京都市中京区寺町通丸太町に鎮座する下御霊神社。
京都御苑の南東角、寺町通と丸太町通が交わる交差点の南東に位置し、西国三十三所十九番札所革堂行願寺の一筋北に鎮座します。
京都御苑の周囲ではインバウンド客が多いが、社頭に面した寺町通はそれほど目にしなかった。
下御霊(しもごりょう)神社社頭。
京都御所の南東に位置する神社で、1100年以上前の平安時代から続く歴史のある神社です。
西向きの社頭の左に「府社 下御霊神社」の社号標と正面に朱塗りの明神鳥居と違和感を覚える神門を構えています。
「下御霊神社
いずれも無実の罪などにより非業の死を遂げた人物で、疫病流行や天変地異はこの怨霊によるものと考えられ、それを鎮めるために御霊が祀られた。
古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間(1716-1736)に霊元天皇が当社に行幸し、震筆の祈願文を納めている。
本殿は、寛政3年(1791)に仮皇居の内侍所を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれている。
社頭の常夜灯は天保15年(1845)の寄進。
下御霊神社の狛犬。
嘉永7年(1854)に寄進されたもので、大きな口を開けて笑う阿形の姿と冷めた表情の吽形の姿が面白い。
違和感を覚えたのは、京都御所の旧建礼門を移設したことによるのだろう。
沢瀉に水が神紋の様です。
門の先には寛政10年(1798)に造営された拝殿とその先の拝所が一望できる。
神門左の手水舎。
手水鉢に注がれる清水は、明和7年(1770)京の町を見舞った干ばつの際に、お告げに従い掘りあてた「感応水」、当時の井戸は既に存在しませんが、同じ水脈から湧き出る地下水は、今も空容器をもって採水にくるほど名水のようです。
京都酒蔵館別邸の中庭に湧き出ていたのと同じ軟水です。
境内から眺める拝殿。
この時期の境内にはサルスベリの白い花が彩りを添えてくれている。
本殿の前に切妻造の幣殿(寛政5年)が取りつき、その前には更に唐破風造の拝所(寛政5年)がつく。
また、幣殿からは南北に入母屋造の廊(文政13年・1830)がのびている。
拝殿西側の境内五社相殿。
手前から
日吉社 / 祭神日吉大神 / 文化4年(1807)。
愛宕社 / 祭神愛宕大神 / 愛宕山に坐す火伏神。
大将軍社 / 祭神大将軍八神。
高知穂社 / 祭神高知穂神。
斎部社 / 祭神斎部神 / 社家の先祖神。
五社相殿の右が大国主命事代主命社。
祭神大国主命、事代主命 / 文化4年(1807)。
入母屋妻入りの拝殿は寛政10年(1798)に造営されたもの。
寛政5年(1793)の造営で、その先の幣殿には左右から廻廊が接続しています。
解説にあったように現社殿は天明8年の大火で焼失後、寛政3年(1791)に仮皇居の内侍所仮殿から移設されたもの。
幣殿両脇には写真の随神像が安置されています。
拝所脇の本殿・八咫鏡・霊元天皇の解説。
幣殿から本殿方向の眺め。
額は「御霊社」手前には勇猛な容姿の黄金色の狛犬が守護する。
拝所から左にも境内社が祀られていたようですが、見落としていたようです。
拝殿から神門方向の寺町通の眺め。
拝殿左の境内全景。
右手が神楽所、宗像社と鎮座、赤い鳥居の稲荷社、その左が猿田彦社。
稲荷社(右)、と猿田彦社(左)。
稲荷社本殿。
祭神は稲荷大神。
その左の猿田彦社。
拝所の額は右から江戸時代前期の儒学者山崎闇斎を祀る垂加社、猿田彦大神、柿本大神の額。
随分境内社を参拝し忘れていたようで、後日HPを拝見したところ、下の境内図があったので訪れた際には参考にされると漏れはないと思います。
下御霊神社
創建 / 貞親5年(863)
祭神 / 崇道天皇、伊豫親王、藤原大夫人、藤大夫、橘大夫、文大夫、吉備聖霊(前記御霊の和魂)、火雷天神(荒魂)
境内社 / 日吉社、愛宕社、大将軍社、高知穂社、斎部社、大国主命事代主命社、天満宮社等
所在地 / 京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町
参拝日 / 2024/08/06
関連記事 /
・『行願寺・頂法寺・六波羅蜜寺』京都市内 西国33所巡り