鎌倉の中心といえる鶴岡八幡宮の境内社「旗上(はたあげ)辨戝天社」
三ノ鳥居をくぐり、参道を挟んで左右にある二つの池「平家池」と「源氏池」その源氏池の中の島に鎮座します。
前日は人波が途絶えなかった段葛も、朝一番は子供達の通学路に変わり、三ノ鳥居から境内も一望できます。
平日の朝8:00の太鼓橋から舞殿(下拝殿)と本宮(上宮)の眺め。
この時間の鶴岡八幡宮は静まり返った朝の表情を魅せ、境内を通り通勤・通学に向かう人影と参拝に訪れる地元の方が玉砂利を踏みしめる音が聞こえてくる。
日中とは別の趣ある光景が広がっています。
鶴岡八幡宮の開門・閉門時間は季節で違うようで、10月〜3月は6時〜21時、4月〜9月が5時〜21時のようです。
上は鶴岡八幡宮の境内マップ。
左上の破線は前日に参拝を済ませた今宮で下の二つの丸が今回掲載する、太鼓橋と旗上(はたあげ)辨戝天社。
鶴岡八幡宮境内絵図
享保17年(1732)に描かれた境内図で、明治以前(神仏分離以前)の境内の様子を示した絵図である。
将軍徳川秀忠の命により寛永元年(1624)から寛永3年(1626)にかけ描かれたもので、当時の諸社・諸堂の姿を伝えています。
参道を挟んで水路で結ばれた二つの池があり、右の池が源氏池で左の池が平家池。
平家池には4つの小島、源氏池には三つの小島が見られ、当時も今も変わることはない。
太鼓橋。
現在は通行は出来ませんが、仮に通行禁止でなくともこの急な橋を好んで渡る気にはなりません。
こうして見る石造の太鼓橋は、1923年の関東大震災で崩落後の昭和2年(1927)に架け替えられたもの。
橋脚や橋桁などはコンクリート製で、その上の床板や欄干は石造で欄干に青銅製の擬宝珠が施されたもの。
側面から見る太鼓橋は綺麗な曲線を描き、眺めるにはいいが、実用的とは思えない程の勾配があります。
往古の太鼓橋は石造ではなく、朱塗りの木造橋でその姿から赤橋と呼ばれていたようで、絵図にも朱の橋が描かれ、太鼓橋の右に木造橋が架けられいたのも分かります。
太鼓橋は現世と神々の世界を結ぶ架け橋で、ここから先は例え将軍といえども下馬しなければならない。
人影のない中の島の全景だけは朝くらいしか望めないかも知れません。
訪れたのが1月という事もあり彩りは寂しいですが、桜の樹々が多く、桜の時期には華やかな光景に変わる事でしょう。
ここから下の写真は前日に撮影したもの。
旗上弁財天社が鎮座する中の島に架かる神橋。
橋の手前、島全周に白地に二引きの奉納幟がはためき、頼朝が平家掃討の旗揚げする光景を感じさせる。
旗上辨戝天社御由緒記(一部抜粋)
「治承4年(1180)8月、源頼朝公は伊豆国に源家再興を上げ、石橋山の戦いに敗れ房総に転じ、10月鎌倉に移るや直ちに鶴岡八幡宮を創建、居館を定め平家打倒の本拠地とした。
頼朝の妻北条政子は平家滅亡の悲願を抑えがたく、寿永元年(1182)大庭景義に命じ境内の東西に池を造らせ、東の池を源氏池と称し三島を配し、三は産なりと祝った。
西の池は平家池と称し四島を造り、四は死なりと平家の滅亡を祈った。
そして源氏池の中の島に辨戝天を祀ったのが旗上辨戝天社の始まり。
明治初年の神仏分離により、境内にあった堂塔と共に辨戝天社も排除されたが、後の昭和31年(1956)篤信家の立願により再興される。
同55年9月(1980)、鶴岡八幡宮創建800年を記念し、江戸末期文政年間の古図に基づき現在の社殿が復元された。
因みに辨戝天信仰は、鎌倉時代には既に盛んに崇敬され、妙音芸能の女神、福徳利戝の霊神として広く仰がれている。
当社に祀られていた辨戝天像(重文)は鎌倉彫刻の代表傑作と評され、種々の御神徳が如実に具現化された人間味溢れる御神像(鎌倉国宝館所蔵)である。
祭日 例大祭 4月初巳の日、祈願祭 毎月巳の日。
政子石拝観。
古来より縁結びの霊能があり、姫石とも称し広くしられる。」
太鼓橋と左右の橋は二つの池を繋ぐ水路に架けられているもので、鶴岡八幡宮境内絵図が描かれた当時は太鼓橋(赤橋)と右の橋の二つだったのが分かります。
中の島の入口に建つ朱の明神鳥居から境内の眺め。
全面朱で彩られた小さな社殿は、3柱の女神を祀るに相応しい佇まいをしている。
全体に派手な装飾はなく、正面蟇股の琵琶を奏でる天女の透彫りがアクセントになっています。
旗上(はたあげ)辨戝天社は鎌倉七福神のひとつをなす弁財天ゆかりの地で、鎌倉の七福神をお祀りする寺社は以下。
・毘沙門天 鎌倉市小町の宝戒寺。
・布袋尊 同市山ノ内の浄智寺。
・寿老人 同市小町の妙隆寺。
・夷神 同市小町の本覚寺。
・福禄寿 同市坂ノ下の御霊神社。
・大黒天 同市長谷の長谷寺。
・辨戝天 ここ旗上辨戝天社。
これに江ノ島の江島神社の辨戝天を加えたものが鎌倉・江の島七福神となるようで、専用の御朱印帳も用意されています。
かみさん曰く一つ頂くと残りの空白が埋めたくなるので見送ったようで、今思えば一之宮巡りも西国三十三所巡礼もこうして始まって行きました。
ただこの七福神巡りは全て鎌倉でコンプリート出来るので、滞在時間に余裕さえあれば巡れない事はなさそうです。
白いパイロン沿いに社殿後方に回り込むと、赤い玉垣に囲われた一画があり、そこには政子石が安置されています。
頼朝が政子の安産を祈願したとされる陰陽石で、子宝、夫婦円満、恋愛成就の御利益があるという。
政子石。
子宝を授かるご利益以外にも縁結びや夫婦円満のご利益も授けて頂けるようです。
縁あって結ばれ、二人の子宝を授かり、今更これ以上…夫婦円満?
一度角が生えだすとそりゃ恐ろしいだけに、ここはご利益を授かろう。
作法は仲良く二つ並んだ石を両手で同時に撫でることらしい、さすればたちどころに角は消え失せる、らしい。
鶴岡八幡宮の御朱印を頂きにいったかみさん。
人波に巻き込まれたくないおやじは太鼓橋で忠実に待っているはずだった、これはやばい!戻ろう!
鶴岡八幡宮境内社 旗上辨戝天社
創建 / 寿永元年(1182)
再建 / 昭和31年(1956)
祭神 / 多紀理昆売命、多岐都比売命、市寸嶋比売命
所在地 / 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-31
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