郡上市白鳥町中津屋『白山神社』

郡上市大和町河辺の河邊神社から国道156号線を7.5㌔北上すると、長良川右岸に見えていた東海北陸自動車道は、高い高架を連ね長良川と国道の上を横切ります。
今回掲載する中津屋 白山神社はこの高架の手前から右折し、約300㍍先の右に社頭を構えています。
河邊神社からの移動は10分程、駐車スペースは鳥居の先の右側に木陰に包まれた駐車場があります。

駐車場の片隅に苔に包まれた手水鉢があり、絶えることなく清水が注がれ、木陰と相まって涼を感じるスポット。

社殿はこの左の緑濃い森に包まれ鎮座します。
右手には見上げる高さに東海北陸自動車道が続いています。
鎮座地は古くは美濃国郡上郡中津屋村で、高山や越前、霊峰白山に至る主要なルートになっていた。
1889年の町村制により中津屋村、1897年合併により上保村発足とともに中津屋村は廃止、その後の町村合併で白鳥町、2004年の町村合併で現在の郡上市白鳥町中津屋になったようです。

社頭全景。
社頭の両脇に二つの石標があり、左の自然石には「長瀧寺六谷六院ノ一十禅寺」と記された寺号標、右手は「村社白山神社」と刻まれた社号標があります。
石の明神鳥居から先に社殿がありますが、ここには息の切れる石段はありません。

長瀧寺とは養老元年(717)に泰澄大師が創建されたとされ、白山信仰のため美濃と越前と加賀に馬場を開き、美濃馬場の中心的存在が現在の長瀧寺、長瀧白山神社になります。
鎌倉時代は六谷六院、神社三十、三百六十坊と栄え、旧高山市を含む広大な神領域を有していたとされます。
十禅寺はその一つで、ここ白山神社神仏習合の寺で、その後十禅寺廃寺に伴い白山神社として現在に至るようです。

石の明神鳥居には御大典記念と彫られていたので、昭和3年に寄進されたものだと思います。

参道の先の境内は一段上がり、広い境内となっています。

背の高い針葉樹の杜に佇む白山神社の社殿。

二段目の広い境内、右に手水舎、更に一段上の境内に拝殿が建てられています。

境内をひと回りしましたが白山神社の由緒は見当たらず、岐阜神社庁の当社詳細に目を通す。

主祭神  伊弉冉尊
由来
 元正天皇の養老年中(717-724)泰澄大師加賀国白山開基の際、此の地に天台宗の一寺を建立。
寺号を東永山十禅寺と称し、同時に一神社を併設し、氏神として伊弉冊尊を祀り、白山神社と称せり。
其の後幾星霜を経て十禅寺は廃寺となり、村民は白山神社氏神として尊崇し境内を広め、社殿を改築して尊厳を保ち、今日に至る。
祭礼 9月15日」とありました。
長瀧神社の創建が養老元年(717)とされ、追随するように十禅寺が創建されたようですが、広い境内に十禅寺の名残は見られません。

手水舎の前にある石灯籠。
年代は未確認ですが、この灯篭も苔に包まれようとしています。

手水舎と手水鉢。
山の恵みが絶えることなく注がれている。

苔生した石垣と安政3年(1856)と刻まれた石灯籠。

社殿全景。
本殿はもう一段上げられ、大きな覆屋を神門と透塀が囲っています。

拝殿正面全景。
切妻平入で向拝が付くもので、全周はガラス戸なので内部の印象はとても明るい。
社殿はこの拝殿とその先の覆屋の下に河邊神社同様の唐破風が付く一間社流造の本殿。

拝殿内から本殿域の眺め。
内部は、河邊神社と類似した梁の上に組物と蟇股が全周に施されています。

拝殿左から見る本殿域。
近年補修されているようで、拝殿も本殿も綺麗な状態です。

神門脇の狛犬、これはライオンか。

神門から本殿の眺め。
一間社流造と思われ、斜めから近づけず詳細は良く見えなかったが、こうして見る限り木鼻、向拝の龍など彫が施されています。

本殿の扉に五七の桐紋が入れられ、脇障子などの装飾にも抜かりはない。

ガラス張りの拝殿から鳥居方向の眺め。

境内から社頭方向を眺める。
陽光が降り注ぎ、危険な暑さの外と比べ、境内は別世界、杜を吹き抜ける風は心地よく、とても居心地のいい神社でした。

中津屋 白山神社
創建 / 養老年中(717-724)
祭神 /  伊弉冉尊
祭礼 / 9月15日
所在地 / ​岐阜県郡上市白鳥町中津屋1228-1
参拝日 / 2024/6/19
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