高山市堀端町『豊川城山稲荷』

豊川城山稲荷。

高山城は、高山市街の東部丘陵地の城山(臥牛山)に、金森長近により天正16年(1588)から築城された城で、北に平湯街道、西に白川街道や益田街道を見下ろせ、戦略的にも絶好のロケーションにあります。
現在は城山公園として遊歩道など整備されており、市街の混雑から逃れ、しっとりとした雰囲気を味わうには良い場所で、これからの時期は紅葉も綺麗に見られるはずです。

今回の豊川城山稲荷は案内図の赤丸部分になり、二の丸の金森長近像から徒歩2・3分程の照蓮寺東隣に鎮座しています。

青紅葉の先に石の明神鳥居と朱の奉納鳥居が連なる豊川城山稲荷。
今頃は紅葉に染まって趣のある姿を見せてくれているでしょう。

豊川城山稲荷由緒がありましたが脱色と汚損の為内容が読み取れません。
一部の記述から分かったのは、「本尊 豊川叱枳尼真天」
〇✖稲荷神社と呼ばれ、奉納鳥居の連なる伏見系の神社を思い浮かべますが、こちらは多くの奉納幟と狐が見られる豊川稲荷(妙厳寺)と同じ寺となるので神社は付きません。
とはいえ、こうして朱の奉納鳥居が連なることから、外観は稲荷神社の趣が漂います。

右側の建物は真宗寺院中野照蓮寺。
高山市街には高山別院照蓮寺とここ中野照蓮寺の二つの照蓮寺がありますが辿っていくと元は同じ寺です。
建長5年(1253)白川郷で照蓮寺として創建された寺院で戦禍で焼失し、後に白川郷中野に光曜山照蓮寺として復興され、天正16年(1588)金森長近により、伽藍の多くは現在の高山市鉄砲町に移設されたのが高山別院照蓮寺です。
本堂などの一部は白川郷中野に照蓮寺掛所心行坊として残されていましたが、それも御母衣ダム建設に伴い、昭和36年(1961)に高山城二の丸跡に移設されたのが中野照蓮寺です。
境内には浄土真宗寺院としては日本最古(1588)で国指定重要文化財の本堂があります。

豊川城山稲荷について当所隣接する中野照蓮寺の鎮守?のように見え、高山市史から照蓮寺を調べて見ましたが記載は見られなかったが、当地の五穀豊穣・招福・商売繁盛を祈願し創建されたものと思われます。

上が由緒なんですがほぼ読み取れません、その中で豊川城山稲荷の創建は明治11年(1878)、現在の主管は雲龍寺のようです。
創建時期と本尊が分かっただけでも良しとしますか。

本堂全景。
大棟には豊川稲荷の稲荷紋が入れられています。
花頭窓のあたりに照蓮寺の外壁が来ており、照蓮寺とひとつながりになっているのだろうか。

本堂正面全景。
向拝柱の木鼻や梁の白狐など彩色された彫飾りが施されています。

向拝の額は注連縄で隠れてしまいましたが、豊川城山稲荷ではなく本尊の銘が入っていました。

稲穂を担いだ豐川吒枳尼眞天は、白い狐に跨って現れたと云われるだけに、豊川稲荷では狐の姿を見かけますが、豊川城山稲荷で見かけた白狐はこれだけでした。

木鼻の獅子。
鳥居や注連縄、なんとなくお寺ぽくない豊川城山稲荷です。

豊川城山稲荷
創建 / 明治11年(1878)
本尊 / 豊川叱枳尼真天
所在地 / 岐阜県高山市堀端町8
大雄寺から飛騨豊川城山稲荷 / ​南の城山公園二の丸まで徒歩15分程
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