大津市園城寺町鎮座「三尾神社」
既に掲載した長等神社から、琵琶湖第一疎水を右に見て、北に2・3分程進むと今回の三尾神社に至ります。
三尾神社はそのトンネルの入り口鎮座します。
三井寺への近道として境内を横切りましたが、三尾神社の唐門や神楽殿を見て足を止める事にしました。
神楽殿の右手に社頭へ続く参道が伸び、その先に大鳥居を構えています。
左に手水舎、正面に拝殿が望める。
手水鉢に清水を注ぐのは龍ではなく兎。
常夜灯の竿にも兎の姿。
銅葺の屋根の唐門は、左右の透塀が連なり、門の先に拝殿が眺められる。
提灯にも兎の紋の神紋が入れられています。
兎で思い出すのは、鳥取の白兎神社や埼玉の調(つき)神社で、境内のいたるところに兎がいた。
この神社も兎と所縁がある神社のようで、境内の「三尾神社とうさぎの由来」には以下のように書かれていました。
「三尾明神が太古 卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方より出現されたという古い伝えから、昔から「うさぎ」が神様の使いとされ、それ故御神紋は「真向きうさぎ」とされた。
卯年生まれの方の守り神として崇められている」
手水の兎の姿は、波の上を飛ぶ因幡の白兎に通じるものがある。
兎は子宝に恵まれる縁起のいい動物として知られていますが、三尾神社もまた安産・縁結びの神社として知られるようです。
唐門から先の境内。
社殿の左右に境内社が祀られています。
三尾神社のはじまりは太古、伊弉諾尊がこの地に降臨され、長等山の地主神として鎮座されたのがはじまりとされ、後の園城寺(三井寺)初代長吏の円珍が、園城寺の鎮守として祀ったことが神社のはじまり。
後の神仏分離により神社は独立するも、社殿西側には園城寺(三井寺)につながる神門が神仏混合の名残を留めています。
境内の由緒。
「太古、伊弉諾尊がこの地に降臨され、長等山の地主神として鎮座されたのを創始とする。
伊弉諾尊は常に赤、白、黒の腰帯を身に着け、その形が、三つの尾を引くのに似ていたことから三尾明神と呼ばれ、社名が付いた。
貞観元年(859)、園城寺(三井寺)開祖の智証大師(円珍)が琴尾谷(琴緒谷)に社殿を復興した。
応永年間、4代将軍・足利義持が現在の社殿を再興。
慶長年間、豊臣秀吉により社殿の修理、社領を寄進される。
明治9年(1876)、本社を園城寺琴尾谷(琴緒谷)から現在地に遷座。
明治22年(1889)、内務省保持資金下賜
明治43年(1910)、縣社に昇格。
御神紋 真向きの兎」
神紋の真向きの兎は、本体の伊弉諾尊の赤・白・黒の三つの腰帯が、赤尾神、白尾神、黒尾神の三尾明神となり、赤尾神が卯の年、卯の月、卯の日、卯の方角から出現した事から「真向きの兎」が神紋とされています。
拝殿右の境内社。
右から白山神社と愛宕神社の相殿。
左へ天満宮、 蛭子神社と白髭神社相殿、日御前神社と続く。
白山神社の祭神は菊理媛神、愛宕神社の祭神は伊弉冉尊を祀ります。
右が学問の神、菅原道真を祀る天満宮、左が延命長寿の白髭神社と商売繁盛の蛭子神社の相殿。
拝殿左で守護する狛犬(吽形)。
拝殿から本殿域の眺め。
祭神は本体の伊弉諾尊の他、三尾明神を祀り、本殿前には二対の狛犬と随神の姿が見える。
拝殿左の本殿解説。
「三尾神社本殿は桁行三間、梁間二間の三間社流造の檜皮葺。
正面に縁を廻らせ背面柱筋に脇障子が立つ。
内部は梁間中央の柱筋で二分し、前方の外陣と後方の内陣に二分、内陣は三室に区分けされている。
本殿は応永33年(1426)の建立で、慶長14年(1609)全体的に修理を受けた。
室町時代中期に建立された本殿は、木太い軸部や簡素な意匠による古風かつ雄大な形態を保守している事から、中世神社建築を理解するうえで高い価値を有する事から、平成26年(2014)国の重要文化財に指定された。」
拝殿左から見る社殿の眺め。
日御前神社側から眺める本殿。
社殿左の境内社は阪下茂畑稲荷神社。
五穀豊穣、商売繁盛、家業繁栄、産業降盛の神稲荷神を祀る。
阪下茂畑稲荷神社本殿柵面の全景。
創建 / 貞観元年(859)
祭神 / 伊弉諾尊、三尾明神
境内社 / 白山神社・愛宕神社、天満宮、白髭神社・蛭子神社、日御前神社、阪下茂畑稲荷神社
所在地 / 滋賀県大津市園城寺町251
参拝日 / 2024/08/22
祭礼日 / 5月 2日 例祭、3日渡御、7月2日 朝瓜祭り
長等神社から三尾神社 / 北へ徒歩約5分
又はJR東海道線大津駅石山駅から京阪電鉄石山線で三井寺駅降車、琵琶湖第一疎水沿いに徒歩7分
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