嘗て伊保郷と呼ばれた地域で伊保川左岸の平地は豊かな稲作地帯で、右岸は丘陵地が迫る地域。
江戸時代は三河国加茂郡殿貝津村の一部で明治に入り伊保村の一部となり、その後も猿投町に編入を繰り返し、現在の豊田市貝津町となった。
日守神社西参道入口。
後から分かった事ですが、社殿東に石の明神鳥居を構える正参道があります。
しかし、現在はあまり利用されないのか、鳥居から先の参道は雑草が生い茂り、社頭まで行く気にはなれなかった。
西参道入口右側には「日守神社」社標があり、舗装された参道の左側に社殿が建てられています。
駐車場はないので最初に書いておきます。
平成5年健之の「日守神社」社標と、真新しい舗装された参道。
社殿全景。
周囲を白壁で囲い、コンクリート造の本殿と右に拝殿が主な建物になります。
本殿域を囲む白壁は神門と繋がっています。
本殿は流造。
この辺りにくると、右に正参道が見えてくるのでそちらに向かいます。
杉に包まれた正参道から拝殿、神門方向の眺め。
参道の先の鳥居、その先は蛇嫌いな自分にとって好んで立ち入りたくない雰囲気。
鳥居前から境内を眺める。
この鳥居が寄進されたのは平成5年の事、草むらの先にはひょっとして一ノ鳥居があるのかもしれません。
鳥居扁額。
では、改めて社殿に向かいます。
切妻瓦葺の建物で拝殿と社務所が一体となったもので、斬新な造りかもしれない。
拝殿から神門の眺め。
神門前の狛犬の寄進年は見忘れました。
当神社について、愛知県神社庁、西加茂郡誌(大正15)、猿投町史など目を通すが、日守神社としては情報が得られず、創建時期、祭神についても定かにならなかった。
今昔マップを遡ると昭和52年には鳥居が見られ、昭和43年には鳥居もなく建物らしき印が付き、昭和34年に遡ると何も表記されていなかった。
また、寄進物の寄進年も大正時代のものが見られず、創建時期は昭和に入ってからなのかもしれません。
しかし、地図に現れないだけで、何らかの形でそれ以前から祭祀されていた可能性もあります。
本殿には木札もない、祭神・・・分かりません。
社名の日守を夷守(ヒナモリ)と読み替え妄想を膨らませると、祭神は神功皇后(応神天皇の母)なのかな?
だとすると安産・子育てのご利益が得られるのか?
本殿の全景。
本殿は流造で棟に鰹木・千木はなく、男神・女神の推測すらできません。
境内の手水鉢。
上は拝殿左側のもので、下は本殿右に置かれているもの。
ここも寄進年を見忘れていました。
上はともかく、下の手水鉢は外周を見ておくべきだった。
拝殿から正参道の鳥居の眺め。
帰り際、車で伊保川の下流から社地東側をひと回りしましたが、鳥居の先がどこに通じているのか見つけられなかった。
祭神 / 不明
境内社 / ・・・
所在地 / 豊田市貝津町西向畑
参拝日 / 2024/09/06
お助け地蔵から徒歩移動 / お助け地蔵から徒歩1.2分
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