地下鉄名港線東海通駅から西に向かい、港区・中川区・熱田区を歩いて来ました。
古新神社から東に進み江川線を右に、六番町交差点を南下した右側の港区六番町神明社を参拝しこの日の神社巡りも終了となります。

江川線から南の六番町交差点方向の眺め。
頭上は高速道路の高架とその下に新幹線の高架が交差し、ひと昔前に田畑が広がっていた事を感じさせない変貌を遂げたこの地域、田畑や海など面影すら残っていない。
若い頃の六番町の印象は夜ともなれば暗い印象しかなかったが、それも過去の話。
今では我家周辺より遥かに飲食店は充実してる。
どうもこの高架橋が出来てから自分の位置感覚がずれてしまっている。
最後の目的地六番町神明社はこの先の交差点を越えた先に鎮座しています。

上は大正時代とほゞ現在の地図の比較、鎮座地は赤枠部分で星印が地下鉄最寄り駅になります。
大正時代の地図では神明社の鳥居の印がみられますが、明治24年の地図にその姿は見られません。
神明社境内に遷座記念碑がある事から、神明社は周辺から遷されているのは確かです。
大正の地図では西側の宝田社以外に消えた鳥居の姿は見られず、熱田新田東組集落の中に鎮座していたものだろうか。
境内に由緒書きはなく、愛知県神社庁には神明社として登録されていましたが、内容は祭神 天照皇大神と記され、氏子地域・例祭日など記載されていなかった。
六番町はかつての六番割であり、この神明社は六番割・七番割の氏神だったという。
天保14年(1844)に編纂された尾張志にも「神明ノ社 熱田新田六七番割の氏神也」と記されており、創建時期は鎮座地の熱田新田が海岸を開拓して起工されたのが正保3年(1646)、竣工は慶安2年(1649)とされるので創建時期がそれ以前という事はないでしょう。

江川線を南下すると写真の鳥居が現れます。
社殿北側から境内に繋がる脇参道。

北側の鳥居から境内に続く参道の眺め。
社殿東側の遊歩道的な参道です。

参道から社殿後方の眺め。
本殿と境内社、拝殿、幣殿が主な建物になるようです。

北参道の神明鳥居は昭和45年に寄進されたものです。

参道を進んだ先の江川線沿いに東向きに建てられた建物があります。
当初社務所かと感じていましたが、破風飾りの紋から見ると弘法堂の様です。

子守弘法堂全景。
向拝の下に「子守弘法堂」の額があり、内部に複数の石像が安置されているようですが写真に収められなかった、子守弘法の由来は良く分からないが、きっと面白い言い伝えがあるのだろう。
社頭はこの弘法堂の左側にあります。

社頭から眺める境内全景。
左の神明社社標の寄進年は昭和12年のもの。

石造の神明鳥居は昭和8年(1933)に寄進されたもの、そこから先の参道には二対の狛犬が安置されています。

鳥居の先の狛犬。
寄進年は未確認ですが比較的新しいものに見えました。

参道左の手水鉢と社殿の眺め。

拝殿は切妻瓦葺の妻入りで、拝殿前に狛犬と右側に竣工御遷座記念六番町神明社と記された石碑が建てられています。因みにこの石碑は平成15年とありました。

二の狛犬。
こちらも寄進年は未確認です。

破風飾りと大棟の鬼には五七の桐紋が入る。

拝殿の隅棟の鬼には神明の社名が入り、躍動感のある獅子が飾られています。

鳥居の左に社務所があり、そこから眺める社殿全景。
訪れた時は背の高い雑草もなく程よい緑が広がる境内で、年月を重ねた大きな樹は見られず、ここに遷座したのが新しい事を感じさせます。

鰹木6本、内削ぎの千木が付く神明造の本殿、正面の幕に羽団扇の神紋が見られることから秋葉神社と思われます。

神明社本殿は4本の鰹木に内削ぎの千木が付く神明造。
陽光降り注ぐ明るい境内は、これからの時期日陰が欲しくなる、弘法堂横の日陰にベンチもあり水分を補給して一休み、思えば昼も食べずに歩いてきた、帰りはどこかで角打ちして帰ろう。
六番町神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神
境内社 / 不明社1社
祭礼日 / 不明
所在地 / 名古屋市熱田区六番3-7-10
参拝日 /2024/05/09
徒歩ルート / 古新神社から東に進み江川線を右に、六番町交差点を直進した右側の六番町神明社まで徒歩15分程度
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今回のマイマップ / 約8㌖・所要時間約2時間(撮影含め4時間)