『岩崎御嶽社』

岩崎御嶽社
東名日進JCTの西側にあたりの日進市岩崎町竹ノ山、そこに聳えるのが標高131mの岩崎御嶽山
かつて広大な田畑が広がり、長閑な農村の風情がありました。
近年は急速な宅地化により、住宅が立ち並び、その勢いは山の西側まで迫っています。
岩崎御嶽山のほゞ全体が岩崎御嶽社の境内といっても過言ではなく、山中には岩崎御嶽社、中之院、少し離れた住宅の立ち並ぶ高台の頂に奥之院が鎮座します。

上は中腹にある駐車場に掲げられている観光マップ。
あじさい遊歩道を歩き、八大龍王、功徳天満宮と上ってきました。
今回は功徳天満宮の東向かいにある岩崎御嶽社とお助け穴不動を紹介します。

社頭全景。
岩崎御嶽山のほゞ山頂に鎮座しその始まりは、万延元年(1860)、明心・明寛の2人の御嶽行者が夢のお告げを受け、木曾から御嶽大神を勧請して開山創建したのが起りとされる神社で大己田貴命、少彦名命をお祀りする神社。

社頭から山頂に向け「御嶽大神」の白い奉納幟がはためき、山頂の社殿に向け石段が続きます。
石段の両脇には数えきれないほどの霊神碑や石仏が安置され、恰も木曽の御嶽山に来ているような雰囲気に包まれています。

上り口左の堂。
中には八海山大頭神王、不動明王、子供の守護神十二大権現が安置されています。

右側には飛騨地方で見られる「さるぼぼ」に似た、色とりどりの「さるぼこ」が無数に安置され、それを持ち帰りお守りにすると子宝を授るらしい。
自分のイメージでは女の子を授かりたいなら赤、白は男の子と勝手に思い込んでいたが、黄色や水色などもあり考えを改める必要がありそうです。

鳥居から続く石段の両脇には、無数の霊神碑やこうした不動明王像や行者像、小さな鳥居を構えた稲荷が立ち並ぶなど神仏習合色の強い境内です。

境内は岩崎御嶽山八十八ヶ所霊場にもなっており、表情や年代の違う石仏が安置されており、八十八ヶ所の石仏を究めたい向きには楽しめるかも知れない。

鳥居から見えていた石段を上り詰めると、ニノ鳥居を構え、手水舎、社務所、開祖殿などが建つ開かれた境内に出ます。
ここから一段上に拝殿、本殿の社殿に続きます。

禊舎。
日頃下界で暮らし、自ら犯した罪や穢れにまみれた体を清める場所だろう。
それはさすがに。

ここは手水で清めよう。

生憎、大きな龍の口からは清水が注がれていなかった。


社務所

左が開祖殿で正面奥が社殿。

開祖殿。
すべての瓦に山丸三の紋が入る。
普寛行者が考案した紋とされ、上から山の意匠は霊峰御嶽を現し、三本の線を囲む〇は宇宙を現すもので、三本線の真ん中の線が宇宙の根本とされる大日如来、上の線が不動明王、下の線が摩利支天を表している。

開祖殿前の狛犬(寄進年未確認)。

石段を上り詰めた先の御嶽社拝殿。

手前の香炉の上には羽を広げた鳳凰があしらわれ、香炉から漂う線香の香りからし神仏習合の香りは漂っています。

左に穴不動の案内板があります。
徒歩1~2分程で山肌に作られた穴の奥に不動尊像を祀った「お助け穴不動」に至ります。

岩崎御嶽社拝殿を守護する狛犬。(寄進年未確認)。

拝殿額。

拝殿内の額。


本殿の千木鰹木。
軒丸瓦などここにも山丸三の紋が入ります。

拝殿左から回り込んだ本殿全景の眺め。
※中院に続く道はこのエリアではなく、写真左方向の本殿の左下(正面からだと右)に道が続いています。

拝殿に戻り、参道と開祖堂方向を振り返る。

ここから写真右手の穴不動に向かいます。

拝殿前の案内板に従い、心細くなるような山道を下っていきます。
途中には案内板も整備され迷うことなく2~3分で辿り着けます。
訪れたのが3月7日という事もあり、木漏れ日の差し込む明るい杜でしたが、若葉が芽生える今の時期は少し表情は変っているかもしれません。


分岐看板から下に見える穴不動全景。
訪れる前は素掘りの洞窟をイメージしていましたが、実際に訪れて見る佇まいは若干ギャップを感じるものでした。
こうして見るとコンクリートのトンネルの様に見えなくもないですが、素掘りの洞窟の入口部分を崩落防止のためこのような形で補強しているようです。

穴不動内部。
入口から少し入ると地盤が露わになり素掘りの洞窟となりますが、足元はセメントで固められ不安はありません。
防空壕の様にも見えますが、薄暗い穴の奥に石像や蝋燭台が置かれ、ここで修行を積む目的だけのため掘られたもの。

子供の頃、学校や親から「絶対に近寄るな」と云われていた近所の防空壕跡に悪ガキ一同で探検に行った時の事が蘇ってくる。
その探検隊の結末は案の定、おまわりさんに補導され、親や先生からこっぴどく叱られた。
今のようにゲームや携帯もない時代、子供の好奇心を掻き立てるものは家ではなく外にあった気がする。

この岩崎御嶽社は、杜の中を網の目のように作られた枝道や石像群など、歳を重ね冒険心を忘れた元悪ガキにとって好奇心を掻き立てる雰囲気があります。

次回は、本殿正面から見て右にある写真の道を奥に進んだ先に鎮座する中之院を掲載します。

岩崎御嶽社
創建 / 万延元年(1860)
祭神 / 大己田貴命、少彦名命
所在地 / ​​日進市岩崎町竹ノ山
参拝日 / 2023/03/07
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