天王社
所在地 / 名古屋市熱田区一番2-27-9
参拝日 / 2023/02/12
熱田社から八剱社 / ​徒歩5~6分程
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