前回掲載した海蔵山雲龍寺の南隣の愛宕町67に鎮座する大雄寺、今回はこちらを掲載します。
写真は平湯街道(国道158号線)に架かる歩道橋から見た大雄寺(だいおうじ)の仁王門。
雲龍寺の脇参道から直接大雄寺本堂横の境内に繋がっており、今回は立ち去る時に門前を撮影しています。
門前左には愛宕町の秋葉神社、その上には六角形の屋根を持つ観音堂、石段正面が大雄寺仁王門になります。
こちらの仁王門も重要文化財に指定されているものです。
今回はコースと外れていたため、門や仁王像を間近に見る余裕はなく外観のみですが、別の機会に再訪したい寺です。
歩道橋から見た大雄寺仁王門と本堂方向の眺め。
二層の入母屋銅板葺の門で重厚感が漂う外観です。
大雄寺山門解説。
「大雄寺山門(県指定重要文化財)
「大雄寺山門(県指定重要文化財)
所有者 大雄寺
指定年月日 昭和47年9月18日
構造形式 重層入母屋造銅板葺
大雄寺は、もと吉城郡上広瀬村(国府町)にあったが、金森氏入国後 現在地に移され、浄土宗の道場となった。
上広瀬には「大雄寺屋敷」 という地名が残っている。
市内唯一の楼門造で、法華寺、宗猷寺の本堂と共に東山寺院群伽藍の代表的な建物である。
上広瀬には「大雄寺屋敷」 という地名が残っている。
市内唯一の楼門造で、法華寺、宗猷寺の本堂と共に東山寺院群伽藍の代表的な建物である。
十二本の丸柱は太く、カツラ材である。
通常のヒノキやスギではなく、カッラやクリ、マツなど多彩な木材を使うことも、木材を知り尽くした飛騨匠の技の大きな特徴である。
落し込み板で囲まれた仁王座前の南北が、透し菱形欄間になっている。
透しを通して東山景観を見せようとの配慮からである。
両脇に仁王像を安置している。
二層柱間は下層より狭く、柱頭の二手先和様斗組が深い飛檐軒を支える。
下層屋根上に三斗組腰組で縁を張り出し、高欄で四面を囲む。
ここからの市内の眺めはすばらしい。
通常のヒノキやスギではなく、カッラやクリ、マツなど多彩な木材を使うことも、木材を知り尽くした飛騨匠の技の大きな特徴である。
落し込み板で囲まれた仁王座前の南北が、透し菱形欄間になっている。
透しを通して東山景観を見せようとの配慮からである。
両脇に仁王像を安置している。
二層柱間は下層より狭く、柱頭の二手先和様斗組が深い飛檐軒を支える。
下層屋根上に三斗組腰組で縁を張り出し、高欄で四面を囲む。
ここからの市内の眺めはすばらしい。
寛政3年(1791)の大風で倒壊したが、17年後の文化4年 (1807)、飛騨権守宗安の流れをくむ近世の名工水間相模の手で再建された。」
仁王像や細かな細工は間近から見ていないので語れませんが、解説のようにこうした規模の仁王門は見た記憶がなく、雲龍寺の特徴のある山門とこちらの仁王門は高山にあって象徴的な建物と言えます。
また境内には元禄2年(1689)に建てられた飛騨地方最古の鐘堂もあります。
仁王像や細かな細工は間近から見ていないので語れませんが、解説のようにこうした規模の仁王門は見た記憶がなく、雲龍寺の特徴のある山門とこちらの仁王門は高山にあって象徴的な建物と言えます。
また境内には元禄2年(1689)に建てられた飛騨地方最古の鐘堂もあります。
大雄寺は、元々国府町上広瀬にあったものを天正14年に金森長近公により移された浄土宗の寺院です。
飛州志(明治42)によれば、大雄寺の開創・開基時期は未詳。
中興は源誉受徳上人で浄土宗に改宗、浄土宗京都知恩院末寺、天正14年上広瀬村から移し東林山と改める。
本尊の阿弥陀如来像は慈覚大師、勢至菩薩像は聖徳太子の作、鎮守愛宕権現と記されていました。
写真の本堂は宝暦12年(1762)の建立でしたが、昭和44年(1969)に焼失し、現在の本堂は昭和46年(1971)に再建された新しいもので、本尊は阿弥陀如来。
本堂左に十王堂があり、更に奥に進むと雲龍寺に繋がっています。
仏前の石台のくぼみ「菩薩の足跡」に溜まる水をイボにつけてお参りするとよく治ることから「イボの仏様」として地域の人達に厚く信仰されています。
境内右にあり、むくり屋根の向拝が付くもの。
上は高山城二の丸に建てられた長近像。
金森長近(1524-1608)、別名 五郎八。
美濃国土岐氏の一族で信長、秀吉に仕え、越前大野城に居住、天正年中には高山一円を治めた初代高山藩主、天正16年(1588)、飛騨国高山に高山城を築城・居住、城下町高山の基盤はじめ寺社を整備した。
慶長13年8月12日、京都に於て85歳で没し、墓所は京都の大徳寺塔頭龍源院で、法名は金竜院殿要仲素元。
飛州志(明治42)によれば、大雄寺の開創・開基時期は未詳。
中興は源誉受徳上人で浄土宗に改宗、浄土宗京都知恩院末寺、天正14年上広瀬村から移し東林山と改める。
本尊の阿弥陀如来像は慈覚大師、勢至菩薩像は聖徳太子の作、鎮守愛宕権現と記されていました。
写真の本堂は宝暦12年(1762)の建立でしたが、昭和44年(1969)に焼失し、現在の本堂は昭和46年(1971)に再建された新しいもので、本尊は阿弥陀如来。
本堂左に十王堂があり、更に奥に進むと雲龍寺に繋がっています。
「石仏「薬師如来」(通称イボの仏様)
元禄13年(1700)造立。
昔、疫病が流行った頃、地元の庶民は薬を手に入れることが出来ず、代わりにこの仏様が手に持つ薬壺(やっこ)を少しずつ削って飲むことで病を免れたと伝えられています。(そのため前腕部が無くなっています)
仏前の石台のくぼみ「菩薩の足跡」に溜まる水をイボにつけてお参りするとよく治ることから「イボの仏様」として地域の人達に厚く信仰されています。
《お参りの仕方》
イボには水をつけた後、境内にある蜘蛛の糸を巻く。
目もらいには水に浸した小豆をよく拭いて、上まぶたは患部に挟んで下へ、下まぶたは挟んで上向きに落とす。」
医療技術の発達した現在ではありえない療法ですが、昔はこうした御呪い療法が当たり前のように信じられていたのでしょう。
しかし像の変貌ぶりは御呪いの域を越えたものです。
方丈全景。医療技術の発達した現在ではありえない療法ですが、昔はこうした御呪い療法が当たり前のように信じられていたのでしょう。
しかし像の変貌ぶりは御呪いの域を越えたものです。
境内右にあり、むくり屋根の向拝が付くもの。
上は高山城二の丸に建てられた長近像。
金森長近(1524-1608)、別名 五郎八。
美濃国土岐氏の一族で信長、秀吉に仕え、越前大野城に居住、天正年中には高山一円を治めた初代高山藩主、天正16年(1588)、飛騨国高山に高山城を築城・居住、城下町高山の基盤はじめ寺社を整備した。
慶長13年8月12日、京都に於て85歳で没し、墓所は京都の大徳寺塔頭龍源院で、法名は金竜院殿要仲素元。
今回はイベントに参加しながらで、時間に追われていましたが、ゆっくりと見て回りたいところです。
大雄寺
宗派 / 浄土宗
山号 / 東林山
本尊 / 阿弥陀如来
札所 / ・・・
所在地 / 岐阜県高山市愛宕町67札所 / ・・・
雲龍寺から大雄寺 / 徒歩10分程
参拝日 / 2024/10/16
関連記事
・『ONSEN・ガストロノミーウォーキングin飛騨高山 』 に参加してみました
・高山市大新町1 『秋葉神社』
・高山市桜町 『桜山八幡宮』
・高山市若達町2 『秋葉神社』
・高山市若達町1 『秋葉神社』
・高山市大門町 『秋葉神社』
関連記事
・『ONSEN・ガストロノミーウォーキングin飛騨高山 』 に参加してみました
・高山市大新町1 『秋葉神社』
・高山市桜町 『桜山八幡宮』
・高山市若達町2 『秋葉神社』
・高山市若達町1 『秋葉神社』
・高山市大門町 『秋葉神社』