奈良県桜井市:安倍山文殊院と市内散策

11月12日。
名古屋から近鉄電車に揺られ、奈良県桜井市安倍文殊院を訪れ、周辺を歩いてきました。
今回はその時のトピックスを掲載します。
最寄駅は近鉄桜井駅、名古屋からだと伊勢中川で乗り換えないと桜井には止まってくれません。
車窓から見える山々は、紅葉にはまだ早かったです。
それでも途中の長谷寺駅では、海外から訪れた親子連れなどが秋の奈良を目当てに連なって降りる姿が見られました。
私たちも秋の装いに包まれた磐余の道と山の辺の路をのんびり歩き、安倍文殊院三輪山近くの今西酒造を訪れ、季節限定の酒を買い求めるために訪れました。
・・・と多少紅葉を期待しましたが、車窓から眺める山々はその気配すらなかった。

桜井駅から約15分弱歩いた桜井市谷地内の三叉路で見かけた「左 土舞臺(台)、右 安倍文殊院」とある道標。(​道標の位置)

ここは道標に従い100㍍ほど先の三叉路で左の緩やかな登り坂を進んでいきます。
小さな溜池を右手に見ながら、心細くなるような細い道を道なりに進んで行けば安倍文殊院までは近い。

道標から10分程で、写真の安倍山文殊の石標に辿り着きます。
ここを先に進めば文殊院の駐車場に至ります。
G先生は山門まで導いてくれなかったが、まぁ良しとしよう。
桜井駅からここまで1.5km程、途中Google先生を信じられずに遠回りしたため、移動時間は30分程かかりました。

安倍文殊院文殊池。
所在地は奈良県桜井市阿部645。

安倍丘陵の西端に鎮座する華厳宗の寺院で、山号は安倍山、院号文殊院
正式名称は安倍山崇敬寺文殊院で、別名「知恵の文殊」、学業成就の寺として知られ、獅子に乗った国宝の文殊菩薩像を本尊とする寺。

また、平安時代陰陽師安倍晴明の出生地といわれる寺で、境内東の文殊池を見下ろす高台には晴明が天体観測を行った「天体観測の地」があります。
そこから西の眺めは伽藍を一望でき、その先の藤原京跡や、耳成山、畝伏山、遠く二上山が一望できます。

境内の伽藍は安倍倉梯麻呂安倍晴明、開運弁財天を祀る金閣浮御堂霊宝館と本堂、礼堂、清明堂、稲荷社、白山堂、不動堂が主な伽藍です。

拝観料は、金閣浮御堂前の発券所で浮御堂と本堂の共通拝観券1200円を買い求め、最初に本堂から参拝するルール。
本堂の祈祷所で記念品として文殊菩薩像のポストカードと落雁、御守りを頂いて本堂拝観の流れです。

この日は、幸運にも奈良四寺を巡る団体様御一行と一緒になったため、個人拝観ながら御祈祷もして頂けました。

御祈祷を終えると内陣手前から本尊の文殊菩薩像を拝むことができます。
ツアー客は慌ただしく拝観を終え本堂を後にしていきます、 個人拝観の自分達は静まり返った本堂でじっくり鑑賞できます。

こちらが騎獅文殊菩薩像(HPから引用)。
何かで見た記憶があり、実物を見るのは今回が初めて。
内陣中央の獅子に乗る文殊菩薩は高さ7mの日本最大といわれます。

仏師快慶が建仁3年(1203)~承久2年(1220)の17年をかけ作られたもので、国宝に指定されています。
文殊菩薩の両脇でお供するのは、右側が優填王(左)、善財童子、左側が仏陀波利三蔵(右)、最勝老人です。

群像は、文殊菩薩が乗る獅子の手綱を優填王が持ち、善財童子が先導役を務め、仏陀波利三蔵と最勝老人が左に付き添う姿で構成されています。この姿は、雲海を渡り、衆生の魔を払い、智恵を授けるための説法の旅に出かけている様子を表しています。

この姿が本来の姿です。
しかし2024年7月~2025年5月の期間だけ、文殊菩薩が約15年ぶりに獅子から降りている姿を拝観できます。

上記期間だけ、獅子から降りた文殊菩薩が公開されています。
獅子の上から降りて、訪れた者と同じ目線で進むべき方向へ導いてくれます。
今回も天眼鏡を忘れたため、脇侍の表情や光背の細部まで見る事はできなかった。
真言はオン・アラハシャ・ノウ。

堂内には、大化の改新の談合の地多武峰に鎮座し、廃仏毀釈で廃寺となった妙楽寺(現談山神社)の本尊釈迦三尊像(重要文化財)も安置されています。

文殊池に浮かぶ金閣浮御堂。
こちらの境内は四季折々の花に包まれます、この時期はピークは過ぎていましたが秋桜が境内を彩っていました。
対岸にはこの時期にコスモス迷路が作られますが、大部分がピークは過ぎており、浮御堂右側の花が比較的綺麗に咲いていました。

秋桜迷路が見下ろせる天体観測の地から眺める浮御堂と境内、遠く耳成山二上山を望む。

安倍文殊院孝徳天皇の勅願によって大化改新の時、左大臣となった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建立した「安倍山崇敬寺」が始まりです。
当所の安倍寺は、現在地から南西約300メートルの地にあり、法隆寺式伽藍配置の大寺院だったようです。この地へは鎌倉時代に移転し、塔頭寺院二十八坊を有する大和十五大寺の一つとして栄えました。

永禄6年(1563)、松永弾正の兵火により伽藍を焼失。
寛文5年(1665)、現在の入母屋造りの本堂(文殊堂)を再建し、本堂前に礼堂(能楽舞台)が建てられました。
また、京都府知恩寺の切戸の文殊山形県大聖寺の亀岡の文殊、そして安倍山文殊院の安倍の文殊は、日本三文殊として称されます。

手前の浮御堂内陣には、安倍倉梯麻呂はじめ、阿部清明、大和七福神の一つ開運弁財天像が安置されており、なかでも秘仏十二天軸は春夏秋冬において3幅ずつ公開され、4月末の弁財天大祭では全てが公開されます。

拝観は受付時に七枚のおさめ札を頂く事から始まります。
ひとつ祈願をしては浮御堂を一周、おさめ札を1枚ずつ納め、全7周した後に内陣を拝観する。
祈願の仕方は「〇✖にならないように」と祈願するもので、「〇✖になりますように」とお願いするものではないらしい。

境内の白山堂左にある東古墳。

飛鳥時代に造立されたもので、「閼伽井(あかい)の窟」と呼ばれています。
閼伽井とは「閼伽水の井戸」の意で、横穴式石室や横穴墓など、玄室と外部を結ぶ通路の中程に、古来より枯れることのない泉があったことに由来しています。

この他に浮御堂前の境内に西古墳があります。
飛鳥時代に造立されたもので。国の指定史跡の中で特に重要でとされる「特別史跡」に指定されています。

古墳の特別史跡指定は明日香の石舞台古墳キトラ古墳高松塚古墳と共に、当山の境内の二か所が指定を受けています。
内部は、大化元年(645)当時のまま保存されており、巨大な花崗岩を加工し、左右対称に石組みがされています。
また玄室の天井岩は一枚の石で、大きさは15㎡あり、中央部分がアーチ状に削られ、築造技術の美しさは日本一の定評があります。
内部には弘法大師が造られたと伝わる「願掛け不動」がお祀りされていますが、本来は大化元年に初の左大臣となり当山を創建した安倍倉梯麻呂の墓と伝えられています。


まだまだ見所の多い文殊院ですが、御祈祷や七参りやらで、間もなく正午になろうとしていました。
続きは改めて別の機会に纏めることにして、磐余の道から山の辺の道に向かいます。
安倍山文殊院
山号 / 安倍山
院号 / 文殊院
宗派 / 華厳宗
開基 / 安倍倉梯麻呂
本尊 / 大化元年(645)
境内社 / 稲荷社、白山大権現、清明
所在地 / ​奈良県桜井市阿部645
近鉄桜井駅から文殊院 / 南に1.4km、約20分強

文殊院を後にして東に向かい、艸墓(くさはか)古墳を横目に寺川方向の等彌(とみ)神社を目指します。
写真はそちらに向かう途中の桜井市河西で見かけた村社 天満神社
寺川左岸の住宅が立ち並ぶ中、古墳のように小高い山があり、参道はその頂に続いていました。
かみさんには少し待ってもらい、社殿を写真に収めてきました、由緒はなく今のところ詳細は分かりません。
天満神社
所在地 / 奈良県桜井市河西373

目的地の等彌神社は寺川を越えた県道37号線沿いに鎮座します。

文殊院から1.5km、約25分程で旧縣社 等彌神社社頭に到着。
こちらの参拝を済ませ食事の計画ですが、こちらの神社は三輪山の南にある鳥見山の西麗に鎮座し、往古は鳥見山山中に鎮座していたようです。
延喜式神名帳大和国城上郡等彌神社に比定される神社で、広大な境内には下津尾社・上津尾社など鎮座しており、そこまでは参拝しましたが、山頂にある庭殿や霊畤まではとてもじゃないが廻れなかった。

等彌神社下津尾社社殿の提灯には昼でも灯りが入れられていました。

ここはモミジの色付きを期待して経由地にしましたが、残念ながらモミジは青々としていました。
等彌神社
創建 / 不明
上津尾社祭神 / 天照大神
下津尾社右殿祭神 / 神武天皇応神天皇、右殿祭神 / 高皇産霊尊天児屋命
境内社 / 黒龍社、弓張社、鳥見山稲荷社、愛宕社、金毘羅社、恵比須社、護国神社、桃神社
所在地 / ​奈良県桜井市桜井1176

さて、随分遅れてしまいましたが昼食に向かいます。

一語一笑。
等彌神社から約10分程県道37号線を北進した薬師町交差点の角にある活魚・ちゃんこのお店。

当初はラーメンを予定していましたが、歩いて火照った体はラーメンの気分でもなくこちらに立ち寄りました。

ランチの時間はとうに過ぎていましたが、店内は結構賑わっていました。

お昼の献立。
ラーメン一杯1000円越えが当然の様になり、観光地にあって比較的良心的な価格か。
二人が選んだのは六角弁当1500円なりと瓶ビール。

六角形の重に二段で6品が盛られ、これにそぼろ御飯に吸い物が付いてきました。
昼にしてはボリューム満点、味付けもしっかりしており、煮物と刺身が美味しかったです。
11月ながら上着なしでも暑いほどの陽気、冷たいビールがうれしく感じます。

今回の社寺巡りはこれにて終了、あとは三輪神社方向に向かい、目当ての酒を買い求め、かみさんリクエストの団子屋を目指します。
一語一笑
奈良県桜井市桜井565-1

 
次の目的地今西酒造本店まで、Gマップでは戻れのルートしか作れませんが、一語一笑の前の国道157号線を越えて細い路地を2km程北に進みます。

西酒造本店。
酒造り発祥の地、酒の神が鎮まる三輪で、万治3年(1660)に創業を始めた三諸杉で知られる蔵元。
我家との相性がいいのか、何を飲んでも美味しいお酒を造っています。
この時期になると、ほぼ毎年訪れ買うお酒があります。
昨年は既に売り切れで手に入らなかったけれど、今年はどうかな。
このために奈良を訪れたようなもので、期待に胸を膨らませ店内へ。
11月中旬、「三輪のどぶろく」は手に入れることができました。
良し、これで来た甲斐があった。
西酒造本店
所在地 / ​奈良県桜井市三輪510番地

後は近鉄大和八木駅付近の団子屋をクリアすれば今回の奈良行も目的達成だ。
酒蔵から最寄り駅JR三輪駅まで徒歩5分程と一歩きだ。

JR三輪駅。
ローカル感に溢れた駅舎と一本の巨木がランドマーク的存在だろう。
山の辺の路を散策するハイカーや大神神社の最寄り駅として乗降客は多い。
ここから大和八木に向かいますが、電車は一時間に1本と少なく、直前に過ぎ去った後だった。
次の電車まで1時間…歩く?、待つ?どうしたもんだか。
ダイヤを確認し振り返ると駅の向かいに見慣れた暖簾が目に入る。

西酒造 駅前店 Cafe 三輪座。
こんな店があったとは知らなかった、そもそも電車で三輪を訪れたのが初めてなので知るはずもない。

店舗前にテーブルと椅子もあり、これは一時間楽しめる、ここで次の電車を待つことに。
ラインナップにはどぶろくもあるではないか。
しかし、どぶろくは家での楽しみとして、他のお酒にしておこう。

写真は純米吟醸ハーフ(左)とかみさんが選んだ鬼ごのみ無濾過生酒ハーフ。
純米吟醸は米の旨味を感じるすっきりとした飲み心地で自分には合っていた。
鬼ごのみ無濾過生酒は金色に色付き、まろやかな雑味のあるまったりとしたお酒。
胡瓜の奈良漬けを肴にちびちび時間調整。

二杯目も同じ大吟醸、一合にサイズアップ。
店内につまみもありますが、駅前の精肉店が出すアツアツのコロッケは美味しかったな。
味のある駅を眺めながら、屋外で美味しい酒が飲めるとは、何と羨ましい環境だろう。
次から電車で来よう。

少し早めにホームに入り、大和八木行の電車に乗り込みました。

目的の団子屋は大和八木駅から徒歩5分程南にある「だんご庄 八木店」。
こちらの、きな粉団子が最終目的でしたが、当日火曜日が定休日のようでシャッターが下りていました。
事前に調べなかったことが悔やまれますが、またのお楽しみです。
参考までに。
だんご庄 八木店
所在地は奈良県橿原市内膳町1-3-8

それにしても、この時期に遠出しても、すぐに陽が落ちるので動ける時間が少ないのが困りもの。
名古屋に戻ると、とっぷりと日も暮れてしまい、気分まで一日終わりモードに入るのが嫌だね。

これから寒さが増すと歩きはつらくなりますが、11月とは思えぬ暖かい陽気のせいか、節々の痛みを感じないのがありがたい。
国宝も拝観し、充分歩き、美味しい御飯や酒も味わえ、いい一日を過ごせました。

爆発もさせず、無事自宅に戻り、二年振りの再会。
以前とラベルが変わった気もする。

上が今年手にしたどぶろくのラベル。
下が2021年のもの、こじゃれたデザインに変わったようですね。

保管している間にも発酵が進むので、開栓時は要注意。
900ml瓶に750mlしか入れていないところなど見るからに恐ろしい。
しばし冷蔵庫で寝かしてから飲む事にします。

訪問日
2024/11/12

過去記事
三諸杉 濁酒 危険でおいしいどぶでした