岐阜県郡上市大和町河辺に鎮座する「河邉(河辺)神社」。
スキーやキャンプなどで郡上方向に向け国道156号線を走行すると、大和町河辺地内で右側に立派な杉の巨木が視界に入ってきます。
国道脇に鳥居が建てられていますが、その存在以上に二本の杉の巨木が河邉(河辺)神社の存在をアピールしています。
国道から郡上方向の眺め。
社頭は国道脇の大和南小学校の北に隣接するようにあり、篠脇山西麗に東西に長い社地を持っています。
この辺りは郡上郡山田荘に属し、江戸時代この地域一帯は郡上藩領となっていた地域。
個人的に、村が合併し、町に変わり、郡上市(2004)になって以降、地名はしっくりしなくなってきた。
石段右に「郷社 河邊神社」社号標、正面に石の明神鳥居を構えています。
狛犬は昭和7年(1932)に寄進されたもので、境内石段脇の一対の常夜灯は昭和11年(1936)に寄進されたものです。
境内に神社由緒は見当たらず、岐阜県神社庁から河邊神社を調べたところ以下の内容でした。
河邊部落民全体の氏神として崇敬するに因る。」
村名を冠する河邉(河辺)神社、大和村史など探して見るが、非公開で図書館に行かねばならないようで詳細は分からなかった。
広い境内の右から社殿の眺め。
自然石をくり抜いた大きな鉢で、鉢の裏側は見なかったが、ひょっとして寄進年が刻まれていたかもしれない。
この先から石段を登った先に拝殿と更に上に本殿があります。
上の拝殿を幣殿と捉えると、この建物は拝殿なのかもしれません。
ここでは神楽殿として続けます。
広い境内の最深部に建てられており、境内で祭りが催行され、河邊の氏神に奉納されるのだろう。
内部から本殿に向かう石段方向の眺め。
壁の上の梁を見渡すと、組物と蟇股が全周に渡って施されており、大きな切妻屋根は柱と共にこれで支えています。
こうした造りはあまり見た記憶がなく、外の景色が見える欄間のような手の込んだ作りになっています。
篠脇山の西斜面にも漸く陽射しが入り始めました。
石段の数を数えて見ようと両指までは数えたが、いつしか分からなくなった。
そんなころ上を見上げるとゴールが見えてきます。
参道はここから左に向きを変え、拝殿に続きます。
樹々に包まれ、陽に照らされた拝殿の姿が神々しい見える。
拝殿左から本殿域の眺め。
最初見た時は流造の大きな本殿だなぁと思ったが、これは覆屋でした。
覆屋の周囲を黒い板塀で囲い神門に繋がり、本殿は大きな覆屋の下に建てられています。
板塀と覆屋側面の幕で本殿の様子は良く見えない。
本殿の造りは恐らく流造りでしょう。
慶長年中(1596-1615)火災で資料を焼失とありますが、本殿も被災したのか定かではありませんが、現状を見る限り酷い劣化も見られず、大きな覆屋がしっかりと本殿を保護しているようです。
拝殿から登ってきた道を見下ろす。
国道からどれだけ標高があるのか分かりませんが、樹々の隙間から国道を走る車は随分と見下ろす高さにあります。
この篠脇山の東側の山頂には、鎌倉時代末期に築城され、東氏が約230年間居城したとされる篠脇城址がありますが天正14年(1541)に廃城となっており、神社が資料焼失した頃とも近く、関連の有無が気になってきます。
なんとか無事に戻ってこられました、照らされた境内はとても暑そうな感じです。
創建 / 慶長年中(1596-1615)以前
祭神 / 蔵王権現
境内社 / 不明社1社
祭礼 / 9月16日
所在地 / 岐阜県郡上市大和町河辺955-1 伊岐神社から県道343号線、国道156号線で約60分
参拝日 / 2024/6/17
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