インバウンド客で賑わう市街から、東方向の東山地区と呼ばれる一帯には桜山八幡宮や多くの社寺が鎮座しています。
今回は先に掲載した桜山八幡宮から徒歩10分程の若達町1に鎮座する雲龍寺を掲載します。
桜山八幡宮から江名子川沿いを若達町方向に進みます。
左側に石標の立つ細い参道があり、そこを進むと前方に雲龍寺の特徴のある鐘楼門が現れます。
上は江戸時代末期に描かれた高山町絵図で、東山地区の桜山八幡宮(左)から江名子川沿いの若達町方面を切り取ったもので、多くの寺社が鎮座するのがわかります。
この絵図が描かれた当時は右手の高山城も取りこわされ、二之丸や空町にあった武家屋敷は既に畑になっており、宮川に架かる筏橋の先にあった海老坂も真っすぐな通りになっています。
雲龍寺は丸の部分になります。
雲龍寺鐘楼門全景と参道左の東山遊歩道久昌寺石標。
……雲龍寺ではないのかい?
右手の解説板は雲龍寺の由緒ではなく雲龍寺鐘楼門の解説でした。「雲龍寺鐘楼門(市指定文化財)
所在地 高山市若達町1丁目86番地
所有者 雲龍寺
指定年月日 昭和44年2月19日
構造形式 重層四注造鋼平板葺
高山城破却の際、城内の「黄雲閣」という建物を当寺へ下げ渡されたと伝えられる雲龍寺鐘楼門は、天正10年(1582)本能寺の変に際し二条城において19歳で戦死した金森長近の長子忠郎長則の菩提寺として長近が修営した。
屋根はゆるやかな曲線をもち、頂部に露盤と宝珠をのせる。
初層中央通路の両側にふところを設け、南東側に階段がある。
上層外廻りに戸溝があり、中央通路の両側が入り込みとなっていることなどから、元は寺院の鐘楼門ではなかったことが分かる。
慶長6年(1601)、金森長近より「黃雲閣」という建物を賜り、のち鐘楼門となったと『高山市寺院由緒記』には記される。
享保14年(1729)の大火にも、羽目板の一部に焼痕をとどめただけで焼け残った。
東山白山神社は、雲龍寺の鎮守として祀られてきた。
塔頭(境内にある小寺)に栄鏡院、久昌寺がある。」
海蔵山雲龍寺は高山市街東部の東山地区に鎮座する曹洞宗の寺院で、創建は養老4年(720)とされます。
奈良時代に白山を開山した泰澄大師が当地に東山白山社を勧請した際、別当として開かれたのがはじまりと伝わります。
当初は妙観寺と称す天台宗の寺院でしたが、応永2年(1395)、総持(現総持寺祖院:石川県輪島市)4世竹窓智厳和尚により再興され曹洞宗に改宗、雲龍寺に改めています。
境内には応永6年(1399)に天神堂、稲荷社、同10年塔頭の久昌寺、宝徳2年に栄鏡院が建てられた。
門前から境内の眺め。
楼門に架けられた山号額は「海蔵山」
飛騨三十三観音霊場第三番札所(十一面観世音菩薩)で御詠歌は「父母の 恵みも深き 雲龍寺 仏の誓い 頼もしの身や」で本尊は十一面観世音菩薩。
寺宝には、円空が彫刻した如来像や橋本閑雪作の観世音菩薩の軸などを所蔵すると云われています。
入母屋銅葺屋根の木造平屋建ての本堂は、外壁は白漆喰仕上げで妻壁側に花頭窓が施されています。
境内南から鐘楼門、久昌寺方向の眺め。
宝珠が載る方型の楼門は、雲龍時を象徴する建物です。
天明4年の大火ではこの門の手前まで延焼していたようです。
海蔵山 雲龍寺
宗派 / 曹洞宗
山号 / 海蔵山
創建 / 養老4年(720)
再興 / 応永2年(1395)
本尊 / 十一面観世音菩薩
札所 / 飛騨三十三観音霊場第三番札所
所在地 / 岐阜県高山市若達町1-86
桜山八幡宮から雲龍寺 / 徒歩10分程
参拝日 / 2024/10/16
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