郡上八幡の街並みに鎮座する「野中稲荷神社」

岐阜県郡上市八幡「野中稲荷神社」
町内を長良川と支流の吉田川の二つの清流が流れ、城下町の趣が漂う落ち着いた静かな町。

3/25、例年より早い桜の満開を迎える名古屋を離れ、電車と気動車を乗り継いで長良川鉄道郡上八幡駅」に降りたった。
名古屋に比べ少しばかり標高の高い郡上八幡
周囲の景色は随分と変わり、郡上の町はこれから春本番を迎えようとする時期で、上着が一枚欲しくなる。

吉田川右岸の郡上の町を見下ろす八幡山の頂に建つ郡上八幡城。
低く垂れこめた雲海の上に浮かぶ城の姿を求め、郡上を訪れる人も多いといいます。
城は昭和8年(1933)に再建されたもので、現在は耐震化工事が行われており入場は不可。

郡上八幡は水の都とも呼ばれる事もあり、町内には宗祇水をはじめとする湧水や水舟、御用用水が巡らされています。
豊かな水は日常生活と密接し、軒を連ねる町並みの消火のためにも使われてきました。
写真は「やなか水のこみち」
清らかな流れの水路沿いに川石を敷き詰めた小径が作られており、芽吹き始めた柳の鮮やかな緑と紅殻格子の建物が風情のある佇まいを魅せてくれ、暑い日に涼むには絶好の場所。
野中(やなか)稲荷神社はこの「やなか水のこみち」沿いに鎮座します。

野中(やなか)稲荷神社。
二つの鳥居を構え、左に水舟があり、「やなか水のこみち」の名はこちらの稲荷から付いています。

一ノ鳥居に架けられた額は「野中稲荷神社」

水の都らしく、冷たい水は絶え間なく水舟に注がれ、その水は再び台地に戻る。

境内から一ノ鳥居に刻まれた寄進年を見ると大正10年(1921)と刻まれています。
正面の「やなか水のこみち」沿いにも水舟が作られ、水舟は身近な存在として活用されています。

二ノ鳥居から本殿の眺め。
シックな色合いの街並みの中で、この鳥居と本殿の朱色が一層鮮やかに見える。

野中(やなか)稲荷神社由緒。
内容は以下。
「野中(やなか)稲荷神社はこの一帯に郡上藩三代藩主遠藤常友の弟大助が家臣とともに住んだ長屋群があり、その遠藤家の屋敷と土地を守る屋敷神であったとされる。
左側の奥一帯は江戸時代初めの遠藤氏時代からの藩屋敷があり、この長屋群は三筋の町並み(現在の稲荷町1~3丁目)をつくり、新長屋・中長屋・片長屋と呼んだ。
江戸時代後半の青山氏時代には、ここはすべて足軽屋敷となり、全部で五十八戸があった。
尚、「やなか水のこみち」は昭和63年(1988)に小公園ポケットパークとして整備され、野中稲荷神社にちなみ命名された。
参考文献 歴史探訪郡上八幡

遠藤大助(常昭)の生没は1629~1692年とされ、徳川家綱の小姓衆として仕え、延宝元年(1673)に隠居し郡上に戻り、城下の願蓮寺南に大助様屋敷が与えられ晩年を過ごし、元禄5年(1692)に64歳で亡くなったと言います。
そうした事から、野中稲荷神社は江戸時代前期に伏見稲荷から勧請し創建されたものと思われます。

常夜灯の竿には嘉永6年(1853)寄進と刻まれています。

本殿全景。
扉の前には小さな狛狐が守護しています。
右手の柱に白い札は、毎年4月20.21日、ここから少し東に鎮座する日吉神社大神楽を奉納した事を示すもので、日吉神社大神楽重要無形民俗文化財に指定されているとか。
子孫繁栄、息災延命等の御利益がありそうです。

稲荷町」とありますが、現在の町名は稲荷の鎮座する側が八幡町新町、小径を挟んで左が八幡町島谷に分かれ、稲荷町としては残ってはいないようです。

新緑の時期を迎え、郡上の町は見所やご当地グルメもあり、日帰りで散策するには持ってこいの場所です、散策で通りかかった際には足を止めて見るのもいい。
表通りとは違い、この小径は車の往来もなく、暑い日には水舟に注がれる水音が癒してくれそうです。

野中(やなか)稲荷神社
創建 / 江戸時代前期
祭神 / 倉稲魂神
所在地 / ​岐阜県郡上市八幡町新町931
参拝日 / 2023/03/25
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