『岩崎御嶽社 奥之院』

岩崎御嶽山の岩崎御嶽社から中之院と訪れてきましたが、今回は御嶽社最後となる奥之院です。

中之院から民家のある三叉路に戻り、奥之院までは三叉路を西に進み、民家の立ち並ぶ高台の頂に向かいます。
奥宮に至るまでの道を緑のラインで示します、直線距離にしたらたいした事はありませんが、見ての通りです。三叉路から概ね15分程の上り坂となります。

三叉路を西に向かい、住宅が立ち並ぶ右手の高台の頂を目指します。
ほゞ円錐形の高台を周回するように道路が続き、近道を探したくなりますがここは我慢。
訪れた3月は樹々の間から池も見えていましたが、今頃は新緑も生い茂り見えにくくなっているかもしれません。分かれ道まで来たら右の上り坂を進みます。

上は奥之院が鎮座する高台の頂付近。

左手のフェンスのある坂を上ると奥の院に至ります。
写真中央の石垣に石段がありますが、そこを進んでも奥之院には行けません。

奥之院参道口。
正面に見えているのが岩崎御嶽山、周囲は傾斜地に住宅が立ち並び別荘地の趣がある。
見晴らしもよく良い環境ですが、下からここまでは坂なので車が必需品かもしれない。
生活道路で、さほど幅員もないので路駐は避けた方がいい。

緩やかに上る整備された参道を上り切れば奥之院です。
中之院までの道のりの様に余計な不安を抱く事はないと思います。

奥之院が見えてきました、奥之院登頂まであと少し。
頂きには赤い幟や鳥居が立てられ、ひっそりとした雰囲気のなかに佇んでいた中之院と比較すると随分賑やかです。

奥之院全景。
境内は概ね三つの神域で成り立っており、手前の鳥居が御嶽社、中ほどに不動明王、奥に心願講と其々に神明鳥居が立てられています。
最初に記載しておきます、奥之院の寄進物の寄進年は見ていません。

御嶽社奥之院。
万延元年(1860)、明心・明寛の2人の御嶽行者が夢のお告げを受け、木曾から御嶽大神を勧請して開山創建したのが起りとされる神社で大己田貴命、少彦名命をお祀りする神社。
岩崎御嶽社そのものが地図上に記されるのが大正9年から、奥宮に至っては現在も記されていなかった。
奥宮がいつ頃から存在したか定かではなく、奥宮で唯一目にした本殿域の大正9年と記された玉垣しか見ていません。
地図上の印の有無で創建時期と推定する根拠にならないだろうが、地図に現れる年号と玉垣の年号が奇しくも同じ年なのはただの偶然だろうか。

奥之院鳥居扁額。

三つの扉がある本殿の中央に鏡が置かれ、その左右に小さな陶器の狛犬が置かれています。

本殿は三柱を祀る相殿でこの両脇に石像が立てられています。

奥宮左の明治天皇尊碑。

互いを見合う様に陶製の狛犬が碑を守護している。

中央が唯一二つの鳥居を構える不動明王、参道は突き当りの石窟に向け伸びている。

一ノ鳥居の不動明王の額。

ニノ鳥居のすぐ前に人の手により作られた石窟がある。

石窟(仏窟)内部は屈まなければ入れないほどの高さしかなく、床に敷物が敷かれ、正面に粗削りな大日大聖不動明王や地蔵、弘法大師や仏像などの石像が安置され、香炉には不動明王講とある。
岩崎御嶽山には心願講、誕生講、福寿講、出生講など良く耳にする有力講社の他に、この地域や名古屋市内に活動拠点を置く講社の霊場があり、岩作御嶽山(安政5開山)と共に御嶽信仰の一大聖地のひとつで、講員は其々の霊場で御座儀礼や読経を行い、霊峰御嶽に戻った先人達と繋がりを持つのだろう。

不動明王の左に複数の石碑や像が安置され、狛犬の姿もある。
さほど広いとはいえない奥宮境内に神と仏が一つに融合されています。

境内西側の神願講霊場
鳥居の先には神願講開祖の明寛霊神像が安置されています。

奥之院から西を眺めれば、名古屋市内第二位の標高(約111㍍)の親鸞山(極楽山)があり、高針心願講の霊場のひとつ高針御嶽山(1949年開山)が間近に見られ、その先には東山スカイタワーやセントラルタワーズも一望できる。
北方向に目を向けるとモリコロパークや猿投山の山々も望め、空の澄む時期には雪を頂いた霊峰御嶽の眺望が広がります。

気持ちだけは今でも山は登れるつもりでいますが、若い頃は気にもしなかった坂が、最近ではやたらと急登に思えるようになり、岩作御嶽山から標高133㍍の奥之院までの道のりが遠く感じる。

岩崎御嶽社 奥之院
創建 / 不明
祭神 / 国常立尊大己貴命少彦名命
所在地 / ​日進市岩崎町竹ノ山
中之院から徒歩ルート / ​西へ約15分
参拝日 / 2023/03/07
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中之院から民家のある三叉路に戻り、奥之院までは三叉路を西に進み、民家の立ち並ぶ高台の頂に向かいます。
奥宮に至るまでの道を緑のラインで示します、直線距離にしたらたいした事はありませんが、見ての通りです。三叉路から概ね15分程の上り坂となります。
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三叉路を西に向かい、住宅が立ち並ぶ右手の高台の頂を目指します。
ほゞ円錐形の高台を周回するように道路が続き、近道を探したくなりますがここは我慢。
訪れた3月は樹々の間から池も見えていましたが、今頃は新緑も生い茂り見えにくくなっているかもしれません。分かれ道まで来たら右の上り坂を進みます。
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上は奥之院が鎮座する高台の頂付近。
左手のフェンスのある坂を上ると奥の院に至ります。
写真中央の石垣に石段がありますが、そこを進んでも奥之院には行けません。
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奥之院参道口。
正面に見えているのが岩崎御嶽山、周囲は傾斜地に住宅が立ち並び別荘地の趣がある。
見晴らしもよく良い環境ですが、下からここまでは坂なので車が必需品かもしれない。
生活道路で、さほど幅員もないので路駐は避けた方がいい。
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緩やかに上る整備された参道を上り切れば奥之院です。
中之院までの道のりの様に余計な不安を抱く事はないと思います。
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奥之院が見えてきました、奥之院登頂まであと少し。
頂きには赤い幟や鳥居が立てられ、ひっそりとした雰囲気のなかに佇んでいた中之院と比較すると随分賑やかです。
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奥之院全景。
境内は概ね三つの神域で成り立っており、手前の鳥居が御嶽社、中ほどに不動明王、奥に心願講と其々に神明鳥居が立てられています。
最初に記載しておきます、奥之院の寄進物の寄進年は見ていません。
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御嶽社奥之院。
万延元年(1860)、明心・明寛の2人の御嶽行者が夢のお告げを受け、木曾から御嶽大神を勧請して開山創建したのが起りとされる神社で大己田貴命、少彦名命をお祀りする神社。
岩崎御嶽社そのものが地図上に記されるのが大正9年から、奥宮に至っては現在も記されていなかった。
奥宮がいつ頃から存在したか定かではなく、奥宮で唯一目にした本殿域の大正9年と記された玉垣しか見ていません。
地図上の印の有無で創建時期と推定する根拠にならないだろうが、地図に現れる年号と玉垣の年号が奇しくも同じ年なのはただの偶然だろうか。
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奥之院鳥居扁額。
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三つの扉がある本殿の中央に鏡が置かれ、その左右に小さな陶器の狛犬が置かれています。
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本殿は三柱を祀る相殿でこの両脇に石像が立てられています。
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奥宮左の明治天皇尊碑。
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互いを見合う様に陶製の狛犬が碑を守護している。
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中央が唯一二つの鳥居を構える不動明王、参道は突き当りの石窟に向け伸びている。
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一ノ鳥居の不動明王の額。
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ニノ鳥居のすぐ前に人の手により作られた石窟がある。
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石窟(仏窟)内部は屈まなければ入れないほどの高さしかなく、床に敷物が敷かれ、正面に粗削りな大日大聖不動明王や地蔵、弘法大師や仏像などの石像が安置され、香炉には不動明王講とある。
岩崎御嶽山には心願講、誕生講、福寿講、出生講など良く耳にする有力講社の他に、この地域や名古屋市内に活動拠点を置く講社の霊場があり、岩作御嶽山(安政5開山)と共に御嶽信仰の一大聖地のひとつで、講員は其々の霊場で御座儀礼や読経を行い、霊峰御嶽に戻った先人達と繋がりを持つのだろう。
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不動明王の左に複数の石碑や像が安置され、狛犬の姿もある。
さほど広いとはいえない奥宮境内に神と仏が一つに融合されています。
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境内西側の神願講霊場
鳥居の先には神願講開祖の明寛霊神像が安置されています。
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奥之院から西を眺めれば、名古屋市内第二位の標高(約111㍍)の親鸞山(極楽山)があり、高針心願講の霊場のひとつ高針御嶽山(1949年開山)が間近に見られ、その先には東山スカイタワーやセントラルタワーズも一望できる。
北方向に目を向けるとモリコロパークや猿投山の山々も望め、空の澄む時期には雪を頂いた霊峰御嶽の眺望が広がります。

気持ちだけは今でも山は登れるつもりでいますが、若い頃は気にもしなかった坂が、最近ではやたらと急登に思えるようになり、岩作御嶽山から標高133㍍の奥之院までの道のりが遠く感じる。

岩崎御嶽社 奥之院
創建 / 不明
祭神 / 国常立尊大己貴命少彦名命
所在地 / ​日進市岩崎町竹ノ山​
中之院から徒歩ルート / ​西へ約15分
参拝日 / 2023/03/07
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