「大願寺」​広島県廿日市市宮島

厳島神社の引き続きとなります。
今回は境外末社「清盛神社」から御手洗川を渡った先に鎮座する大願寺を掲載します。

大願寺はマップの赤丸部分にあたります。
清盛神社からだと御手洗川に架かる石橋を渡り、徒歩で2分もあれば大願寺境内です。

山門。
厳島神社出口に建つ山門で、大半の方はこちらから大願寺を参拝し、清盛神社まで足を向ける人は少ないようです。
木造瓦葺の山門左右の間には仁王像が安置されています。
両翼に塀はなく山門だけがポツンと聳えています。

大願寺の創建時期は寺伝によれば平安時代初期に空海(774~835)によって開かれたと伝わります。
一方で鎌倉時代初期の建仁年間(1201~1204)に了海(1239~1319)によって再興されたともされるようで定かではないようですが、往古より厳島神社と深い関りがあるようです。
現在の大願寺は元禄時代に建立された山門と本堂が主な伽藍で、境内の護摩堂などは平成18年(2006)に再建されるなど、古の佇まいを強く留めるものはこの山門かもしれない。
今はポツンと聳える山門ですが、かつての門は左右を塀で繋がれ、複数の堂宇があったようで、海に浮かぶ大鳥居を舟でくぐり、御手洗川を経て大願寺から厳島神社に参拝していたとも云われます。

ここは厳島神社出口と云われますが、実は入口だったのかもしれません。
上は天保13年(1843)、当時安芸広島藩士だった岡田清により編纂された厳島図会の大願寺挿絵。
手前が清盛神社の鎮座する西の松原で、その先が御手洗川と思われます。
当時は山門に繋がる塀も描かれていました、描かれた当時の山門は現在の向きに対し右に90度振られていたようです。

左右の間に安置されている仁王像。

実はこの仁王様はもともとこの山門に安置されていたものではありません。

元々は、厳島神社末社の今伊勢神社から尾根沿いに東に歩いた頂に建っていた仁王門に安置されていたもの。
延宝6年(1678)9月、山県郡都志見村の香川七郎左衛門が建立した門に安置されていました、それも明治政府の神仏分離令に伴い取り崩されてしまい、像だけが大願寺の山門に移されたのだと云います。
上は今伊勢神社から尾根沿いに続く山辺の小幹に残る石標で、痕跡はなにも残っておらず唯一それを伝えるのがこの石標だけです。
この像を見る時、五重塔が聳え立つ対岸の、更に先から居場所を求めてやって来た、そうした目線で見てやってください。

山門から先の境内に鎮座する厳島龍神
水が張られた小さな池の中央に巨岩が組まれ、その頂に厳島龍神の本殿が祀られています。
この地で龍神信仰が根付いた背景に海や航海に関わる土地柄があるのかも知れないが、厳島と付くだけにこの龍神様は海を含めた島そのものの守り神なのだろう。
厳島龍神の後方に伊藤博文が手植えした9本松が聳えていましたが、何年か前に枯れたらしく現在は残っていません。

嘗てここに1本の松の根元が9本に分かれた9本松が写り込んでいたのでしょうが、現在は切株が残るだけで境内は妙にすっきりとし、本堂の全景が良く見て取れる。

大願寺概説。
真言宗に属し、室町時代末期に厳島神社の修理造営権を握り、道本・尊海・円海と相次いで傑出した住職が出て、厳島神社諸建築の建造や復旧に当たった。
また鍛冶・番匠(大工)・檜皮師などの職人団を率い、筑前筥崎八幡宮豊前宇佐八幡宮の修理造営にも当たった。
当時厳島は内海の要港で、ここに集まる京・堺などの貿易商人らとの接触も深い。
尊海が大蔵経を求めて朝鮮に渡った時の見聞を記した紙本墨書尊海渡海日記(国指定重要文化財)、銅製朝鮮鐘(重要美術品)、木造薬師如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造阿難尊者立像・木造迦葉尊者立像(以上国指定重要文化財)、その他多数の中世古文書を所蔵する。
清盛により現在の厳島神社の原形が築かれ、海に浮かぶ厳島神社が匠を育む結果にもつながったのだろう。

護摩堂。
明治時代に焼失し、平成18年(2006)に再建された裳階を持つ方型の建物。

本尊は厳島弁財天。
相模国江ノ島神社、近江国竹生島宝厳寺とともに日本三大弁財天の一つとされます。
堂内には不浄なものを焼き尽くす力を持つとされる真紅の火炎(迦楼羅炎)を背にした、総白檀で作られた約4メートルの本尊不動明王座像が安置されています。

厳島大仏 不動明王

総身一丈六尺(4m80㎝)、重量7t、総白壇
明治の初期に焼失した護摩堂は、平成十八年四月に再建、落慶並びに開眼供養されました。
総白檀の不動明王像としては日本最大の仏様です。
不動明王のお姿は、右手に、智剣と呼ばれる我々衆生の悩みを断ち切る智慧の剣を持ち、左手には、絹索と呼ばれる正しい道から外れた衆生を引き戻して下さる縄を持ち、背中には、我々衆生の煩悩を焼きつくす人を背負っています。
不動明王 御真言
なうまくさまんだ ばさらだん せんだん まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
この御真言には、不動明王への讃歎と畏敬の念が込められています。

本堂前を守護する狛犬

本堂。
瓦には厳島神社同様の三つ盛り二重亀甲に剣花菱紋が入る。

本堂には神仏分離令によって厳島神社から遷された弁才天像(毎年6月17日御開帳)や釈迦如来像など、多くの仏像を安置し、本尊は薬師如来弁才天をお祀りする。
大願寺は中国四十九薬師霊場22番、広島新四国八十八ヶ所霊場1番の札所でもあり、霊場巡りで訪れる参拝客も多い。
本堂前にはピカピカに輝く賓頭盧尊者が安置されており、これまで多くの願を叶えて来たのだろう。

本堂右の地蔵堂
堂の左から奥に進むと清盛神社に続きます。
さて次に向かうのは山門から左に進み、小高い丘に建っている多宝塔(当日は修復作業中)方向へ向かい、あせび歩道から大聖院に向かいます。

大願寺
宗派 / 高野山真言宗
山号 / 亀居山
院号 / 放光院
開基 / 空海(寺伝)
創建 / 不明
本尊 / 薬師如来弁才天
境内社 / 厳島龍神
札所 / 中国四十九薬師霊場22番、広島新四国八十八ヶ所霊場1番
所在地 / ​広島県廿日市市宮島町3
参拝日 / 2023/03/03
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