花咲く奈良の寺社

4月4日、奈良県桜井市多武峰に鎮座する「談山(たんざん)神社」と明日香村に鎮座する「岡寺」を車で訪れてきました。
談山神社、岡寺の伽藍など改めて掲載するとして、今の多武峰と明日香村を彩る花の状況を掲載します。

名古屋を6時に高速に乗り、法定速度+10km/h(違反だナ)の定速走行で一路東名阪自動車道で針ICまでひとっ走り。
平日という事で高速は空いていますが、相変わらず速度と車間を制御できない「人」が操る車の多い事。
警察には徹底した取り締まりを望み、どんどん反則金を徴収してもらいたい。

 

「道の駅針テラス」で朝食を取って再び桜井市に向け走り出す。
周囲の山々は芽吹きを迎え、萌黄色に染まる「山笑う」時期を迎え、ソメイヨシノも散り始めを迎えていますが、名古屋に比べまだまだ咲き残っています。

9時過ぎ、談山神社東大門に到着。

緑が鮮やかな時期になってきた。

駐車場から緩やかに続く参道を上った先の談山神社社頭。

鳥居の右側には散り始めた桜並木。

談山神社
写真は総社拝殿から見た権殿・十三重塔・神廟拝所。
天武天皇7年(678)創建とされ、藤原鎌足を供養の為、妙楽寺の講堂として始まったのが談山神社で、権殿・十三重塔・神廟拝所 (旧・講堂)・舞台造りの拝殿が主な伽藍。

紅葉の時期は錦の山々に社殿が包まれとても綺麗な光景が見られ、それを愛でに多くの人で賑わいます。
秋だけではなく、実は山々が芽吹きを迎え、山桜の咲くこの時期が一番美しい表情を魅せてくれます。
その昔、この辺りの四季を通じてスライドに収めた頃がありました。
少し離れた高台から霞に包まれた萌黄色の山を背景に、手前の白い桜に埋まれる様に佇む談山神社が実に美しく、あの光景を再びデジタルに収めたくてかみさんを口説いて訪れました。

やはり足繁く通わなければ、あの光景は見られないようです。
訪れた時には既に桜のピークは過ぎ、かつて絶好のスポットだった場所?は周囲の樹々が成長し、当時の面影はなく、何処で撮ったかすら分からなくなっており、遠景を収めることは出来なかった。

談山神社は新緑、紅葉の美しい時期に、このけまりの庭で古の装束を身にまとい蹴鞠祭りが行われ、その光景を見に訪れる観光客も多い。

神廟拝所内の祭神である藤原鎌足像。
神廟拝所はかつて飛鳥時代後期の白鳳8年(679)に定慧和尚の父・藤原鎌足の供養の為、妙楽寺の講堂として創建したのが始まりとされ、仏教色の強い神社でもあり、内部の壁面全周には羅漢や天女の像が描かれています。内部の撮影は許されていますが、ストロボ撮影は控えたい。

総社拝殿から見る十三重塔。

こうして見る塔は天文元年(1532)の再建で、木造の十三重塔としては世界唯一のもので、藤原鎌足の供養のために建てられたもの。
風が吹き抜ける度に桜吹雪となる。

拝殿廻廊から見る桜、既に葉桜になろうとしていました。

多武峰談山神社由緒より
「御祭神 藤原鎌足
飛鳥・法興寺で行われた蹴け鞠まり会えにおいて出会った中大兄皇子 (後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、当社本殿裏山で極秘の談合をされました。
 
多武峰縁起』によれば、「中大兄皇子中臣鎌足連に言って日く。鞍作くらつくり(蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。願わくは奇策を陳のべよと。
中臣連、皇子を将ひきいて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」と記されています。
 
この談合により、皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられました。
 
多武峰はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新設合の地」の伝承が残りました。
現在の社号の「談山神社」もここからきています。
 
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いと知った大皇は自ら病床を見舞い、後日、大織冠内大臣という人臣の最高位を授けられ、藤原の姓を与えました。
藤原氏は、ここから始まります。
 
鎌足公の没後、御墓は摂津国 阿威あい山(現在の大阪府高槻市)に造られましたが、白鳳7年(678)唐より帰国した長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して妙楽寺と称しました。
さらに、大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置しました。これが談山神社の始まりです。」

随分久し振りに訪れましたが、少し離れて眺める姿は今も趣があっていい。
多武峰談山神社
所在地 / 奈良県桜井市多武峰319
名古屋から車アクセス / 東名阪自動車道名阪国道・国道25号経由奈良市針町の針IC・国道369号・県道198号・国道166号・県道37号で桜井市多武峰街道・県道155号で​3時間程度 

談山神社から車で石舞台古墳を経由し15分程の距離にある「岡寺」へ。

岡寺は奈良県明日香村の東にある岡山の中腹に位置し、綺麗に公園化された石舞台古墳からもほど近い。

真言宗豊山派の寺院で西国三十三所観音霊場第七番札所。
四季折々に趣を変え、美しい景観を見せてくれる寺。

昨今は花手水の岡寺として知名度が高いようで、手水舎や華の池はじめ、境内の小さな鉢などにも花があしらわれ参拝者を迎えてくれます。

華の池にもこうして花があしらわれ、水面一面に散りゆく桜の花弁が埋め尽くしています。
…花弁がピンクなら一層いいのだろうが、そんなタイミングは一瞬です。

ソメイヨシノは間もなく葉桜も近く、当日は枝垂れ桜が綺麗に咲いていましたが、それも風が通り過ぎるたびにひらひらと舞い落ちています。

本堂全景。
以下は岡寺由緒からの抜粋。
「昔には日本の首都、飛鳥京の中心地 飛鳥板蓋宮(大化の改新が起こった場所)、現在は明日香村行政の中心地「明日香村役場」の東に位置します。
過去においても現在においても政(祭りごと)・行政の中心地のすぐそばに位置しております。
『東光山 真珠院 龍蓋寺』、古来より土地の名から『飛鳥の岡にある寺』⇒『岡寺』と親しみをこめて呼ばれており、宗教法人名も『龍蓋寺』ではなく『岡寺』となっており、『岡寺』の名で知られております。
 
西国三十三所観音霊場の第七番札所として西国霊場草創1300年来、第七番の観音様として信仰を集めており、また日本最初やくよけ霊場としても知られています。
 
現在は真言宗豊山派に属しておりますが、創建当初より江戸時代までは開山の義淵僧正が法相宗の祖であったことから法相宗興福寺の末寺であり、興福寺から別当(住職)を選出しており、室町時代には興福寺別当が岡寺別当を兼務しておりました。
 
江戸時代に長谷寺第32代化主(住職)法住が岡寺に入山して中興第一世となって以来、長谷寺の末寺となり今日に至っています。
同じ西国札所の興福寺長谷寺とは昔から深いかかわり合いがあるお寺です。」

主な伽藍は仁王門、楼門、本堂、奥之院、三重宝塔、大師堂、鐘楼堂が主な伽藍。

八重の椿は幾分落花していますが、まだしばらくはこうした艶やかな姿を見せてくれそうです。
この他に境内ではシャガがひっそりと咲き誇っています。

岡寺の境内の桜が葉桜になろうとするこの時期から5月にかけて、境内を彩る花は石楠花に移り変わっていきます。
4月に入ったばかりだというのに境内の石楠花はつぼみも膨らみ、既に咲き始めていましたが、牡丹は流石にまだ〃。

以前に比べ花の咲く時期が早くなっている気がしてなりません。
5月に見頃を迎えていた室生寺も既に開花しているかもしれません。

境内は今、靑紅葉が綺麗な時期を迎えています。
岡寺
本尊 / 如意輪観音座像
所在地 / 奈良県高市郡明日香村岡806
談山神社から岡寺車アクセス / ​約15分程

奈良。
うんざりする人込みの京都に比べ、静かで落ち着けるところなのかもしれない。
今は吉野の桜に向かう観光バスも、間もなく石楠花や牡丹の花が咲きだすこの辺りを目指してくるのかな?
2023/04/04