中村区日ノ宮町「日之宮神社」
前回の太閤4の天王社から次の目的地日之宮神社までは、20分程西の日吉公園に向かいます。
鎮座地の所在地は日ノ宮町、明治22年以前は愛知郡下中に属し、後の昭和14年(1939)誕生した日ノ宮町に編入された地域。
日ノ宮とはどことなくありがたい地名ですが、由来はここ日之宮神社からきていると思われます。

日吉公園南側から日之宮神社社叢の眺め。
公園の東側が社地で、公園南側に社頭を構えています。

石の神明鳥居の脇に「日之宮」の社標があり、右に解説板が掲げられています。

名古屋市教育委員会「日吉丸生母祈願の跡」解説。
「日の宮神社は、もと日吉権現といわれ、豊臣秀吉の母大政所が、男子を授かるよう日参した社で、秀吉は天文5年(1536)元日、日出づるころ、力強く産声を発したといわれる。
幼名日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験によるところから名付けられたと伝えられる。」
境内には由緒はなく、創建などは分からないことが多い。

現在は日吉公園の一角に神社が鎮座しますが、過去の地図を見る限り、公園そのものが社地であったように見られます。
愛知県神社庁から中村区日ノ宮町、日の宮神社として記載は見られなかった。
佐屋路と下中村散策コースによれば、「豊臣秀吉の母、大政所が男子を授かろうと日参し、日輪が懐に入る夢を見て秀吉を産んだという由緒あるお宮、それが日之宮です。かつては「日吉権現」とよばれ、秀吉の幼名「日吉丸」もこのゆかりによるものといわれています。」として記載されており、秀吉の生誕地についての記述にとどまっていました。

鳥居から境内の眺め。
楠の樹を主とする社叢の先に二対の常夜灯とその先に玉垣で囲われた本殿域があり、右手にも玉垣が見えます。
公園と社地を隔てるものはないので、暑い日に公園で遊んでいる時などは社叢は絶好の木陰を提供してくれます。

竿のくびれが印象的な二対目の常夜灯。

寄進年は昭和8年(1933)。

参道右の手水鉢。

本殿域全景。

狛犬の寄進年も常夜灯と同じ時期に寄進されたもの。

大きな岩で組まれた本殿域に神明造の本殿が鎮座しています。

本殿は6本の鰹木と内削ぎの千木が付く。
俗説に従えば、祀られるのは女神ということになりますが…実際の祭神はどうなんでしょうね。

本殿右に見えていた玉垣には二つの石碑が立てられていました。

右が「日吉丸 生母 祈願乃趾」

左は名古屋市教育委員会の碑文が彫られた石碑。
「日の宮神社は口碑によると、もと日吉権現と称し、豊臣秀吉の母大政所が一子を授かるよう日参した神社で、秀吉は天文5年丙申正月元旦に出産、幼名を日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験により授かったところから名付けられたと伝えられる。」
中村区は秀吉の生誕地とされます。
当時は上中村、中中村、下中村に分かれており、秀吉の生涯を記した太閤素生記(寛永2年)によれば、秀吉は当時の中中村で生まれたと記されています。
現在の豊国神社東隣の常泉寺が生誕地とされ、境内には産湯の井戸や碑もありますが、この付近は上中村にあたり、秀吉の出生地は特定されていないようです。
明治の地図から日ノ宮神社の鎮座地は下中村にあたりますが、「なか」が上中村、或いは中中村から下中村の日ノ宮神社まで日参したとしても何らおかしくない距離にあります。
秀吉の生誕が天文5年(1536)とあるので、日ノ宮神社の前進である日吉権現の創建はかなり遡るものと思われます。

本殿前から社頭の眺め。
分からないことの多い日之宮神社ですが、「なか」が日参したと伝わる日之宮神社の今は、参拝者の姿はなく、公園の一部に鎮座する小さな神社として今も受け継がれています。
日之宮神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / ・・・
参拝日 / 2024/09/19
所在地 / 名古屋市中村区日ノ宮町1-30-28
天王社から徒歩 / 天王社から西の日吉公園まで20分程
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