9月19日、久し振りに駅西エリアを訪れる機会があり、前回8月2日に回り切れなかった中村区南部の神社を巡拝してきました。
今回は、近鉄名古屋駅から近鉄名古屋本線沿いに1㌔程南下した中村区太閤2に鎮座する白山神社を取り上げます。
鎮座地の中村区太閤2周辺は、明治22年周辺の日置村、牧野村、平野村、米野村、露橋村、北一色村が合併した笈瀬村の一部で、合併以前は米野村平池集落の一部でした。
関西鉄道の北に位置し、後の関西鉄道の愛知駅(現在の平池町)の西にあたります。
現在は関西線を隔てた平池町は急速に再開発が進み、高層ビルが立ち並ぶ洗練された街に生まれ変わりましたが、線路を隔てた鎮座地周辺は住宅が連なる静かな街並みが広がっています。
中村区太閤2「村社 白山神社」社頭全景。
西側の椿町線の整備に伴い、少しずつ町の雰囲気も変わりつつあるようです。
まず最初に白山神社については由緒や創建時期につて詳細は不明です。
地図の履歴から見ていくと、明治当時は現在地に鳥居の記はみられず、昭和43年頃に鳥居の記が現れます。
これをもって創建時期は新しいとは言い切れず、事実境内には明治まで遡る寄進物もあります。
社頭正面から神社の眺め。
境内左が社務所で正面の拝殿は鞘殿と繋がっています。
社頭の常夜灯、竿には大正2年(1913)と刻まれています。
写真左は社号標で常夜灯と同じ時期の寄進年、左が神明鳥居の寄進年で明治41年(1908)とあります。
参道右の手水鉢から大白龍大神の眺め。
龍とつくだけに、三匹の蜷局を巻く蛇の姿があります。
三匹の蛇。
重軽石かどうか定かではないが、座布団の上でこちらを見つめています。
その先の大白龍大神本殿。
手水鉢から本殿は長い覆屋に覆われています。
拝殿前の個性的な顔つきの狛犬、こちらも大正2年の寄進。
大正2年になにがあったのだろう。
上は明治・大正・昭和・ほぼ現在の鎮座地の鳥居の記、寄進物の年代から以下は勝手な推測になります。
明治の地図にはなかった鳥居の記は、大正(上段右)になり現在地のすぐ西に現れ、この神社はその後の地図から姿を消しています。
そして昭和(下段左)になると現在地の南に現れ、その後再び姿を消し、現在に至っているように見えます。
地図の正確性に疑問があるとしても、一つの神社が動いているように見えます。
明治31年の地図以降の明治時代に創建され、椿町線周辺の整備に伴い白山神社は二度ほど動いているような気がします。
駄目もとで愛知県神社庁を検索すると、写真付きで以下内容で紹介されていました。
「社名 白山神社、祭神 白山比賣神、氏子域 太閤、例祭 10月18日」
・・・やはり創建や由緒までは記されていなかった。
これ以上考えていても進展しないので先に進みます。
拝殿から本殿方向の眺め。
祭神の白山比売神(菊理媛神)は、良く縁結び、夫婦円満、家内安全の神様として知られます。
明治頃の当地は集落を取り囲むように田んぼが広がる一帯、五穀豊穣を願って祀られたものだろうか。
神紋は亀甲紋に花は撫子?…良く分からない。
拝殿から社頭の眺め。
右の狛犬の脇に立つ幟立ての寄進年は明治40年(1907)、自分が見たなかでは一番古い寄進年でした。
昭和以前は田んぼが広がっていた一帯も、住宅地となり名残も見られない。
社頭西側から白山神社の全景。