岐阜県関市肥田瀬の国道418号線肥田瀬交差点の北東角に鎮座する金幣社 伊岐神社。
石徹白白山中居神社に向かう途中に朱の両部鳥居が目に止まり立ち寄ってみました。

北側の金龍山を背にして、ほゞ南向きに社頭を構えており、社頭の前を国道が横切っています。
道路からは一対の常夜灯、「金幣社伊岐神社」と刻まれた社号標と石の明神鳥居があり、その先の朱塗られた両部鳥居が存在感があります。
鳥居左側に広場があり、駐車場所に困る事はないと思います。
社頭の南側を長良川鉄道が横切っており、最寄りの関富岡駅からなら5分もあれば神社に着ける距離です。

社地南側に綺麗な流れがあり、神橋の右の由緒の内容は以下。
「御祭神 伊邪那岐大神、伊邪那美大神
境内神社
加茂神社、稲荷神社、白山神社、御鍬神社、伊社神社
創立
寛永20年 明正天皇代西紀1643年
主な祭日
元旦祭 1月1日、交通安全厄除祈願祭
祈年祭 2月18日
例大祭 4月第2土・日曜日
甘酒祭 10月9日 白山社合祀祭
七五三祭 11月日曜日
新嘗祭 12月14日
除夜祭 12月31日
月次祭 每月第2日曜日 誕生祭
金幣社 伊岐神社」
岐阜県神社庁による解説は以下の内容でした。
「寛文20年6月奉伊岐大明神鎮座造立。
文化6年5月瑞垣造立。
天保2年11月社殿修復。
文久2年8月社殿再造立。
明治33年神籬修繕。
大正15年4月石鳥居造立。
昭和2年1月社務所建立。
昭和6年4月石神籬改造。
明治6年旧社格郷社に列し、昭和36年10月吉日金幣社に昇格、近在近郷の崇敬を得て今日に至る。
これを祝い今日では10月9日神前に氏子等が甘酒を供えて祭典を行います。
どこぞの県以上に詳細に記されていました。
美濃国加茂郡誌加茂郡編(1921)豊岡村肥田瀬「鄉社 伊岐神社」の記述は以下。

津保川から引き込まれた用水に架かけられた神橋を渡り境内へ。

左は「金幣社伊岐神社」と二つの社標が建てられています。
近代社格制度の廃止により、神社の大小を問わず負担金が一律になり、不公平が発生するため、昭和27年(1952)に岐阜県神社庁が献幣使参向神社を指定したもので岐阜県独自の制度です。

参道左の手水舎と鳥居、その先の拝殿の眺め。

金龍山の山陰になり、境内にようやく朝陽が差し込み、朱の両部鳥居が鮮やかに輝きだす。




梁間3間、桁行5間の入母屋瓦葺の四方吹き抜けの平入拝殿で、踊り場の先の幣殿に続きます。

拝殿右側から見た社殿と境内社。

本殿域右側の全景。

本殿は一間社流造で脇障子や桁隠しなどの彫飾りは手が込んでいます。
右側に見世棚造りの摂社が祀られています。

右側の摂社は別雷神を祀る加茂神社。

右の境内社は社名札はないが社標に「白山社 神明社、津島社合祀」と記されています。
合祀の上にも文字が刻まれていましたが読み取れなかった。
美濃国加茂郡誌によれば白山社には倉稲魂命、柯過突智命も合祀されているとある。

白山社から刻々と影が小さくなる拝殿、社頭方向を望む。

拝殿左の「伊社神社」の眺め。
美濃国加茂郡誌には「伊岐神社」として表記されています。

鳥居をくぐった右にも古い社標があり、こちらも「伊社神社」と記されていました。
何れの社標も寄進年は未確認です。

伊社神社は明治42年(1909)に字通前769番地より移転されたもので、岩長姬之命が祀られています。
右手の社は保食神を祀る「御鍬社」で、この一画は二人の女神の神域。

本殿域左の眺め。
本殿の海老虹梁には龍が施され、妻壁や脇障子にも彫が施されており、見応えがある。
こちらにも摂社が祀られていました。

小さな狛狐が守護する「稲荷神社」で祭神は倉稲魂命をお祀りします。

拝殿から南側の社頭の眺め。
通勤のため国道を走る車も少しづつ増えて来た。