
写真は移動途中の桜井市河西で見かけた村社 天満神社。
寺川左岸の住宅が立ち並ぶ中、古墳のような小高い山があり、参道はその頂に続いていました。
この辺りを歩いていると、こうして樹々が生い茂り、こんもりと盛られていると「これも古墳なのかい」と思いたくなります。
奈良に限らず古墳の上に神社が祀られる例は珍しくないことです。
ここが古墳だったのか、少し調べてみましたが、古墳とする記録は見つかりませんでした。

社頭全景。
右手に「村社天満神社」の社号標があり、緩やかに続く石段は頂きに向け続いています。

石段を過ぎると、参道は緩やかに左に向きを変え、鳥居の先の杜の中に続いています。
右手の山並みは、談山神社が鎮座する、談山、音羽山方向になるのだろうか。

大正5年(1916)に寄進された石の明神鳥居。
額には「天満神社」と刻まれています。

燈籠の立ち並ぶ参道は意外に短く、鳥居をくぐると左手に社務所が見えてきます。
社頭ではランチの時間を気にして待つかみさんがいる、これは有難い。
ささっと写真を撮って参拝を済ませられそうです。

石段を登り切った境内の眺め。
山の頂は南北に長く整地され、左に社務所、右手に手水舎、正面にニの鳥居と社殿の配置です。
下から見た時は鬱蒼とした森でしたが、意外に陽光が降り注ぐ明るい境内が広がっています。

境内右の撫で牛と手水舎、手水鉢は文政10年(1827)に寄進されたもので、後方には忠魂碑が建てられています。

拝殿全景。
石の明神鳥居の先には一対の狛犬が守護し、切妻平入の拝殿の前面は格子戸になっています。
拝殿左には影になり見づらいですが、覆屋に納められた境内社が祀られています。

ニの鳥居の額。

寄進年未確認の狛犬。

拝殿左の覆屋には稲荷神社(左)と厳島神社が祀られています。
天満神社の由緒について調べてみましたが、奈良県神社庁に登録はありましたが、創建までは言及しておらず、境内で見たもので古い寄進物の元号は文政10年(1827)、なので大和名所図会(1791)を見ていくと何か分かるかも知れません。

境内社脇から本殿の眺め。
恐らく流造の社のように見えます、ここに菅原道真公が祀られている。
境内では梅の紋は見受けなかったが、本殿の大棟に梅紋が飾られているので間違いないでしょう。

拝殿横から社務所、境内の眺め。
村社 天満神社、どこかに由緒が掲げられていたのかも知れないが、待たせている身なので潔く社頭に戻ります。

今こうして振り返ると、天満神社は妙に温もりを感じる神社だった気がします。
そう感じさせたのは木漏れ日の温もりだったのかナ。