先に掲載した志田備神社から、意宇六社2社目となる『神魂(かもす)神社』に向かいます。
西岩坂農道を東に向かい、国道432号線で左折、しばらく直進し県道248号線に入り、ひたすら直進すると三叉路で突き当りになります、その前が神魂神社になります。
三叉路の左に無料駐車場が用意されています。移動時間は約15分程、距離は約6.6㌔。

鎮座地は室山の北嶺に位置し、ここから北は松江平野が広がっています。
この辺り一帯は出雲国造館跡推定地とされ、古くから開けた地域で古墳群や古代寺院の遺跡など見所が多い。


鳥居は木造の両部鳥居で、ここから桜並木の参道の先に木造の二ノ鳥居を構えています。

右手の駐車場からだと、ここから境内に向かいがちですが、一ノ鳥居まで僅かな距離なのでそこから境内に向かいたいもの。
ここから参道を少し進んだ右手に境内に続く石段があり、その先に社殿が広がっています。

神魂(かもす)神社社標。
最初この字を見て二人とも「かもす」とは読めなかった。

角が取れた石段から神魂(かもす)神社拝殿の眺め。

苔生した手水鉢に流れ落ちる清水は涼を与えてくれます。
竹の柄杓は良く考えたものです。
手水鉢から左に進めば女坂を経て境内に至り、更に先に向かうと高校入口があり、敷地内の山の斜面に神魂神社の奥宮、磐座があるようですが部外者が入れる雰囲気ではなかった。

手水鉢の正面の石段が男坂。
石段の下からでも拝殿が見える距離で、勾配もさほどではないので、角が取れた不規則に積まれた石段に注意して上れば大丈夫。

神魂(かもす)神社案内。
「御祭神 伊弉再大神、伊弉諾大神。
「御祭神 伊弉再大神、伊弉諾大神。
当社は出雲国造の大祖天穂日命がこの地に天降られ出雲の守護神として創建。
以来天穂日命の子孫が出雲国造として二十五代まで奉仕された。
大社移住後、「神火相続式」は奉仕のため、「古伝新嘗祭」は参列のため参向されている。
本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、その大きさは三間四方高さ四丈あり出雲大社本殿 とは規模を異にするか、床が高く、木太く、とくに宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されている。
本殿内は狩野山楽土佐光起の筆と伝えられる壁画九面にて囲まれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。
祈年祭 四月十八日
例祭 十月十八日、神在祭 十一月十一日、新嘗祭 十二月十三日」
文政9年(1822)の「雲陽史意宇群2」には大庭社として長文の記述があり、その中から一部抜粋し現代の言葉に置き換えた内容は以下。
「大庭社は伊弉冊尊の神社で、正殿は東を向いています。
内殿は右側から入り、西を向いています。
一般的な神社とは異なり、祠官によれば、この神は伊弉諾尊よりも先に神界を去ったため、神魂(かんみたま)明神とも呼ばれます。
奈美尊の神魂(かんみたま)が静坐所は神納山と呼ばれ、そこから15町離れた現在の地に移されました。杵築国造の代替わりの火嗣というのは、この神社に来た時のことを指しています。」
神納山は大庭町の南東の八雲町日吉にあり、走ってきた国道432号線沿いにあり、亡くなった伊弉再大神は比婆山と呼ばれたこの山に葬られたといいます。
拝殿は木造切妻造の桧皮葺の妻入りで、正面に庇が付き、大社造りの檜皮葺の本殿と調和している。
右手の御釜宮は毎年12月13日にお釜神事が行われ、その際使用される注連縄が張られたお釜が安置されているようですが、当日は内部は見られなかった。
訪れた時間が16時近かった事もあるからか、社務所、境内に神職の姿は見られなかった。
左が杵築社で神素嗚嗚尊、葦原醜男命(大国主命)が祀られています。
雲陽史には天正年中(1573-1592)大江輝元が造営と記され、その後も代々国主により護られてきた。
出雲大社の現在の本殿が延享元年(1744)に造営とされるので、更に古い時代の大社造りの姿を留めたものです。
出雲国造が二十五代まで奉仕し、杵築の地に移住された後も新嘗祭参列、神火相続式執行の為、現在も参向されている。
大社造には男造と女造と二つの様式があり、出雲大社の様に御神座が本殿右のものを男造、神魂神社の様に左にあるものを女造と呼ばれる。
伊弉冊大神、伊弉諾大神をお祀りします。
棟には3本の鰹木と水平に切られた内削ぎの置き千木が載り、二重亀甲に「有」の神紋が入る。
右が貴布祢稲荷両神社の相殿で左側に倉稲魂神を祀る稲荷社、右が闇龗神を祀る貴布祢社が祀られており、左の見世棚造りの社は外山社で鸕鷀草葺不合尊、他1柱が祀られている。
肉付きのいい容姿は犬のように見えなくもない。
神域らしい静かな空間に手水鉢に流れ落ちる清水の音すら聞こえる。
心を癒してくれる神社だと思います。
意宇六社 神魂(かもす)神社
創建 / 不明
祭神 / 伊弉冊大神、伊弉諾大神
例祭日 / 10月18日、12月13日
境内社 / 御釜宮、熊野社、伊勢社、杵築社、貴布祢稲荷両神社、外山社、荒神社、蛭子社、武勇社
所在地 / 島根県島根県松江市大庭町563
志田備神社から神魂(かもす)神社車アクセス / 西岩坂農道を東へ、国道432号線を左折、直進県道248号線を直進、突き当りの神魂神社まで15分程。
参拝日 / 2024/05/24
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以来天穂日命の子孫が出雲国造として二十五代まで奉仕された。
大社移住後、「神火相続式」は奉仕のため、「古伝新嘗祭」は参列のため参向されている。
本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、その大きさは三間四方高さ四丈あり出雲大社本殿 とは規模を異にするか、床が高く、木太く、とくに宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されている。
本殿内は狩野山楽土佐光起の筆と伝えられる壁画九面にて囲まれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。
祈年祭 四月十八日
例祭 十月十八日、神在祭 十一月十一日、新嘗祭 十二月十三日」
文政9年(1822)の「雲陽史意宇群2」には大庭社として長文の記述があり、その中から一部抜粋し現代の言葉に置き換えた内容は以下。
「大庭社は伊弉冊尊の神社で、正殿は東を向いています。
内殿は右側から入り、西を向いています。
一般的な神社とは異なり、祠官によれば、この神は伊弉諾尊よりも先に神界を去ったため、神魂(かんみたま)明神とも呼ばれます。
奈美尊の神魂(かんみたま)が静坐所は神納山と呼ばれ、そこから15町離れた現在の地に移されました。杵築国造の代替わりの火嗣というのは、この神社に来た時のことを指しています。」
神納山は大庭町の南東の八雲町日吉にあり、走ってきた国道432号線沿いにあり、亡くなった伊弉再大神は比婆山と呼ばれたこの山に葬られたといいます。



拝殿は木造切妻造の桧皮葺の妻入りで、正面に庇が付き、大社造りの檜皮葺の本殿と調和している。

右手の御釜宮は毎年12月13日にお釜神事が行われ、その際使用される注連縄が張られたお釜が安置されているようですが、当日は内部は見られなかった。
訪れた時間が16時近かった事もあるからか、社務所、境内に神職の姿は見られなかった。


左が杵築社で神素嗚嗚尊、葦原醜男命(大国主命)が祀られています。

雲陽史には天正年中(1573-1592)大江輝元が造営と記され、その後も代々国主により護られてきた。
出雲大社の現在の本殿が延享元年(1744)に造営とされるので、更に古い時代の大社造りの姿を留めたものです。
出雲国造が二十五代まで奉仕し、杵築の地に移住された後も新嘗祭参列、神火相続式執行の為、現在も参向されている。

大社造には男造と女造と二つの様式があり、出雲大社の様に御神座が本殿右のものを男造、神魂神社の様に左にあるものを女造と呼ばれる。
伊弉冊大神、伊弉諾大神をお祀りします。

棟には3本の鰹木と水平に切られた内削ぎの置き千木が載り、二重亀甲に「有」の神紋が入る。

右が貴布祢稲荷両神社の相殿で左側に倉稲魂神を祀る稲荷社、右が闇龗神を祀る貴布祢社が祀られており、左の見世棚造りの社は外山社で鸕鷀草葺不合尊、他1柱が祀られている。

肉付きのいい容姿は犬のように見えなくもない。





神域らしい静かな空間に手水鉢に流れ落ちる清水の音すら聞こえる。
心を癒してくれる神社だと思います。
意宇六社 神魂(かもす)神社
創建 / 不明
祭神 / 伊弉冊大神、伊弉諾大神
例祭日 / 10月18日、12月13日
境内社 / 御釜宮、熊野社、伊勢社、杵築社、貴布祢稲荷両神社、外山社、荒神社、蛭子社、武勇社
所在地 / 島根県島根県松江市大庭町563
志田備神社から神魂(かもす)神社車アクセス / 西岩坂農道を東へ、国道432号線を左折、直進県道248号線を直進、突き当りの神魂神社まで15分程。
参拝日 / 2024/05/24
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