地御前駅に戻り、ここから終着駅である宮島口駅に向かいます。
このJR宮島フェリーは、行きの途中に厳島神社の鳥居の近くを通過してくれるので、右舷側で待っていれば修復を終え海に浮かぶ両部鳥居と社殿を一枚に収めることができます。
宮島(厳島)を訪れる観光客は年間300万人を超える、その多くがこのフェリーで訪れます。
宮島や厳島と呼ばれる神の島ですがどちらも同じ島を指していますが、国土地理院の定める正式名称は「厳島」です。
厳島の由来はいくつかあるようで、ひとつに祭神の市杵島姫命の「いちきしま」から厳島(いつくしま)に転じたとされ、戦乱の時代が終わった江戸時代頃から厳島神社(お宮)のある島から、宮島と呼ばれるようになったとようです。
これ以降は通称の宮島として記載します。
もともと陸続きだった頃から宮島に生息していた野生の鹿で、禁足地だった頃から神の使いとして見守られてきたこともあり、人を恐れませんが飼いならされたものではありません。
人が接し方を間違え、それによるトラブルが結構起きていると聞きます。
昼寝の邪魔をしない方がいい。
今回は厳島神社とその周辺の寺社を中心に巡る事にしましたが、機会があればテントを張ってのんびり巡りたいもの。
宮島には厳島神社以外に、弘法大師が護摩修業した1200年前から「消えずの火」として受け継がれて来た不消霊火堂など多くの寺社が鎮座し、神仏習合の名残を留めています。
フェリー乗船中の観光ガイドでこの島にないものとして三つ紹介されていました。
一つは島内に一基も墓は建てられていません、同じ理由から出産も本土ですることが受け継がれています。
二つ目は島内に信号がない。
三つ目に島内にはコンビニがない。
今回は厳島神社周辺を歩いただけで、宮島ロープウエイ方向まで廻れませんでしたが、確かに上の三つは目にしなかった。
波打ち際の松並木が続く参道にある石造の明神鳥居で、一対の大きな狛犬が出迎えます。
大正8年(1919)の寄進で、角付きの吽形と阿形は笑っているような。
やはり海に浮かぶ姿が一番。
大半の建造物は国宝または重要文化財に指定されています。
どこでもそうだろうが、陽も高々とあがってからでは人の映り込みは避けられません。
拝観は6時30から出来るのでその時間なら本来の姿が見られるだろう。
人波が途切れる事はありません。
廻廊右の飛び出した部分は客神社の祓殿。
厳島神社最大の摂社で本殿、幣殿、拝殿、祓殿とあり、祭神は天忍穂耳命、活津彦根命、天穂日命、天津彦根命、熊野櫞樟日命の五男神が祀られています。
平清盛の厚い庇護を受け建てられ、鎌倉時代の仁治2年(1241)に再建されもので、本殿は前後に長い庇を持つ両流造で檜皮葺き。
手前の祓殿の廻廊に付けられた白い波よけ板、正面の二間だけが付けられていないのは、往古の儀式などでここから海側へ昇降できるように配慮したものと言う。
厳島神社には地御前社で少し記載した管弦祭や舟で海に団子を供えた藁船を浮かべ、烏がそれを食べに来れば吉兆と占う伝統神事「御島巡り」など舟を用いた祭礼が幾つもあり、そうした事もあるのかも知れない。
後方に聳えるのは厳島神社・五重塔と左は豊国神社千畳閣。
寄進年は未確認ですが、個性的な尾と鬣を持つ風格のあるもの。
厳島神社の創建は伝承では推古天皇元年(593)とされますが、定かではないようです。
現在の海に浮かぶ社殿の原形は平清盛により築かれたとされます。
この日は挙式も行われ、居合わせた国内・海外から訪れた観光客からも祝福を受けていました。
その光景を見てカナダバンフの片田舎にある教会で、二人だけで挙げた結婚式の様子が蘇ってきた。
あの時も現地の人から祝福を受けたものだ。
高舞台から見て右の神社で切妻檜皮葺の覆屋内に流造の社殿がある。祭神は櫛磐窓神を祀る。
両部鳥居。
平舞台の沖に建てられた鳥居で、補修を受け色鮮やかに海に聳えている。
鳥居の島木と笠木の内部は空洞で、内部に石が詰め込まれ、その自重で自立し、風や波の影響から耐えるようになっている。
往古の鳥居は両部鳥居ではなく明神鳥居だったようで、両部鳥居に変えられたのは天文16年(1547)に再建された際からだといわれます。
左門客神社と青銅製の灯籠。
高舞台から見て左の神社で右門客神社同様の造り。祭神は豊磐窓神を祀る。
客神社の脇に高舞台で舞が行われる時に使用される楽房がありますが、人の映り込みも多く掲載は見送りましたが、これも国宝です。
高舞台から海に伸びる火焼前先端は、燈籠と鳥居を入れ撮影する映えスポットのようで、長い列は途切れない。
三つの燈籠は寄進年がそれぞれ違いますが、いずれも細かな意匠が施されています。
ここは左門客神社の青銅製の灯籠と鳥居を入れて一枚。
祓殿、拝殿、幣殿の全景。
平舞台から能舞台(左)と楽屋が見える。
楽屋右奥の山の上に足場が聳えているのが多宝塔で現在修復作業中でした。
本社拝殿から幣殿、本殿方向の眺め。
神紋は三つ盛り二重亀甲に剣花菱。
なにを買って帰ろうかねぇ。
大国神社。
鎮座年代は不明、天文6年(1537)の記録に記述があるようで、祭神は大国主命で相殿神に保食神をお祀りする。
由緒によれば本社にお供えする前に、ここに一旦安置した後に本社にお供えされたという。
檜皮葺き両流造の本社。
西廻廊から見る天神社と反橋。
西廻廊から能舞台の眺め。
慶長10年(1605)の建立とされ、延宝8年(1680)にも再建され、現在のものは1991年の台風19号で倒壊、平成9年(1944)に再建された切妻檜皮葺のもので、鏡板に描かれている松もその際に描かれたもの。
往古は天皇の勅使しか渡る事が許されなかった事から勅使橋と呼ばれたそうです。
潮が引いても燈籠の前の順番を待つ長い列は途切れることはないようです。
上
豊国神社千畳閣。
名の通り、豊臣秀吉が千部経を読誦するために天正15年(1587)に発願、建立した入母屋瓦葺の大経堂で未完成のまま現在に至っています。
廃仏毀釈により明治5年(1872)、神となった豊臣秀吉、加藤清正を祀る厳島神社の末社豊国神社に改められ現在に至るようです。
堂内には大きなしゃもじが安置されていますが、しゃもじは御飯をすくい取る事から勝利をすくいとる縁起物として奉納されるようになったとか。
下
五重塔。
室町時代の応永14年(1407)の創建で、千畳閣の境内に聳えています。
もとは大聖院の子院(金剛院)の五重塔でしたが、廃仏毀釈にともない、厳島神社に附属する塔となりました。
厳島神社のシンボル朱の大鳥居。
平安時代から数えて9代目の現在の鳥居は、明治8年(1875)に再建され、修復を終えたばかり。
鳥居の額は海側は「厳島神社」、本社側は「伊都岐嶋神社」と書かれています。
間近に見るより海に浮かぶ姿が一番趣がある。
鳥居は人が取り囲んでいますが、意外にこうして社殿を眺める人は少ないようです。
こうして見ると客神社の脇の楽房や三つの燈籠も一望する事が出来る。
「あのおやじ邪魔」なんて声が聞こえてきそうだ。
次回訪れる際は腰を据えて海岸線に鎮座する宮島七浦巡りだけを訪ねたいものです、そこならさすがに人は少ない気もする。
安芸国一之宮 厳島神社
創建 / 推古天皇元年(593)
祭神 / 市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
境内社 / 客神社、右門客神社、左門客神社、大国神社、天神社
所在地 / 広島県廿日市市宮島町1-1
参拝日 / 2023/03/03
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