中村区押木田町『下中八幡宮』

前回掲載した日之宮町の日之宮神社から北へ10分ほど先の押木田公園に向かいます。
今回はこの公園の東側に鎮座する下中八幡宮を取り上げます。

押木田公園と下中八幡宮社頭全景。
昭和24年に整備された広々とした明るい印象の公園ですが、過去にはあまり良くない出来事があり、個人的に記憶に残っている公園です。
下中八幡宮は押木田公園の南東角に社頭を構えています。

上は明治31年当時と現在の地図の比較です。
明治時代の地図では、下中村集落を取り囲むように広がる水田が見られ、鎮座地は集落の中央の西側に位置しています。
日乃宮神社でも触れたように、中村区は豊臣秀吉の生誕地とされ、当時は上中村、中中村、下中村に分かれており、太閤素生記(寛永2年)によれば、秀吉は中中村で生まれたと記されています。

押木田公園南東角に銅巻の明神鳥を構える社頭全景。
右手に下中八幡宮の社標、左手に由緒が掲げられています。

下中八幡宮由緒記
「祭神 應神天皇(譽田別命)、神功皇后(息長帯比賣命)
例祭 2月21日龍神楠大神祭、8月8日夏大祭、10月9・10両日秋大祭
下中八幡宮後白河天皇の保元元年(1156)に鎮西八郎為朝が創祀に係るこの地域の古社です。

当時、この地は東海・東山両道の要衝であり、為朝が平清盛の専横を憤り、崇徳上皇を讃岐に遷したことを慨し、配所の伊豆大島を脱出して尾張国尾頭に来ました。
ここで、東海・東山の諸源氏を糾合し、平家追討の機を窺っていた頃に創建されました。
豊臣秀吉氏神でもあったと伝えられ、寛永13年(1636)の検地帳によると、神田と公田が定められていたといいます。
昔、この地域で疫病が流行した時、村民全員が当宮にその平癒を祈願し、神威により忽ち全快したと伝えられています。
それ以来、毎年大祭を行い、その御神徳を仰いでいます。
現在では、家内安全、商売繁盛、厄除け開運、交通安全などの御神徳は広大です。
社殿は創建以来、歳月の経過とともに修復が重ねられ、現在の本殿祝詞殿は昭和5年、拝殿は昭和46年に氏子と崇敬者の力を合わせて荘厳に改築されました。
当宮は古くは八幡宮と呼ばれていましたが、明治初期に八幡社と改称されました。
しかし、その後氏子の総意の念願が叶い、昭和58年9月に神社本庁の認証を得て下中八幡宮と改められました。」

【由緒の疑問】
保元の乱(1156)に源為朝が創建」とされていますが、為朝はその年に伊豆大島へ配流され、後に自害した、あるいは琉球に渡ったという説もあります。「尾張国尾頭に来て平家討伐・・・」は疑問も残ります。

【佐屋路と下中村散策コース解説】
加藤清正が勧請した中村の三つの八幡社の一つ。
下中八幡宮の栞には、『当八幡宮は鎮西八郎為朝の創立に係る古社で、創立保元元年(1156)』と記されています。
明治初期までお鍬祭が行われていました。隣に押木田公園があります。」とあります。
加藤清正(1562-1611)が建てた三つの八幡社とは以下を指します。
・中村区東宿町2の中村公園内に鎮座する八幡社
・中村区元中村町2に鎮座する春日社(八幡社と合殿)
・ここ押木田町の下中八幡宮

【愛知県神社庁解説】
下中八幡宮
祭神 / 應神天皇 神功皇后
例祭 / 10月第2月曜日
氏子域 / 中村区乾出町、大宮町、沖田町、押木田町、上石川町、京田町、下中村町、白子町、城主町、砂田町、千成通、豊国通、中村中町、中村本町、鈍池町、日ノ宮町

wiki下中八幡宮
「下中八幡宮
社伝によれば創建は保元元年(1156)で源為朝が関わるものであるという。
加藤清正が中村に勧請した3つの八幡社の1つとされるが、後に衰退。
寛永20年(1643)に再興された。
古い棟札が複数枚残されており、延宝3年(1675)のものが最古とされる。
なお、明治時代初期まで61年毎に「お鍬祭り」が行われていたという。」
とあります。
地史まで確認していませんが、創建は保元元年(1156)、呼称は八幡宮、八幡社、下中八幡宮と改称され、祭神は應神天皇神功皇后のようです。

銅巻の明神鳥居。
扁額はなく、島木に橘の神紋が施されています。

参道から拝殿の眺め。

境内の全景。
楠やイチョウを主とする杜は適度に間引かれ、程よい木陰もあり、風の通りのいい境内でした。

拝殿左の楠木の根元に龍神大神が祀られています。
左の龍神大神社標は昭和初期に寄進されたものでした。

龍神社。
龍神楠木大神。願い事、絵馬掛けをして心願成就の諸祈願を行っている。」

境内右の手水舎と社務所

切妻造に唐破風向拝が付く拝殿は、渡廊で祝詞殿に繋がっています。

拝殿前を守護する平成13年に寄進された巻髪の狛犬

拝殿脇に折り紙手芸の犬の置物があった、犬…でよかったかな。

拝殿額は「八幡宮」。

拝殿内の眺め。
社殿はコンクリート造りで、由緒では拝殿が昭和46年、祝詞殿・本殿は昭和5年に建てかえられたもの。

拝殿と龍神社。

拝殿右から祝詞殿・本殿と境内社塩竃神社
ここにも狛犬が。

こちらの狛犬明治43年寄進のもの、時代によって髪型やメイクも変わってくる。

塩竃神社と境内右の東鳥居と社標、鳥居は昭和3年に寄進されたもの。

塩竈社。

創建は不明。
祭神や神徳は以下。
塩土老翁神武甕槌神経津主神
安産の神として昔から崇敬されている。
延命長寿、交通安全、産業開発の守護神としても崇敬されています。」

社殿後方からの眺め。
本殿は5本の鰹木と外削ぎの置き千木が付き、海老虹梁も見られたので恐らく流造と思われます。
鬼板や破風飾りには橘の神紋が飾られています。

北側から龍神社(龍神楠木大神)の眺め。
御神木の楠の幹を囲むように覆屋が作られ、社は東向きに祀られている。
ひと昔前は田圃が広がっていたこの辺りも、その姿はなくなり一面住宅街に変貌、押木田公園の緑地帯と下中八幡宮の杜の緑は貴重な存在となっています。

秋の大祭、この記事がアップされる頃は既に終わっていますが、抹茶の提供や子供獅子など催されるようです。
また、町内の美化活動など地域のコミュニケーションは今も良好のようです。
我が町からこうした活動が消えて10年以上は経つだろう。
お洒落な自宅は綺麗にしても、一歩外に出た歩道は草ぼうぼう、大切な御犬様の糞すら取ってもいかない。
毎週車は洗っても、自宅周辺や地域清掃・地元の祭りを受け継ぐ意識は風化し、自分中心の地域になってしまったようだ。

拝殿から社頭の眺め。
住民により綺麗に手入れされた参道は、訪れても気持ちのいいもので、町の美観は住民同士の繋がりを現しているようでもあり、我が町が恥ずかしいと感じる場面でもある。

下中八幡宮
創建 / 保元元年(1156)
祭神 / 應神天皇神功皇后
境内社 / 塩竃神社龍神
参拝日 / 2024/09/19
所在地 / 名古屋市中村区押木田町1-1
日之宮神社から徒歩 / ​​​日之宮神社から押木田公園の下中八幡宮まで北へ10分程​​
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