射穂神社から東へ5分程車で走った保見町根川地内に鎮座する貴船神社。
今回はこちらの神社を訪れます。

貴船神社社叢。
大きく伸びた樹々に包まれ、その隙間から日差しに照らされた社殿が姿を見せている。
猿投山の南に位置し、社叢の南に集落、集落の周囲は田畑が広がる一帯。
駐車場のある西参道へは突き当りを右折します。

上は明治24年とほぼ現在の地図の比較。
かつての愛知県西加茂郡の一部で、明治22年伊保堂村、下伊保村、殿貝津村、上伊保村、田籾村が合併し伊保村となった地域で、鎮座地は当時の伊保堂村集落の北外れにあたります。

社叢から覗く社殿の眺め。
社殿はコンクリート造りのようです。

西参道の鳥居と参道。
社標はなく、参道は境内の西側に繋がっており、鳥居左に駐車余地があります。
鳥居右の保見ウォーキングマップ。
射穂神社から東に向かい、中間ポイントの貴船神社を経て、東の北野天満宮付近をゴールとする約3㌔のコースができているようです。

西参道の石の明神鳥居。
この参道には「秋葉山」や「貴船神社」と刻まれた燈籠が立っています。
ここから右に進んだ憩い家の横に社頭を構えています。

社頭。

左が憩い家で、その前に「村社 貴船神社」と刻まれた社号標が立っています。
石の大鳥居の先に境内が広がっています。

鳥居から境内の眺め。
昭和45年健之の鳥居の脇には一対の狛犬と像が安置されています。

大正13年(1924)に寄進された愛嬌のある顔の狛犬と台座に社司 宮川増太郎と刻まれた像。

社殿全景。
左に手水舎、右手に役行者の像を安置した祠があり、正面の拝殿右に境内社が鎮座します。

手水舎、手水鉢には龍の姿はなかった。
西参道はこの手水舎の横に通じています。

上
境内から西参道の眺め。
下
参道脇の石灯籠の竿に秋葉山の文字が見える。

境内入口にも燈籠があり、こちらの竿には「貴船神社」と刻まれていました。

境内左側の祠。
祠の前には陶器の狛犬が置かれ、内部には役行者(左)と石仏の二体が安置されています。
右の石仏はマップによると弁財天とあった。
彫られて月日が経つのか、頭部周囲の輪が弁財天の衣なのか、光背なのか像容が良く分からなかった。

貴船神社社殿全景。
コンクリート造りの入母屋平入の拝殿に唐破風向拝が付くもので、拝殿右には境内社一社が祀られています。

向拝には菊花紋章が入れられています。

上
拝殿額は「貴船神社」とあり、ここにも菊花紋章が入る。
下
拝殿内の眺め。
懸垂幕には五三の桐の紋が入っており、こちらが神紋かと思われます。

拝殿左の由緒と手作りので分かりやすい境内マップ。
由緒内容は以下。
「十四等級 貴船神社 村社
創建は明らかではないが、棟札に寛文8戊申年(1668)2月に、家内子孫繁昌、息災延命、守護所として奉建再御設とあり。
元禄11寅年(1698)2月二日、奉新地春 井戸田赤羽根へ移し奉るとある。
明治6年(1873)5月村社に列す。
同42年(1909)8月31日、字柵口58番 子守神社と本社の境内社 元貴船神社を本社に合祀合霊した。
昭和45年本殿、幣殿、渡殿、廻廊、手水舎、社務所を改築する。
例祭日 10月第一日曜日、祈年祭 4月第二日曜日、新嘗祭 12月第一日曜日。
本殿流造、神門、拝殿、神饌所
【境内社】
【琴平神社】
祭神 大物主命・木花咲也姫命
勧請不詳 明治42年8月31日富士浅間神社境内社を合祀。祭神2柱となる。
【秋葉神社】
祭神 迦具土命
勧請不詳 境内神社牛天神 祭神不詳、明治42年8月31日合祀。
京都の貴船神社から分霊されたものと思われますが、祭神の闇龗神は水を司る神で農業に水は不可欠なものです。

拝殿左から本殿の眺め、昭和45年の改修されたもので綺麗な印象を受けます。
本殿域に境内社が祀られているのかは定かではありません。

この辺りに置かれている古い手水鉢、今も現役の様です。

拝殿右の境内社。
一間社流造で境内マップによれば、琴平神社、八劔社、養蚕社の三社相殿。

大きな社ではないですが、各所に手の込んだ意匠が施されています。

脇障子には瀧を遡る鯉が描かれています。
昔から出世を象徴する縁起のいい柄ですが、鮎や鮭のように登るこの姿、実際の鯉はこうはいかない。
さて、これで境内は参拝したつもりでいましたが、この社の右の斜面の先にも境内社があったようで、鳥居の右から上に続く細い「観音道」を奥に進むと石仏や稲荷社などに繋がっています。

貴船神社本殿の大棟。
造りは良く分からないが5本の鰹木と外削ぎの置き千木が施されています。

写真は社頭から南の眺め、田畑の先に愛知環状鉄道、伊保川へと続きます。
鳥居の先に瓦葺の建物があり、一部見落としていた事に気も付かず、神社を後にしてそちらに向かう。
